皇紀2666年 9月11日


桜花

「桜花さん、桜花さん」
シノさんの呼ぶ声で、桜花は目を覚まします。
・・・あ、すっかり眠っていました。
外は・・・真っ暗。夜です。
「どうかしましたか?」
桜花が聞くと、シノさんは、
「桜艦隊が所定の位置にいる場合、そろそろ何らかの電波反応を捉えても良いはずなのですが・・・未だその反応はありません・・・電波を出さずに隠密待機してると考える事もできますが・・・」
と言います。
・・・・・
・・・そうですか・・・
シノさんは続けて言います。
「こちらの電探を作動させますか?」
・・・電探・・・
こちらが電探を作動させれば、近くに桜艦隊がいれば、こちらを察知してくれると思いますが・・・
当然、敵からも丸見えになってしまいます。
出来る事なら、桜艦隊を見付けてから電探を使いたいところですが・・・
「燃料はあとどのくらいです?」
「残り、15分です」
・・・15分・・・
かなりきわどいですね。
むしろ、直上強襲機の航続力でよくここまで来れたとほめてあげるべきでしょうか。
まあ・・・
敵に発見されて撃墜されようが、桜艦隊を発見できずに墜落しようが、結果は同じ事です。
「電探を作動させてください」
と桜花が言うとシノさんは即座に、
「宜候」
・・・と、なぜか海軍式の返答をします。
シノさんが言うと、なんだか冗談みたいに聞こえますね。
・・・場を和ませようとしてるのでしょうか。
すめらさんは相変わらず、ぐっすり眠っています。
・・・あ、そろそろ起こした方が良いでしょうか。
桜花は右にいるほうのすめらさんを揺すって起こします。
すると、二人同時に目を覚まして、二人そろってきょろきょろします。
・・・すごいですね。全く同じ動きです。
そして二人はそろって、なにか、装備の点検を行います。
一人は・・・例のでっかい銃、試製特乙自動砲、
もう一人は・・・二九式小銃、特型でしょうか。銃床が付いてません。
なんだか・・・物々しいですね。空挺作戦みたいです。
・・・・・
・・・その時、突然、
「・・・桜花さん、残念ながら・・・桜艦隊は会合点にいないようです」
と・・・シノさんが言うのです。
・・・え、
・・・桜艦隊は・・・会合点に、いない?
・・・・・
桜花は・・・・一瞬、頭の中が真っ白になります。
・・・ほんとに・・・いないんですか?
・・・・・
・・・・・
・・・でも、考えてみれば、
戦闘状態にある艦隊が、何日も同じ場所に留まっているはずもありません。
「旋回して近域を探索してみてください」
「了解」
キ-367は、大きく旋回します。
桜花も必死に窓の外を見張りますが・・・
真っ暗です。
海面がどこにあるかも分かりません。
「燃料、残り10分です」
シノさんが言います。
・・・ああ、
時間が・・・
なんでこう、早く過ぎるのでしょう。
桜花が見ても意味が無いという事は分かっていても、
桜花は目を皿のようにして、探すのです。
・・・きっと、
いるはずです。
・・・いるはずです。
・・・いる・・・はず・・・
・・・・・
・・・・・
「燃料・・・残り5分です」
あああ!
どうしていないんですか!
「桜花さん・・・とりあえず、不時着水に備えてください。そのあとの事は・・・そのあと考えましょう」
「いや!きっといるはずです!」
「桜花さん、お気持ちは分かりますが・・・着水時の衝撃を抑える為に本機は推力を直上に切り替える必要があります。これ以上巡航旋回を続けるのは危険です」
と、シノさんは桜花を宥めるように言うのです。
・・・・・
・・・着水・・・太平洋の只中に・・・
そして、漂流・・・
ああ・・・何日も、何日も流されて・・・
桜花は干乾びて、死んでしまうのでしょうか・・・
・・・・・
いや!
近くに艦隊がいるのなら、いずれ・・・見付けてくれるかもしれません!
そうです。
きっと。
見付けてくれます。
「・・・了解しました。着水に備えます」
と、桜花が言うと、機体はゆっくり形状を変えて空中停止形体になります。
ローターの回転音がやたら大きくなります。
・・・・・
・・・でも・・・
近くに艦隊がいなかったら・・・?
・・・・・
・・・・・
機体はゆっくり降下します。
「まもなく、空挺高度です。10秒前」
シノさんが言います。
・・・え、空挺?
飛び降りるんですか?
すると、すめらさんが桜花の両肩を支えます。
え?え?!
飛び降りるんですか?!
・・・・すると、その時突然、
機内にけたたましい警報音が鳴り響きます。
「なんですか?!この音は!」
「本機が、射撃照準を受けています!短距離、6時方向!」
シノさんが叫びます。
・・・え?
射撃照準?
どういうことですか?
「本機は攻撃される恐れがあります。迅速に降下してください!」
シノさんが叫びます。
・・・え!
すると・・・目の前に、
・・・月?
あ!落ちてます!
ひいいいいい!
いっ・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・・がっ
あああ、
・・・ああ、
・・・浮いてます。
桜花は海面に浮いてます。
・・・鼻から・・・海水・・・
ううう・・・
その時、ものすごい音と共に、水柱が立ちます。
あ!・・・キ-367です!
キ-367が・・・墜落しました!
シノさんは?!すめらさんは?!
大丈夫でしょうか!
・・・すると、
すぐ近くに、なにかオレンジ色の丸い物体が2つ浮いてきます。
・・・あ、すめらさんです。
体より大きな浮き袋を付けた、すめらさんです。
二人とも、なぜかうれしそうです。
・・・大丈夫・・・みたいですね。
それにしても大きな浮き袋ですね。
すめらさんって、見かけによらず結構重いんですね。
や!そんな事より!
「シノさんは?!」
「ここでーす」
・・・あ、
向こうの方で、何か、光ってます。
シノさんです!
救難信号を出してます。
無事・・・みたいです。
ああ、よかったです。
全員無事みたいです。
・・・ああ・・・
よかった。
空にはきれいなお月様です。
波も穏やか。
・・・でも・・・
他には何もありません。
どこまでも・・・真っ暗な海です。
ああ・・・どこまでも・・・
こんなに海が大きく感じたのは、初めてかもしれません。
すごく、心細いです。
私たちはこのまま・・・漂流していくのでしょうか・・・
・・・・・
・・・・・
・・・とりあえず・・・
全員、シノさんの回りに集まります。
シノさんの回りだけが、ぴかぴかと明るいです。
この光を・・・だれか、見付けてくれれば良いのですが・・・
・・・・・
・・・あ、そういえば、
「先ほどの射撃照準は・・・いったいなんだったのですか?」
桜花はシノさんに聞いてみます。
するとシノさんは、どこか遠くの方を指差して、
「たぶん、あれだと思います」
と、言うのです。
・・・あれ?
・・・・・
・・・あ、なにか・・・音がします。
この音は・・・たぶん戦闘機です。
戦闘機が上空を旋回しています!
でも、暗くてよく分かりません。
どこの所属機でしょうか。
もうこうなったら、敵でも味方でもどっちでもいいです。
桜花は思いっきり手を振って「おーい」と叫んだりします。
・・・・・
・・・気付いて・・・くれるでしょうか・・・
・・・・・
・・・あ、
編隊灯を点けてます。
あれは・・・
・・・・・
・・・凄風?





橘花

・・・・・
・・・・・
・・・橘花さん・・・橘花さん・・・
・・・・?
・・・誰かが・・・私を呼ぶ・・・
・・・桜花提督?
・・・・・
「橘花さん、橘花さん」
・・・いや、この声は・・・
シノ缶。
「あ、気が付きましたか、橘花さん。具合はどうですか?」
シノ缶が私の顔を覗き込む。
・・・ここは・・・
・・・・・
・・・救命筏?
わたしは救命筏の上に横になって・・・海上にいる。
・・・月が見える。
「いやあ、心肺停止状態がしばらく続いたので、一時はどうなる事かと思いましたが・・・いやはや海軍機。水に強く出来てるんですね」
などと・・・シノ缶が言う。
・・・・・
「・・・で、靖国はどちらです?」
私が言うとシノ缶は、
「さあ、どこでしょうねえ。たぶん、ここからは遠いと思います」
と言って、ぽりぽりと頭をかくような仕草をしてから、
「戦闘機には緊急脱出装置が標準装備されてるという事をうっかり忘れていましてねえ。いやあ、畑違いの仕事はあんまりするもんじゃないですね」
などと言う。
・・・うっかり・・・忘れていただと?
・・・そんな大事な事を・・・
・・・・・
・・・まあ、
そもそも陸軍機を戦闘機に載せてる段階で全てが間違っている。
ここで彼女を責めても仕方が無い。
・・・・・
・・・さて、
この、暗く果てしない大海原。
月以外に方向を示すものは何も無い。
「とりあえず・・・現在の状況説明などを頂けると助かりますが」
と、私が言うとシノ缶は、
「現在0235時。先ほど衛星から現在位置を受信した所、北海道日高沖、北北西約18.5浬。海風の影響で現在やや陸向きに流されてはいますが、泳いで帰るにはなかなか厳しい距離でしょうね。また、海軍第7艦隊の行動海域である事から、現在救難信号の発信は行っていません」
と、概ね絶望的な事を淡々と言う。
・・・・・
・・・まあ、そんな所だろう。
私は一応、自分の所持品を調べてみる。
・・・夕張の森で手に入れた拳銃一丁。
戦力といえるのはこれだけ。
・・・場合によっては自決用となるかもしれないが・・・
どちらにせよ、もう、
運に任せる以外どうしようもない状況である事には変わり無い。
桜花提督が無事に目的地に辿り着けたかどうか、それだけが気になるが・・・
・・・それも、この状況に至っては知る術が無い。
ただ、時間だけが絶望的にある。
意外と・・・心は穏やかである。
・・・・・
・・・そう、しばらくぶりに触れる、海の感触。
・・・・・
・・・静かに・・・流れる、波・・・
・・・妙に、懐かしい。
・・・・・
・・・このまま・・・
海に流れ・・・
・・・月の欠けるが如くに、静かに・・・
水漬く屍となるのも、また、
「あ、バナナ食べます?ちょっとしょっぱくなりましたけど」
「いりません」







桜花

・・・・・
・・・あれから・・・もう一時間ぐらい経ったでしょうか。
上空には、相変わらず『凄風』が旋回しています。
先ほど気付いたのですが、どうやら2機の凄風が交代で上空を旋回してるようです。
暗くてよく見えないのですが、尾翼に描かれているマークは、たぶん・・・桐の紋、
桐の紋は、空母『蒼龍』第103空隊のマークです。
あれはきっと、桜艦隊の所属機です!
ああ、よかったです。
たぶんあの凄風は、救助ヘリがここに到着するまで桜花を見失わないように待っていてくれてるのです!
桜花はもう、うれしくてうれしくて。
これでやっと、飛鳥に帰れるのです!
・・・しかしそのとき、シノさんがボソッと、
「飛鳥の司令系統が敵に制圧されてなければ良いのですが・・・」
と、言うのです。
・・・え?
あ、
そういえば・・・
そうです。
桜花が飛鳥を離れる前、何か、黒い・・・人型兵器に襲われていたのです。
・・・・・
・・・考えてみれば・・・
飛鳥はもう、敵に制圧されている可能性もあります。
・・・いや、その可能性が高いです。
そして私は・・・望んでやった事ではないにせよ、
一人そこから、逃げ出した臆病者なのです。
・・・ああ・・・
飛鳥が敵の手に落ちていれば、もうそれまでですが、
そうでなかったとしても・・・
艦隊の皆さんは・・・私を受け入れてくれるのでしょうか・・・
・・・そんなことを考えていると・・・
・・・・・
・・・ローター音・・・旋翼機です!救助ヘリが来ました!
桜花は再び「おーい」と叫びながら、ばたばたと手を振ったりします。
しばらくすると旋翼機は、桜花たちをライトで照らしながら空中停止します。
そして救助隊員の人が降りてきて、
てきぱきと素早く桜花にワイヤーを取り付けて旋翼機まで引っ張り上げます。
いやあ、さすがに手馴れたものです。
でも機体の入り口まで来たところで、何かが引っかかって中に入れません。
・・・あ、桜花の背中に・・・大きな浮き袋です!
これ、すめらさんに付いてるのと一緒です。
・・・あ、そういえば、
桜花の体はすめらさんと同じ、戦術型になっていたのですね。
いやあ、これは・・・浮き袋無しでうっかり海に落ちたら大変ですね。
とりあえず、この浮き袋は海に投棄して、旋翼機の中に入ります。
すると・・・機内にいる隊員が、
桜花に銃を向けています!
・・・これは・・・
やっぱり、
桜艦隊は、敵に制圧されています!
桜花は即座に、下にいるシノさんたちに逃げるように言おうと・・・
さすがにもう遅いですね。
いや、彼が持ってるのは拳銃です。
桜花の体は拳銃弾一発ぐらいなら耐えられるように出来ているのです。
初弾は回避できなくても、陸戦モードに切り替えれば、二発目を撃つ前に相手をねじ伏せる事が出来るかもしれません。
そしてこの旋翼機を制圧して、残りの燃料でどこか・・・あ、
上空に凄風がいます。
あれの目を何とかごまかす為には無線機を・・・
・・・・・
・・・ん?
銃を下ろしました。
救助隊員の人は、銃を下ろして・・・まじまじと桜花を見ます。
そして一瞬驚いた表情をしてから、あわてて桜花に敬礼します。
・・・あれ?
ひょっとして、私が桜花だという事に今気がついたのでしょうか。
とりあえず桜花もあわてて敬礼してから、
ええと、なるべく平然とした態度で、
「ご苦労様です。助かりました」
などと言います。
すると救助隊員の人は、
「よくご無事で・・・」
と言って、ぼろぼろと泣いているのです。
え、あ、
・・・ええと、
そう・・・言って頂けると恐縮です。
艦隊を捨てて逃げ出した卑怯な提督として冷遇されるかと思っていたので・・・
なんだかうれしいです。
ええ。
そうこうしてるうちに、すめらさん二人が桜花と同じように吊り上げられて、
・・・あ!、シノさんを忘れてます!
桜花はあわてて
「装備も回収してください!」
と言うと隊員の方は、近くに浮き袋付きで浮いていた試製特乙自動砲とかを回収して、
最後にシノさんも回収してくれました。
たぶん最後までシノさんは救命筏か何かだと思われていたみたいです。
これで、はい。忘れ物はないですね。
すめらさんは投棄した浮き袋を物欲しそうに眺めていますが、旋翼機は高度を上げて進み始めます。
さて、どこへ行くのでしょう・・・
ていうか、艦隊の状況はどうなっているのでしょうか!
桜花は思わず目の前の救助隊員に、艦隊の状況を聞きそうになりますが、
・・・いや、連合艦隊提督がなんにも分かってない様な雰囲気をかもし出したら士気に悪影響が出ます。
ええと、
とりあえず桜花は、
「調子はどうですか?」
などと何気なく救助隊員に聞いてみます。
すると救助隊員の方は、
「お心遣い、感謝いたします!」
と言って、またぼろぼろ泣き始めます。
・・・もしかしたら、
桜花がいない間、艦隊はよっぽど辛い状況だったのでしょうか。
そして救助隊員の人は、
「身を挺して艦隊を救った提督の御恩義、片時も忘れる事はありませんでした!」
などと言うのです。
・・・・・
・・・はい?
身を挺して艦隊を救った?
私がですか?
・・・ええと・・・
また、訳の分からない新設定が出てきましたが・・・
どういうことなんでしょう。
なにやら、救助隊員の話によると、
あの時、戦艦飛鳥に上がって破壊活動をしていたあの黒い人型兵器は、どうやら桜花を追いかけるようにプログラムされていたらしく、桜花が脱出カプセルで飛鳥から射出されると、それを追尾するかのように海の中に入って行ってしまったそうです。
そこを、重巡陸奥の短魚雷で撃沈。
・・・それはまた、なんとも・・・ええ。
バカですね☆
で、桜艦隊は事無きを得たそうですが、
あ!それは、つまり、桜艦隊は敵に制圧されてはいないんですね!
ああ、良かったです。
ほんとに。
・・・や、ちょっと待ってくださいよ?
それがなんで、桜花が身を挺して艦隊を救ったという事になっているんですか!
そもそもあの時桜花は艦隊に残るつもりでいたんですよ。
それを無理やり木島さんが・・・
讃えられるべきはむしろ木島さんだと思いますが。
・・・なんで桜花が?
そういえば、小樽基地でもそうでしたが、
桜花が知らないところで妙な設定が出来上がっていて、なぜか英雄扱いされてしまうという、
・・・考えてみれば、とてもありがたいことなのかもしれませんが、
でも、
ちょっとおかしいと思います!
自分が実際にやっていない事まで褒められるなんて、どう考えても変です。
ていうか、なんとなく・・・
・・・なんとなく・・・こわいです。
人々の意思だけが・・・桜花を通り越して先に行ってしまってるみたいで。
だから桜花は、
「それは違います!」
と、言おうと思ったら、
「本機はこれより着艦態勢に入ります!」
と操縦席から聞こえてきて、機体がぐらんと旋回します。
あわわ。
・・・え、着艦?
桜花は思わず身を乗り出して、操縦席の窓から前方を覗き込みます。
・・・すると海上に、ぴかぴかと光る誘導灯・・・
あれは・・・
・・・・・
・・・飛鳥です!
ああ・・・
・・・・・
戦艦飛鳥です・・・
やっと・・・帰って来れたんです。
私の住処です。
・・・飛鳥・・・
・・・・・
桜花は、急にいろんな事を思い出してきて・・・
また、泣きそうになってしまいます。
・・・・・
でも・・・ここで終わりではないのです。
私には、すべき事があるのです。
私は、成すべき事を成す為に、ここに戻ったのです。
今はまだ、思い出などに浸っている時ではありません。
私を必要とし私を待っている人の為に、
成すべき事が、私にはあるのです。






橘花

・・・バナナの皮。
これも食料になるかな?
・・・などとしばらく考えたりするが・・・
・・・・・
捨てる。
シノ缶は省電モード。
静かで良い。
・・・・・
・・・そして、ただ月を眺めて、
・・・・・
・・・・・
・・・どのくらい時間が過ぎただろうか。
なぜか、尾崎放哉の俳句が頭に浮かんだりする。
・・・・・
・・・その時、
上空を、微かに・・・哨戒機が通過する音。
所属は分からない。
・・・助けを求める気もしない。
・・・・・
・・・ただ、ねむい。
ひどく、つかれた。
・・・ああ・・・
・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・ん?
水平線の向こうに、光。
・・・船?
「・・・あれは・・・海軍、敷波型駆逐艦です。・・・こちらに向かって来ています」
シノ缶が言う。
・・・敷波型?
・・・・・
たぶん、あれは・・・磯波。
第7艦隊所属艦。
・・・・・
・・・まあ、
遅かれ早かれ、来るとは思っていたが・・・
・・・・・
・・・私は、静かに・・・銃を取り出す。
するとシノ缶が慌てた様に、
「橘花さん!早まってはいけません!虜囚誹謗は戦前の風習です。今は生きてこそ報国です!」
と言う。
・・・は?
この給湯器は・・・何を勘違いしている?
とりあえず私は、
「これは正式な戦争ではなく、あれは敵国軍ではなく、私は人間ではないので捕まっても虜囚にはなりません。ちなみに私は死のうとしてる訳でもありません」
と言うと、シノ缶は、
「あ、そうですか・・・これは失敬」
と言って、頭をかくような仕草をする。
・・・さて、
どうしたものか。
拳銃で駆逐艦に挑んでも結果は歴然。
今更隠れても見付かるのは必至。
自決するというのも一つの選択肢ではあるが、桜艦隊の所在すら知らない私は、敵にとって戦略的有効な情報はほとんど持っていない。
また、人型電算機を既に保有している彼らにとって、私の体にも技術的価値は無い。
それなら、生き残っても特に差し障りは無いだろう。
まあ、それは敵の判断する事だが。
・・・何より、
友軍機を平気で攻撃するような輩が、どのような顔をしているのか見ておきたい。
とりあえず私は・・・
今となっては敵に反撃の口実を与えるくらいにしか役に立たない銃を、海に捨てる。
するとシノ缶が驚いたように海面を覗き込みながら、
「ああ・・・ワルサーP99の大東亜弾仕様は生産数が少なく、特にクルツモデルのA版は銃器マニアの間では結構高値で取引されてるんですよ・・・あああ、沈んでいく〜、もったいない」
「じゃあ、あなたも一緒に沈めてやりましょうか?」



夜の闇の中から、黒い塊がゆっくり近付いて来る。
その形状は、まさしく駆逐艦磯波。
・・・しかし・・・
何かが違う。
それはまるで、異国の艦艇でも見てるかのような、
いや、艦艇とも違う、なにか・・・
未知の物体を垣間見たような、
異様な感じである。
・・・何かがおかしい。
しばらくするとそれは、我々のいる救命筏の近くで停止し、探照灯でこちらを照らす。
そしてその装載艇が向かってくる。
装載艇には救命胴衣を着た隊員が数名。
これも・・・
・・・なにか異様。
先ほどの戦闘について、彼らは何も知らされていないのだとしても、
海軍中将が救命筏に乗って漂流しているという妙な状況を見れば、それなりに何か、多少の動揺を示しても良いような気がするが、
彼らは至って平然と、ただ形式的にこちらに敬礼をしてから、何の言葉も無く、私とシノ缶を回収。
そして再び、駆逐艦に戻る。
内火艇の収容作業も、まるで流れ作業のように、平然と行われる。
そして数分後、私とシノ缶は・・・先ほどまで死闘を行った相手の駆逐艦の甲板に、平然と立っている。
・・・・・
私が・・・突然抵抗したりとかする可能性もあるのだという事を、全く考慮していないのだろうか。
まあ、この期に及んで私も、そんな無駄な体力消費をする気も無いのだが。
それにしても・・・なんだろう、この妙な雰囲気。
しばらくすると、艦内から海軍第二種軍装を着た隊員が一人出て来る。
士官?・・・らしいが、階級章は付いていない。
妙に整った、特徴の無い顔立ち。
すると彼は敬礼し、
「ようこそ当艦へ。歓迎します。中将」
と言う。その声は・・・女?
女性士官である。
彼女は尚も平然と、
「お部屋の方へご案内します」
と言って、歩き始める。
・・・な?
どう考えても・・・この状況に全くそぐわない対応である。
私はとりあえず、彼女に何か質問しようと思ったが・・・
艦尾方向と中央マスト上部に小銃装備の警備兵がいるのを確認する。
暗くてよく見えないが、こちらを狙っているように感じる。
・・・なるほど。
私は少し納得して、この女性士官の後ろに付いて行く。
・・・艦内は・・・
妙に静まり返っている。
どこにも人の姿は見当たらない。
・・・やっぱり、妙な雰囲気である。
結局、目的の部屋に着くまで、誰にも会う事はなかった。
そして、その部屋。
たぶん・・・上級士官用寝室。
駆逐艦としては、最上級の部屋と言えるが、
そこに私とシノ缶は入れられ、女性士官は、
「今、お食事をお持ちします。しばらくこちらでお待ちください」
などと言って、部屋を出て行く。
飽くまで平然。
私はとりあえず、部屋の様子を見回す。
するとシノ缶が、
「なかなか面白い船ですね。海軍の駆逐艦って、どこもこういう雰囲気なんですか?」
などと、すこし冗談っぽく言うが、
・・・おそらくシノ缶も、ここの雰囲気が異様である事に気が付いているらしい。
しかしそれ以上は何も言わず、部屋の備え付け給湯器の様にじっとしている。
・・・何か思案してる様にも見えるが・・・
しばらくすると、部屋の扉が開き、
「お食事をお持ちしました」
と言って、今度は第三種軍装の女性隊員が、紅茶とサンドイッチを持ってくる。
・・・ん?
よく見ると、さっきの女性士官と同じ顔である。
・・・なぜ、着替える?
それに・・・よく見ると髪型も違う。
・・・いくらなんでも、この短時間で髪型まで変えるのは妙である。
よく似た、別人?
・・・訳が分からない。
やはり、この艦は何かおかしい。
私はとにかく、この女性隊員に何か質問しようかと思ったが、
すると・・・その時、
突然シノ缶が、
「チチヤスぼーん!」
と言って、この女性隊員の胸を鷲掴みする。
・・・・・
な!!
何をやっている!?!
この給湯器、ついに頭がいかれたのか?!
・・・しかし、
この女性隊員は、全く表情を変えず、
何事も無いかのように、ただ平然と、
「一時間後に食器を回収に参ります。失礼いたします」
と言って、部屋を出て行く。
・・・・・?
・・・どう考えてもおかしい。
あんな事されて・・・
普通なら、多少表情の変化ぐらいありそうなものだが・・・
するとシノ缶が、
「・・・シリコン製。接客用サイバロイドですね。よく出来てます」
と言う。
・・・接客用?・・・何?
「どういう事です?」
と、私が聞くと、
「分かりやすく言うと、電動マネキン、と言った所でしょうか。たぶんこの艦の隊員は凡そ、この類で構成されているのかも知れません」
と、シノ缶が言う。
・・・は?



「電動マネキン?」
「ええ。我々人型司令機の簡易型、というか、その技術を応用して作った全くの別物なんですが。高価な生態器官をほとんど使わず、容易に量産できる機械部品で製造された人型の一種です。我々のような高度な司令能力はありませんので特定のプログラムに従って動く事しかできませんが、部分的とはいえ人型司令機の能力を機械部品で再現出来てしまうドイツの科学力は侮り難いものです」
・・・淡々と・・・シノ缶は答える。
・・・人型・・・?
ドイツの・・・?
「あれはドイツ製なのですか?」
「少なくとも、あれを開発したのはドイツです。ただ・・・どこの国の工場で作られたのかは知りませんが」
シノ缶は言う。
・・・どこの国の工場で作られたのか・・・?
つまり、日本製という可能性もある、という訳か?
・・・確かに。さっきのアレは、日本人っぽい顔立ちをしていたが。
しかし、そんなものが第7艦隊に配備されてるなんて話、私は聞いていない。
配備されていたにせよ、それはここ数日の事だろう。
しかし一体・・・何のために?
・・・・・
・・・そういえば、先ほどの空中戦・・・
敵戦闘機が、友軍機を攻撃するという全く人間味の無い行動を、何の躊躇も無くこなしていたが・・・
あれに乗っていたのが日本人兵士だったとすれば、あんな事は出来ない。
しかし操縦していたのが・・・人型だったとすれば・・・
・・・・・
・・・そして、この艦にも配備されている、人型・・・
・・・・・
・・・誰かが・・・
艦隊を操ろうとしている。
そしてそれは、何の躊躇も無く、友軍の艦艇を・・・
・・・桜艦隊を・・・?
・・・・・
いや、そんな事が出来るものだろうか。
例えばこの、駆逐艦磯波にせよ、機関の性質、個々の部品の特性まで熟知した高練度の隊員が綿密に携わる事によって、初めてその性能を発揮できるもので、それをあのような電動マネキンに置き換えたからといって、そうそう思い通りに動かせるものではない。
自動化が進んだ新鋭艦ならまだしも、この磯波は比較的旧式なアナログ機器も多く残っている。
部分的には人型で補えたにせよ、正常に航行するためには多くの人、日本人の能力が必要である。
「艦の運営はあのような電動マネキンに全て任せられるほど単純ではないと思いますが」
私が言うと、シノ缶は、
「そういえば、連合艦隊提督になるには、普通、人間ならその技術を習得するまでに数十年かかるそうですが、それをたったの数ヶ月で出来るようになった人型司令機がいらっしゃいますよね・・・ここの電動マネキンにどれほどの性能があるのかは分かりませんが、普通の人間なら習得するまでに数ヶ月掛かる技術を、たったの3日で覚えたとしても、さほど不思議は無いでしょう」
・・・・・
・・・確かに・・・
信じがたいが、不可能とも言い切れない。
・・・・・
・・・まあ、どちらにせよ、私は・・・
生きてここから脱出しなければならない。
この事実を・・・桜花提督に伝えなければならない。
・・・そうだ、私は・・・
提督を桜艦隊に戻す事で、まるで自分の仕事を終えたかのように思っていたが・・・
私は・・・
まだ終わるわけにはいかない。
桜花提督のもとにいる事が・・・私の使命。
そして・・・
私の望み。
私は何とかして、この部屋を出なければならない。
・・・・・
その時シノ缶が、
橘花さん、聞こえますか?
と、妙な事を言う。
なにこの、私の聴力に疑問があるような物言いは。
さっきから聞こえてますけど、何か?
・・・・・
?!
今のは・・・?
ああ、やっぱり・・・今の橘花さん、光波で会話が出来るんですね。
確かにこれは、光送受信。
私にこの能力は無い筈だが・・・
・・・いや、そういえば・・・今の私の体は・・・
先ほど、飛電改四でご一緒した時・・・どうにも妙だったので、失礼かと思いましたが橘花さんの内部形式の方も、ちょっとだけ見てしまいまして・・・どうやら今の橘花さんの体は・・・
最新鋭のELe‐N8系に更新されているみたいですね。

・・・な、
ELe‐N8系?
なんですかそれは。
桜花さんや以前の橘花さんの体、いわゆる64式の形式番号がELe‐N6系、
梅花さんはELe‐N7、そして今の橘花さんの体は、その次世代型という事になります。
・・・まあ、それの形式番号がELe‐N8になるのかどうかは定かでありませんが、
流れから言ったらそうなります。

・・・・・
・・・確か・・・この給湯器は覗きが趣味らしい。
で、それがどうしたと言うのです?
私が平然とそう返すと、シノ缶は一瞬驚いたように動きを止めてから、
・・・あ、いや・・・ご存知でしたのなら良いのですが・・・一応。
そして、彼女はやや神妙な態度になって、
・・・その、まあ、どのような経緯で橘花さんの体が最新鋭のものに換装されたのか詮索するつもりは無いのですが・・・その、つまりその換装作業は・・・正式な手続きを取らずに極秘裏に、極少人数の手によって、極最近行われた事なのではないですか?
・・・この給湯器は・・・何を言おうとしてる?
そもそも非合法の塊みたいなこの給湯器に、正式かどうかなど問われる筋合いは無い。
だったらどうだと言うのです?出来れば端的にお願いできますか。
と、私はまた平然と答えると、シノ缶はまたビクッとして、
・・・あ、いえ、ご存知でしたら良いのですが・・・あ、じゃあ・・・
もしかして、これもご存知でしたか?

と言ってシノ缶は、この部屋の入り口に向かう。
そして、扉のノブに手をかける。
すると・・・
・・・!
・・・扉が開いた。
ええ。この扉、最初からカギが掛かってないんです。つまり私たちは、
最初から、ここに閉じ込められていた訳ではないのです。

・・・な、
「これはどういうことですか?」
私は思わず言葉を使う。
するとシノ缶は、
「恐らく彼女たちは・・・あなたを敵の捕虜として認識する事が出来なかったのです。・・・たぶん、この艦を管理運営してる人は・・・」

・・・ELe‐N8系がこの艦に訪れるという事を想定していなかった、あるいは、
ELe‐N8系には・・・
アドルフィーナと同位の司令変換装置が搭載されているという可能性を考慮しなかった・・・

「・・・と考えれば、これまでの彼女たちの妙な対応にも辻褄が合います」
・・・アドルフィーナと・・・同位の司令変換装置?
「それは・・・確かなのですか?」
私が聞くと、シノ缶は、
「確かなのかと聞かれると・・・まあ、なんとも言えませんが、少なくとも我々の事を敵だと認識していたのなら、今ごろ『チチヤスぼーん』が私の辞世の句となっていた事でしょう」
・・・・・
・・・この給湯器は・・・
よく命懸けであんな間抜けな事が出来るものだ。


「で、これからどうしますか?」
シノ缶は静かに扉を閉めながら言う。
・・・どうする・・・と、言われても・・・
確信の持てない予測に基づいて行動を起こせるほど、私は無謀ではない。
そもそも、これほど容易に敵に司令機能を奪われるような馬鹿な真似を、彼らがそう簡単にするだろうか。
司令変換という重要な要素が、敵対する勢力と同一となるような極めて危険な可能性を、彼らがみすみす見逃すものだろうか。
・・・・・
これが偶然であるとは・・・とても思えない。
・・・では、
誰かが故意に、この状況を引き起こしたとすると、
先ず真っ先に考えられるのが・・・罠。
ここで私が行動を起こす事によって最悪の状況に導くための、敵の罠。
・・・しかし、
すでに戦力も無く、ほぼ最悪の状況だった私に、ある種、自軍の極秘とすべき部分を晒してまで導こうとする罠とは?
・・・あまりに非効率。
そこまでするくらいなら、私を早々に捕まえて脳内解析でもした方がよほど効果的である。
もちろん、状況をおよそ掴めてない今の私には、罠である可能性を全く否定する事もできないが。
・・・・・
・・・いや、・・・或いは・・・
この体・・・
・・・・・
「・・・アドルファ・・・」
・・・はい?なんです?
「いいえ、今のは独り言です」
・・・・・
・・・私は暫し黙り込む。
或いは、これが・・・アドルファの意図であったとすると・・・
・・・アドルファは・・・何を思って、この体を私に・・・?
・・・・・
・・・・・
・・・いや、ここで考え続けても、答えが出るわけではない。
ただ、
シノ缶が言っている事が事実であるかどうか、確認してみる価値はある。
とりあえず私は、部屋の入り口の方へ向かい、
静かに扉を開ける。
そして、そっと顔だけ出して、部屋の外の通路がどうなってるのか確認する。
通路には・・・
!!
扉のすぐ横に、先ほどの女性隊員。
彼女は微動だにしない。
まるでマネキンのように立っている。
その気配はどう見ても人ではなく、「物」である。
明らかに異様。
やはりこれは・・・人型である。
私は一旦顔を引っ込めて・・・
・・・しばらく考えてから・・・
今度は普通に歩いて・・・通路に一歩出てみる。
すると、人型は・・・
私の姿を確認したのか、体の向きをこちらに変える。
しかし、ぬけぬけと部屋から出てきた私を咎める事も無く、ただ、
敬礼する。
・・・・・
・・・なるほど。
もしかしたら、シノ缶の言ってる事は事実なのかもしれない。
私はとりあえず、普通に、
「食事はもう結構なので、食器を下げてください」
などと言ってみる。
すると彼女は、
「宜候。失礼します」
とだけ言って、部屋の食器を片付け始める。
・・・ほう。
するとシノ缶が得意そうに、
やっぱり私の言ったとおりだったでしょ?
たぶんおっぱい触っても怒らないですよ。やってみませんか?

バカはあなただけで結構です。

しかし、まだ、彼女らが我々を敵と認識していないとは断言できない。
この状況で何か・・・それを確認する手立てはないか・・・
・・・とりあえず、
私はこの人型に対して、おもむろに、
「作戦の進行状況は?」
などと聞いてみる。
それを聞いてシノ缶は一瞬驚いたような表情をするが、
人型は・・・
一旦動きを止める。
しばらく・・・彼女の頭部あたりから作動音がする。
そして、
「はい、中将。今尚、敵エレイテルは発見できず、探索を継続しています」
と言う。
・・・敵・・・エレイテル?
エレイテルって、何です?
たぶん・・・電算司令機の事だと思いますが。

「分かりました。作業を継続してください」
私が言うと人型は、
「宜候」
と言って再び食器を片付けて、
「失礼します」
と言って部屋を出て行く。
・・・すごいですね。彼女らは、我々を敵と認識していないばかりか、橘花さんの事を上官だと思ってるみたいですよ。
確かに・・・この状況自体が手の込んだ罠で無い限りは・・・そのように見えますね。

・・・それにしても、
彼女らが探索しているという敵司令電算機とは・・・なんだろう。
このあたりの洋上を探索して見付かるような司令電算機など、そうそういるものではない。
・・・もしかしてそれは、我々の事だろうか・・・
しかし我々は、もうすでにこの艦に発見されている。
・・・とすると・・・
まあ、それはそれとして、
どうするか、この状況。
「こうなったら、行ける所まで行ってみませんか」
シノ缶が、なんだかうれしそうに言う。
・・・何を浮かれている・・・
しかし、可能であるならば・・・この艦の状況を確認する必要はある。
今後のためにも。
「・・・そうですね」
私は再び部屋の扉を開き、通路に出る。
するとやはり、微動だにせず立っている人型。
彼女は私を見付けると、体の向きを変えてこちらに敬礼する。
私はとりあえず、普通に、
「ここはもう結構です。通常態勢に戻ってください」
などと言ってみる。
すると人型は、
「宜候」
と言って・・・去っていく。
どうにも素直すぎて、逆に気持ちが悪い。
あの子に付いて行ってみませんか?
シノ缶がさも面白そうに言う。
では、あなたが先に行って下さい
了解。

シノ缶はすいすいと進んでいく。
この給湯器は・・・警戒心というものが無いのだろうか。
場合によっては友軍でも躊躇せずに攻撃するような輩の只中にいるというのに。
私はなるべく音を立てないように・・・その後を付いて行く。


艦内は・・・異様に暗い。
そして相変わらず、人の気配は無い。
この型の駆逐艦は通常、所狭しと隊員が行き交っているものだが。
・・・誰もいない・・・
まるで・・・幽霊船のようである。
そしてその中を、不気味に音も無く進む人型。
私は、銃を捨ててしまった事を、少し後悔し始める。
まあ、この人型が複数で押し寄せてきたら、拳銃など無意味かもしれないが・・・
しばらく行くと人型は、やや広い部屋、
おそらく以前は倉庫として使われていたらしい場所に入る。
そこには・・・

同じ顔をした人型が複数。
直立姿勢のまま、全く動かないそれらが整然と並んでいる姿は、
なんとも気持ちの悪い光景である。
ここは・・・人型の待機所になっているのだろうか・・・
ははあ、これはこれは・・・マニアにはたまらない光景ですね。
・・・マニア・・・と、いいますと?

いえ、まあ、桜花さんが実戦配備されて以降、そういう・・・趣味の方が巷には増えてるんですよ。

・・・いまいち・・・意味が分からないが・・・
奥の方には、さらに別のタイプの人型が数機。
こちらの方は、手前の人型よりも外見的に簡素化されているらしく、
皮膚らしいものも付いていない。
のっぺりとした軽金属の頭部には、穴がふたつ。
これが目だろうか。非常にシンプル。
恐らく・・・作業用かと思われる。
一機だけ、油まみれで、中腰の妙な姿勢で止まっている。
故障機だろうか。
たぶん、ここには人型の修理機能は備わっていないらしい。
修理機能を艦に備えるより、予備機を多めに積んだ方が効率的という事だろうか。
私は、この人型がどの程度の機能を持った物なのか知る術はないかとあたりを探してみるが、
特に無し。
接続装置らしいものがふたつほどあるが、これはたぶん、ただの充電器。
ここには情報を得られるようなものは無い。飽くまでただの倉庫。
ある程度の情報を得るためには・・・やはり、
司令中枢へ行くべきか。
私はこの倉庫を出る。
え、もう行っちゃうんですか?
視覚情報以上に得られる情報は、ここには無いでしょう。

・・・確かに、そう・・・かもしれませんが・・・

シノ缶は、妙に名残惜しそうにきょろきょろ振り返りながら、付いてくる。
さて、
現在位置は後部、第2甲板。
司令中枢は同じ階層、ここより艦首側にある。
私は再び、薄暗い通路を歩き始める。
上甲板に上がるには、ここからだと艦尾側の第5ハッチが良いかと思います。その方が内火艇に無理なく到達できます。
上甲板には上がりません。

・・・え、この艦から脱出しないんですか?

それは、ここで得られる情報を得てからです。司令中枢に行きます。

・・・司令中枢・・・それは危険ではないですか?

危険かどうかという観点から言えば、ここもすでに危険ですし、ここから脱出したからと言って安全になるとは限りません。むしろ、安易に艦外に出れば、再び敵と認識される可能性も有ります。

・・・なるほど・・・確かに。では私が先に行きます。

と言って、シノ缶が私の前を進む。
そして再び薄暗い通路。
・・・いや、前方に明るい箇所がある。
これが司令中枢?
かと思いきや、違う。
その光は、下部構造に続く昇降口から漏れている。
・・・この下は・・・機関部?
私は静かに昇降口を覗き込んでみる。
ここは・・・通常に明かりが点いている。
敷波型特有の、やや高いタービン音。
特に異常は無い・・・が、
・・・なんとなく、人の気配がする。
人がいるのかも知れない。
・・・・・
人の気配がします。
私が梯子を降りようとすると、それを制止し、シノ缶が、
私が先に見て来ます。
と言って、するすると梯子を降りていく。
・・・まあ、私が先だって行くより、替りがいくらでもいる給湯器が行く方が妥当だろう。
下階層に降りたシノ缶は、しばらくあたりを見回す。
大丈夫みたいです。
私も梯子を降りる。
機関部左舷側通路。
機関のすぐ近くという事もあって、それなりの騒音。
誰もいない。
・・・先ほどの、人の気配は・・・気のせいだろうか。
私はとりあえず、機関要員待機室に向かう。
すると・・・
・・・・・
・・・やはり、誰かいる。
人間の・・・男の息遣いが聞こえる。
それは・・・かなり荒い。
負傷でもしているかのような、荒い呼吸。
・・・負傷者が・・・いるのだろうか。
少々ここでお待ちください。様子を見て来ます。
シノ缶が先行する。
するとその時、荒い呼吸と共に男の声が、
「・・・オーカちゃん、いいよ・・・いいよ〜・・・」
・・・・?
・・・桜花ちゃん?
確かに。そのように聞こえましたね。

シノ缶は警戒しながら、待機室の中を覗き込む。
シノ缶は・・・
一瞬驚いたように停止してから・・・何も言わない。
そして、そのまま中に入っていく。
しばらくすると、
「あなた、なにをやってるんです?」
とシノ缶の声。
すると部屋の中から「わ!」と驚いたような男の声がして、
しばらく、何かをこそこそと話す声。
・・・?
少し経ってから、シノ缶が待機室から出てきて、
もう大丈夫です。ええと・・・制圧しました。
・・・制圧?
私は恐る恐る、待機室の中に入る。
すると・・・
メガネをかけたやや太り気味の男が直立不動の姿勢で敬礼している。
階級章は、二等兵曹。
そしてその奥には・・・なぜか桜花提督っぽい服装をした人型。
しかし、服の色は・・・なんとも淫靡なピンク色。
よく見ると、帽章と階級章のデザインもかなり違う。
市販の模造軍服?
・・・?
私がそれをまじまじと見ると、兵曹は恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。
「あなたはここで何をやっているんですか?」
私が聞くと、兵曹は、
「は!、その・・・人型の整備点検を行っておりました!」
「整備点検?・・・あなたは、これの整備ができるのですか?」
再び私が聞くと彼は、ものすごく焦った表情で、
「はい!や、いいえ!できません!」
などと言う。
・・・怪しい。
するとシノ缶が、
要するに、彼がマニアです。
と言う。
・・・?
「あなたはマニアなんですか?」
橘花さん、そういう質問はしないであげてください。
兵曹は顔を真っ赤にして・・・あ、泣いている。
泣いてるわりに、表情は・・・妙にうれしそう・・・
・・・・・
・・・訳が分からない。
で、
「ここでのあなたの任務は?」
私が聞くと兵曹は、
「は!機関部区画の管理であります!」
「この区画には、人員は何名いるのですか?」
「は!自分と、あと、現在非番の1名であります!」
・・・2人?
「機関部をたったの2人で管理できるのですか?」
「は!作業は人型がやりますので・・・自分は、機関部および人型に異常が生じた場合に上層部へ連絡するのが主な任務であります!」
・・・・・
・・・なにやら・・・
彼の話が事実だった場合、ここはかなり妙な状況になっているらしい。
その後私は、この兵曹にいろいろ質問をしてみるが・・・
どうにも謎が多い。
そもそも彼がここに配属されたのは10日ほど前で、その段階ですでに、機関部での作業は全て人型が行っており、全く人の手は必要としない状況だったらしい。
ちなみにそれ以前は、彼は軍令部で軽度事務員として勤務していたため、第7艦隊がどのような経緯でこのような状況になったかは全く知らず、そして今も、航行中は機関部区画から出る事は禁止されていて、現在この艦がどのような状況に置かれているかも全く知らない。
つまり・・・
この兵曹は何も知らずに、ただ、全自動で働く人型を、ただ眺めてるだけ・・・という凡そ閑暇な仕事を10日間、ただ粛々と行っていたらしい。
・・・なるほど。
「で・・・後ろの人型の、この服装はいったい何なんです?」
橘花さん、そういう質問はしないであげてください。
兵曹は顔を真っ赤にして、また泣き出す。
・・・謎が多い。


彼に代わって私が説明いたしますと、
これは、深夜アニメ「宇宙空母アカギ・フロンティア」第1シーズン12話目から登場した「オーカ・キサラギ」のコスです。
当初サブキャラとしての位置付けだったオーカ・キサラギですが、その桜花提督を彷彿とさせるキャラ性により、主役ヒロインを喰ってしまう程の人気を博し、第2シーズンからはメインとして登場。放送時間帯も早まりメジャーアニメに鞍替えす事となりましたが、その為、当初の魅力とも言えたダークアダルトな要素は極力抑えられ、また、あまりにも「狙いすぎ」な演出が、結果的に当初のコアなファンからの不評を買う事となり、第3シーズンからは再び深夜帯に戻され・・・

もう結構です。

「では質問を変えます。二曹、この区画の人型は全てあなたの命令に従うのですか?」
私が言うとこの兵曹は、
「は!いいえ中将。この区画の人型は、自分の命令には従わず全自動で作動しております。しかし、この子・・・いえ、この人型だけは、一日に4回、計2時間のみ作動して、限定的に自分の指示に従い身の回りの世話等をしてくれます。それはもう、素直で・・・健気に掃除などをしてる姿は、なんとも・・・」
「質問にだけ答えれば結構です」
「は!」
ほほう・・・この人型は、長期間任務におけるフラストレーション対策ですかね。停止してる間にお着替えさせて、お好みのコスで部屋のお掃除なんて。マニア心が分かってますねえ。こんな所に男のパラダイスがあったんですねえ。
少し黙っててください。

とりあえず、
この区画の状況はだいたい分かった。
この骨抜き兵曹からは重要な情報は得られない。
長居は無用。
当初の予定通り、私は司令中枢に向かう。
梯子を上り、再び薄暗い第2甲板。
あ、私が先に行きます。
シノ缶がいそいそと前に出る。
艦内には相変わらず人影は無い。
いや、前方に警備兵らしき者が一人。
やはり同じ顔。人型。
私を見ると、彼女は敬礼する。
その後ろには、司令中枢に続く扉。
あ、ここから先は、カギが掛かっているみたいです。
シノ缶が言う。
・・・まあ、通常、そうそう簡単に部外者が司令中枢に入れるものではない。
さて、どうするか。
この子に頼んでみてはどうです?ひょっとしたら入れてくれるかもしれませんよ。
頼んで何とかなるほど軍艦の警備は甘くない。
・・・はずだが。
私はとりあえず、何気ない素振りで、
「橘花中将、司令中枢に入ります」
などと言ってみる。
すると警備の人型は、
「認証符号を送信してください」
と言う。
・・・認証符号?
・・・・・
やっぱり・・・ダメでしょうかね。
・・・そのようですね。

すると突然、人型が、
「受信。符号を確認しました」
と言ったかと思うと・・・
・・・司令中枢の扉が開いた。
・・・・・?
橘花さんは、認証符号をご存知だったんですね。
・・・いいえ。知りません。

でも今、橘花さんからそれらしき電波が一瞬放出されましたよ。

・・・?
これは・・・
・・・ELe‐N8系とやらの機能だろうか。
それとも・・・
・・・・・
・・・何か、妙な感じがする。
まるで私は・・・誰かの意思により、そこに導かれているような・・・
・・・・・
・・・そういえば、
私はなぜ、この艦の司令中枢へ行こうと思ったのだろうか。
この艦の情報を得るため?
いや、それにしても、
わざわざ警備厳重な司令中枢へ直接行こうなどと大胆な判断を、以前の私ならしただろうか。
・・・これは・・・
私の意思なのだろうか・・・
・・・・・
・・・行かないんですか?
シノ缶が言う。
もちろん・・・行きます。
私はその扉を越えて、中に入る。
中にはもう一枚、密閉式の扉がある。
こちらは既に、ロックが解除されている。
私はそれに手を掛け・・・開く。
・・・司令中枢の中は・・・
やはり暗い。
通常、駆逐艦であっても航行中その司令中枢は、多数の計器や表示画面がひかめいているものだが。
ここで光っているものは、ぼんやりとあたりを照らす蛍光灯ひとつと、機械類は一応正常に作動している事を示す無数の青いランプのみ。
そしてこれまで同様、人の気配は無い。
冷却ファンの音だけが聞こえる。
機械類は正常に作動しているのに、画面が表示されていないという事は、ここでは視覚情報に頼る必要は無い、つまり、この司令中枢は人間を必要としない・・・という事なのだろうか。
私は闇に目を慣らしながら、ゆっくりと中へ進む。
すると、足に何かが引っ掛かる。
何かの接続コード。
よく見ると、床は足の踏み場も無いくらいにコードで埋め尽くされている。
人の侵入を拒むかのごとく、まるで根の様に張り巡らされた配線。
ここまで来ると、もう、これ全体が何か、生き物の様にも見える。
・・・いや、むしろ・・・艦に取り付いた寄生物とでも言うべきか・・・
そしてその配線の多くは・・・ある一点に向かって収束されている。
その先には・・・
人型電算機仕様の司令座席。
そしてその両隣には、直立姿勢のままで停止している人型が2機。
一機は黒髪に大きなリボンを付けている。もう一機は栗色のショートヘアー。
・・・ん?あの司令座席には・・・誰か座ってるみたいですね。
という事は、合計3機。
たぶん座っているのが、この艦の司令機だろうか。
しかし・・・ここからでは背後になっていて、その顔は見れない。
さすがに司令機は、他の人型よりは頭が良いだろうから、ここで私の姿を見たら敵と判断するだろうか・・・
・・・そう思いつつも・・・
私は恐る恐る、それに近付いて行く。
私は音を立てずに近付いたつもりだったが、
その気配を感じたのか、左右に立っている人型が、同時にこちらに向きを変える。
あ、銃を携帯している!
・・・が、
それ以上の動きは無い。
しかし、今までの人型と違って、敬礼はしない。
ただ向きを変えて、じっとこちらを見ている。
赤い目。
・・・非常に不気味。
これ以上・・・近付くのは危険だろうか・・・
橘花さん、下がってください。私が先行します。
シノ缶が、床の配線に絡まりながらヨタヨタと私の前に出る。
私は姿勢を低くして、一歩後ろに下がる。
すると、人型は・・・再び向きを変えて、今度はシノ缶の方を見る。
・・・この、2機の人型は・・・今までの人型とは動きが違う。
どうやら近付く物に反応しているらしい。
恐らく、中央に座っている司令機を護るようにプログラムされているのかもしれない。
そしてシノ缶は、少しずつ前に進む。
するとその時、人型が2機同時に、銃をシノ缶に向ける。
これは・・・!
シノ中将、下がってください。
大丈夫です。いくらなんでも精密機器が並んでいる司令中枢で銃など発砲すればどのような事態になるかぐらい、彼女達も分かっています。これはただの脅しで・・・

「ドン!」

・・・撃った。
シノ缶が撃たれた!
そして人型はシノ缶に向けてさらに止めのもう一発・・・
・・・を撃つ前に、私は素早くそれの左側に回り込み、滑り込むように人型の足を蹴り払う。
と、同時にもう一機の人型が私に向けて銃を発砲。
人体を貫く鈍い音。
しかしそれは私の体ではなく、人型。
幸運にも、蹴りを入れた方の人型が倒れながら私の盾になったらしい。
私は黒髪リボンの人型を盾にしながら素早く銃を拾い、ショートヘアーの人型に向けて3発撃ち込む。
最初の2発は弾ける様な金属音、しかし3発目は眼孔あたりに、鈍くめり込む音。
頭部から液状の物が飛び散る。
そのままショートヘアーの人型は倒れて動かなくなる。
・・・が、黒髪リボンの人型は、まだ動いている。
私はそちらにも3発、頭部に撃ち込む。
まだ動く。
さらに3発。
鈍い音。
潰れた頭部から、kkkkk
・・・完全に停止。
・・・・・
制圧。
・・・私の息が・・・荒い。
我ながら・・・自分の素早さに、やや驚く。
シノ中将、大丈夫ですか?
返事は無い。
「シノ中将・・・」
大丈夫です・・・ちょっとヘコみましたが・・・大丈夫です。中まで行ってません。
シノ缶はゆっくり起き上がり、ヨタヨタとこちらに近付いてくる。
若干ヘコんでいる。
いやあ、油断しました。まさか本当に撃ってくるなんて・・・
と言った所で、シノ缶は驚いたように動きを止める。
・・・?
私はシノ缶の視線の先を見るために振り返る。
すると・・・司令座席に座っているのは・・・
・・・アドルフィーナ?!
アドルフィーナが座っている。
それは目を開いたまま、固まったように動かない。
頭部あたりから作動音だけが聞こえる。
なぜ・・・アドルフィーナがここに?
たぶんこれは、アドルフィーナを模して作られた端末司令機です。
・・・端末司令機?・・・これが、端末?
今までの人型とは違って、かなり人間に近い外観。
少なくとも、外皮は生態で出来ている。
あれだけの騒ぎにも全く反応しない所を見ると・・・これに入ってるのは今の所、予め決められた作戦通りに艦を運行する機能のみで、意識は入っていないようですね。でも、いつ彼女の意識がこの体に入ってくるか分からないので、早々に外部接続を遮断した方が良いかもしれません。
と言ってシノ缶はアドルフィーナの頭部についている接続コードを外そうとするが、
・・・いや、安易にこれの接続を解除したら、この艦の司令系統に異常が生じているという事が敵に知れてしまいますかね・・・
シノ缶は動きを止めて、しばらく考え込む。
とりあえず・・・当初の予定通り、ここで得られる情報を得たいと私は思いますが。
あ、そうですね。ええ。・・・あ、待ってください。
トラップがあるかもしれないので、私が先に接続します。

シノ缶は接続コードを出して、それを司令座席の予備接続口に差し込む。
・・・しばらく静寂。
シノ缶から作動音がする。
私はただ、それを見てる。
・・・・・
・・・・・
おっと!・・・危ない危ない。以前はこれにやられたんですね。うん。・・・でも同じ手は利か〜ぬ。
・・・なんですか?
あ、トラップです。ええ。でも大丈夫です。突破しました。
・・・なんだか・・・シノ缶は妙に楽しそうだが・・・
そしてまた、しばらく静寂。
・・・・・
・・・・・
ほほう・・・これは興味深い。
なんですか?

この艦には・・・
先ほど機関部にいた2名と、艦尾区画に2名の計4名しか人員がいないみたいですね。

たったの・・・4名?
ええ。4名です。しかし・・・面白い事に、この4人がいなくても、この艦の運営に支障は無い・・・という事になってるみたいです。
・・・では、なぜあそこに人員が配置されているんです?

さあ、それは分かりませんが・・・なぜか、この人達の行動、睡眠、食事、トイレ、その他諸々、すべて監視され、克明に記録されています。・・・人型によって完全管理された閉鎖空間で、桜花さん似の素直でかわいらしい人型と一緒に・・・どんどん骨抜きになっていく人間・・・そんな様子が、なんとも克明に記録されてますね。特に、艦尾区画にいるお二方は・・・それはもう、筆舌に尽くしがたい変貌を遂げていらっしゃるみたいです。・・・うっかり艦尾区画に行ってみなくて良かったですね。

・・・・・
・・・いったい・・・何の為に?
さあ、それは私にも分かりません。しかし、何か目的があってやっているのだとは思いますが。

・・・訳が分からない。
・・・・・
・・・おっと、発見!本艦の作戦情報!
どんな感じです?

・・・・・
シノ缶はまたしばらく静かになる。
そして・・・
・・・あ!これはまずいです!当艦は5分後に・・・あ、いや、最初から説明します。
この艦は現在隠密行動中・・・なのか、そもそも作戦重要度が低いためかは分かりませんが、緊急事態が生じない限り、作戦本部との連絡は2時間に一度の超圧縮送受信のみとなっているのですが、その送受信の時間が、あと5分後に迫っています。

それは・・・どういう事です?

我々が今までこの艦内で自由に動き回れたのは、この艦の人型が私達を敵と認識できていないという事実を誰も把握していない、つまり、この艦は、私達がここに来てからまだ一度も本部に連絡を取っていないからなのです。しかし、この艦の状況を本部に送信されて、それなりに判断力のある人がその情報を見れば、この艦に異常事態が生じているという事が知られてしまいます。そうなれば・・・当然、ここの人型の行動プログラムは変更され、彼女達は・・・我々を敵と認識するようになるかもしれません。

・・・つまり・・・最悪の場合、5分後にあの人型が大挙して襲ってくると?

そうです。

・・・・・
・・・それはまずいですね。
ええ。まずいです。とりあえず、この区画の扉をロックします。それで・・・この艦の情報が本部に送信される前に、その情報を改ざんして、私達がいた痕跡を消してしまう必要があります。はい。すぐに作業に取り掛かります。

そしてシノ缶は静かになる。
焦っているためか、先ほどよりやや大きな作動音。
しばらくすると・・・湯気?
シノ缶から湯気が出ている。
・・・これはかなりまずいのかもしれないが・・・
私はとりあえず、先ほど倒した人型から、銃と予備弾倉を回収する。
弾薬は全部で・・・25発。
先ほどの戦闘で、この人型は正面から眼孔に命中させれば拳銃でも一発で倒せるらしいという事は分かったが・・・
そもそも射撃管制装置など搭載していない私がそれをやるのは至難の技である。
まして、防弾バイザーなど装備して来られたら、もう打つ手が無い。
・・・・・
・・・そうこうしてるうちにも、時間は刻々と過ぎて行く。


・・・これは・・・まずいですね・・・送信までに情報処理が間に合わないかもしれません。
シノ缶が言う。
では・・・早々に撤収しますか?
いいえ、先ほど橘花さんが言われたとおり、安易にこの艦から脱出しようとすると、攻撃するようにプログラムされているようです。たぶん・・・下の階層にいる殿方が逃げ出さないようにする為の処置かもしれませんが。とりあえず・・・私が以前趣味で作った自衛用の射撃管制ソフトを橘花さんにお渡ししときます・・・あ!これは、飛電改四の空戦ソフトを入れるスペースを空けるために先日消してしまったんですね。・・・ええと、何か使えるソフトは・・・あ、柘植久慶のナイフ・ファイティング!
・・・は、ダメですね。ええと、

落ち着いてください。
大丈夫です。私は冷静です。

湯気が出てますが。

これは仕様です。

・・・どちらにせよ、拳銃一丁でこの艦を制圧するのは不可能です。ここから脱出する手段も無いのであれば、そもそも近接戦闘など行う意味がありません。

それは・・・確かにそうですね。それでは・・・ええと、どうしましょうかね。

・・・・・
・・・時間は刻々と過ぎて行く。
あ!そうだ・・・橘花さん、これを、
と言って、シノ缶はもう一本接続コードを出して、私に手渡す。
・・・なんですかこれは。
2機の人型司令機の頭脳を並列使用すれば、演算速度が上がります。

・・・つまり、私もこれに接続しろと?
なんだか・・・あまり気が進まないが・・・迷っている時間は無い。
私はそのコードを耳の後ろに接続する。
それではちょっと、お借りします。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
「橘花さん」
・・・シノ缶の声。
・・・?
情報処理の進行具合はどうですか?
・・・え?、ええ。完了しましたが。

完了?
あれから・・・いつの間にか2分ほど経過している。
・・・私は意識を失っていたのだろうか。
それはつまり、この艦の情報から、我々がいた痕跡を消去する事が出来た、という事ですか?
私が聞くと、シノ缶は・・・一瞬黙り込む。
そして、
・・・橘花さん、何を言っておられるのです?今、ご自身でそれをやっていたではないですか。
・・・・・
・・・は?
橘花さんはハッカーとしても優れた技術をお持ちだったのですね。いやはや。さすがにちょっと私も嫉妬してしまいましたよ。
・・・・・
私が今・・・この艦の情報改ざんをやっていたという事ですか?
ええ。・・・覚えていらっしゃらないんですか?

・・・・・
まあ、生態頭脳の多くを電算処理に使うと、その間の記憶が保存できなくなるというのは正常な事だと聞きましたが。私も実戦配備された当初は、作戦中の記憶はほとんど飛んでましたし。
・・・いや、そんな筈は無い。
生態頭脳の多くを電算処理に使っていたとしても、それを自分の意思でやったのならば、その行動に至るまでの記憶は残っている筈である。
・・・では・・・いったい何なのだ。
・・・・・
・・・私、以外の意思?
まさか・・・
・・・いや、・・・以前にもこういう事はあった。
あの、夕張の地下施設で・・・私以外の意思が、
確か・・・「藤花」という名の・・・
・・・藤花?
・・・・・
・・・藤花の意思?
いや、違う。あの時は私の意思が藤花の体に入っていたから・・・
・・・・・
・・・でも、この体も・・・
そもそも、私のものであると言えるのか・・・
・・・・・
・・・そう言えば・・・確か、
・・・私の中には、二つの自分があって・・・でも、どっちも自分なんだから・・・
とか、
藤花がそんな事を言っていた様な気がする。
あれは・・・
・・・・・
・・・誰か・・・いるのか?
・・・・・
それとも、私の意思なのか・・・
わからない。
なにがなんだか・・・わからない。
・・・私はまた・・・不安の闇に落ちていく・・・
そう、私が・・・そもそも私が、私と認識しているこの意思も・・・
・・・橘花である確証は無い。
もしかしたら・・・橘花はもう、とっくの昔に死んでいて、
・・・私は・・・
・・・・・
「何はともあれ!」
シノ缶の声で、私は我に帰る。
「とりあえず最低あと2時間は、めでたく、この艦は我々の制圧下になりましたね」
シノ缶は妙にうれしそうである。
という事で、見るべきものを見させてもらいましょうか。
そうだ、私は・・・この艦の情報を見るために、ここへ来たのだ。
余計な事を考えている暇は無い。
そうですね。
では早速。

と言ってシノ缶は、アドルフィーナのスカートをめくる。
「おお、意外とかわいい・・・」
・・・・・
・・・冗談ですよ。突っ込んでくださいよ。
無視して私はこの艦の情報を抜き取る。


・・・この艦の運行記録は・・・
十日前までしかない。
つまり、9月1日以前の情報が無い。
消去されたのだろうか。
運行記録どころか、整備記録その他、艦の安全を維持するために必要な記録もすべて、存在しない。
まるでこの艦そのものが、9月1日以前には存在していなかったかのようである。
人型で全ての制御を行っているこの艦には、そのような人間用の記録は必要無いという事なのだろうか。
あるいは、全ての情報は外部からもたらされているのか。
どちらにせよ、この艦の情報を見ただけでは、敵の戦略を読み取る事は出来ないという事か。
しかし・・・十日前、
この艦は・・・単冠湾にいたらしい。
そして先ほどの情報送受信も、その相手先の方角は・・・単冠湾あたりだろうか。
・・・択捉島、単冠湾・・・
そこが第7艦隊の拠点となっているのだろうか。
あの区域は、海軍の極秘要塞・・・などと巷には言われているが、
以前行った時には、滑走路といくつかの防空設備があるだけで、大した港は無かった筈だが・・・
少なくとも、機動艦隊を補給・維持できるだけの設備は無い。
いや・・・そういえば、あの時、
確か、7月の12日。
国籍不明機の接近を確認したが、軍令部から「これに対応する必要無し」と言われ、
そしてその翌日・・・
アドルフィーナが飛鳥に来たのだ。
・・・択捉島、単冠湾・・・
あそこには、軍令部とドイツを繋ぐ何かがあるのかもしれない。
・・・・・
どちらにせよ、この艦の情報からでは未だ何とも言い難いが。
この艦は9月1日からその後九日間・・・
特に何か重要な任務を帯びていた様子は無い。
通常警戒任務・・・と言うよりは、試験航行に近い感じ。
人型とこの艦の適応度を確認するつもりだったのだろうか。
二日前には単冠湾に戻る予定だったのか、一度進路を北東の方へ向けていが、
昨日、不時着水した敵司令電算機を回収するという任務を帯びて再びこの海域に留まり、今なお捜索行動を行っている。
・・・この、不時着水した敵司令電算機というのは我々の事だろうと思われるが・・・
恐らく彼らは、これを、空軍が試験的に開発した簡素な戦術型司令電算機だと判断したらしく、この捜索行動自体、それほど重要な作戦とは位置付けられていないらしい。
そもそもこの駆逐艦磯波自体が、戦略的にそれほど重視はされていないのかもしれない。
・・・それと、
もうひとつ妙な事がある。
・・・妙ですね。
磯波は確か・・・汎用駆逐艦でしたよね。この性能で・・・対潜戦闘が出来るのでしょうか。

この駆逐艦磯波は、機関に出力制限が掛けられている。
また、一応旋翼機は搭載されているが、その運用機能は削除されている。
そもそも、この艦の人型には旋翼機を操縦、整備する能力が無いらしい。
その他にも、あらゆる機能に制限が掛けられており、戦闘能力が大幅に低下している。
特に、人型にとっては制御が困難と思われるアナログな作業が多く存在する箇所ほど、その制限が付けられている。
やはり、人型だけでこの艦を運営するのは無理があるという事だろうか。
それならなぜ、あえて人型による完全制御にしたのだろう。
・・・どうにも、早計な感がある。
飽くまで試験配備であったとしても、現在の逼迫した状況を鑑みると、せめて、それなりの戦闘能力が発揮できるレベルに達してから作戦行動を行うべきではないのか。
もしかしたら現在第7艦隊は、極度な人員不足に陥っているのかもしれませんね。
・・・確かに・・・この艦の状況だけ見れば、そのようにも考えられますね。

しかし、なぜ、本来配備されていた第7艦隊の要員を使わないのか。
・・・いや、考えてみれば・・・
第8艦隊の例がある。
彼らは、軍令部には従わず、桜花提督の側に参じたのだ。
あの時点では第7艦隊もまた・・・そうなる可能性はあった。
現在その要員の意識を幾分掌握できていたとしても、この後、桜花提督を有する桜艦隊と対峙した場合、まともに戦う意思を示せるかどうかは疑問である。
艦隊戦の最中に艦艇規模での不服従があった場合、それは艦隊全ての死活に関わる。
・・・・・
・・・そう、或いは・・・
この艦は、人型による完全制御をあえて行ったのではなく、
そうせざるを得ない状況だったから、行ったのではないか。
・・・そう考えると、この艦の、
敵司令電算機に司令中枢を乗っ取られるという、あまりにも間抜けな管理体制にも納得が出来る。
・・・・・
・・・もしかしたら、敵は、
大きな弱点を抱えているのではないか。
だとすると・・・
・・・これは、
何としても、桜花提督に報告しなければ。
しかしどうやって・・・
我々の存在が敵に知られる事を覚悟で、この艦の通信装置を使うか・・・
・・・いや、それはまだ時期尚早。
仮説の域を出ない情報を伝えるために命を賭す訳にはいかない。
それにまだ今の、この状況には利用価値がある。
もっと深く潜り込めば、桜艦隊にとって確実な利となる情報を掴めるかもしれない。
敵の拠点となっている場所、それの実態、そして弱点を把握できれば・・・
・・・確実な勝機となる。
しかし、時間はそれほど無い。
今は未熟な人型も、いずれは戦闘に必要な錬度を構築する。
しかし、この艦がここに留まっている以上、第7艦隊の中枢を探る事はできない。
・・・とりあえず、
洋上にいるはずの無い司令電算機を回収するために洋上を探すという、この間抜けな捜索行動を終わらせなければ。
これが完了すれば、恐らくこの艦は一旦、拠点に戻るはず。
そうすれば、敵の中枢を探れる。
・・・その為には、先ず、
洋上を漂っている空軍司令電算機、もしくはそう認識できる物を、この艦が回収しなければならない。
・・・洋上を漂う司令電算機・・・
・・・・・
シノ中将閣下。
はい、なんです?

もう一度、海に落ちてみる気はありませんか?






桜花

・・・・・
・・・ここは・・・
どこでしょう。
・・・・・
・・・?
あ、
医務室です。
飛鳥の医務室で、桜花は横になっています。
・・・ええと?
・・・・・
あ、そうです。
桜花は飛鳥に帰ってきたのです。
それで、桜花を乗せた旋翼機が着艦する頃には、もう、
飛鳥の後部甲板は人でいっぱいで。
いやあ、てんやわんやの大騒ぎです。
いやあ、ほんとに。
桜花もうれしくてうれしくて。
元気に手を振って皆さんのお迎えに答えようと思ったら・・・
なんだか、急に・・・立ちくらみがしたのです。
・・・それから・・・
・・・・・
「きっと疲れが出たのでしょう。でも、もう大丈夫です」
・・・と、シノさんの声がします。
でもそれは、私に言ってるのではなく、となりの・・・
艦長さん?・・・と野田さんもいます。
二人とも桜花の方をじっと見て、なんだかうるうるしています。
・・・ああ、私は・・・
また、皆さんにご心配をおかけしてしまったのですね。
ほんとに桜花は、皆さんに心配ばかりおかけして・・・
連合艦隊提督が、こんな事ではダメですね。
ええ。
・・・・・
・・・は!
こうしてはいられません!
桜花が艦隊に戻った事が敵に知れたら、また攻撃されるかもしれません。
司令中枢に行かなければ!
桜花はあわてて起き上がろうとしますが、それを制止するように野田さんが、
「慌てるでない。桜艦隊の防御は万全だ」
と言うのですが、
「でも・・・」
「そうですよ桜花さん。桜花さんがいない間にも、敵は幾度か攻勢的な動きを示した事があったのですが、その都度我々は力を合わせてそれを撃退してきたのです」
と、シノさんが言います。
・・・ん?
シノさんはずっと私と一緒にいたじゃないですか。
・・・と、思ったら、
このシノさんは、飛鳥にいた方のシノさんですね。
ああ。
シノさんも。ああ、大丈夫だったんですね。
良かったです。
・・・・・
・・・ところで、
木島さんは?
「木島さんはどこにいらっしゃるのですか?」
と、私が聞くと、
全員が一瞬顔を見合わせてから、
・・・少し沈黙の後、野田さんが、
「・・・木島は・・・死んだ」
・・・・・
・・・え?!
な、・・・冗談でしょう。
そんな・・・木島さんが・・・
「どうして!・・・どうして木島さんは・・・」
「まあ、落ち着いてください」
シノさんは妙に落ち着いた声で言うのですが、
そんな!落ち着いていられますか!
桜花はもう・・・何がなんだか分からなくて・・・
ぼろぼろ泣き出してしまいますが、
シノさんは再び落ち着いた口調で、
「まあ・・・とりあえず、木島中将から遺言を預かっていますので。こちらをどうぞ」
などと言って、接続コードを出して桜花に手渡します。
・・・遺言?
桜花はコードを耳の後ろにはめ込みます。
すると・・・
・・・・・
・・・あ、木島さんの動画です。
日付は9月3日。場所は・・・飛鳥庵の厨房の裏?
・・・遺言を撮るには・・・なんだか落ち着かない場所のような気がしますが・・・
木島さんは、動画に撮られるのに慣れてないのか、ちょっとはにかんでから、冗談っぽく手を振って、
「お〜い、桜花。元気か〜?」
とか、言います。
・・・元気じゃないですよ。
そして木島さんは、とても軽い口調で、
「一応言っておくがな、おれ、死んでないから。事情があって、とりあえず死んだって事にしておくけど」
などと言うのです。
・・・は?
「木島さんは死んでないんですか?!」
と、桜花が言うと、みんなそろって、
「シー!」
と、言います。
そして艦長さんが、にた〜っと笑います。
・・・・・
・・・ええと?
なんです?
・・・・・
とりあえず、動画は続きます。
「あのなあ桜花、お前は嘘付くの下手だから・・・俺が生きてるって事、みんなに言うんじゃないぞ」
・・・もう言っちゃいましたよ。
でも・・・どうやらここにいる人たちは、この事を知ってるみたいです。
ていうか・・・泣いて損したじゃないですか。
もう。ひどいです。
・・・で、なんなんです?この、手の込んだ冗談は。
「べつに、冗談でやっているのではないのですよ」
接続コードを通してシノさんの声が入ってきます。
「木島中将は死んだという事にしなければならない事情が・・・この艦隊にはあるのです」
・・・事情?
この艦隊には?
どういう事です?
「・・・まあ、その事は後でお話します。その前に・・・」
と言ってシノさんは、桜花の耳の後ろに何かこちょこちょと、
わ!
なんですか!いきなり!
妙な機械を取り付けます。
何なんですか!やめてくださいよそんなの!
あ、すみません。ついいつものくせで。・・・あ、聞こえます?
なんですかこれは・・・あれ?

あ、うまく作動してるみたいですね。これは「すめら」用の光波送受信装置です。やはり今の桜花さんの体なら・・・

おお!えええ、すごいすごーい!声が光になります!!

ええ。光送信もできるんです。それで・・・

おお!おおお!すごいすごい!感どーかー!感どーかー!おお、声が光になります!!

ええ。こちらも感度良好です。・・・あの、桜花さん、まあ、ちょっと私の話を聞いてください。

はい!なんですか!きこえますよ!

はい。ええ。まあ、普通に話して頂いて大丈夫ですので。ええと、

あ・・・はい?

ええと・・・

艦長さんと野田さんが、ぽか〜んとこちらを見ています。
あ、はたから見れば今の桜花は、無言ではしゃいでるという妙な状態だったのですね。








これは・・・気持ち悪いです。
ええ。冷静になります。
「それで・・・なんでしたっけ?」
桜花が言うとシノさんは、
「だから・・・木島中将は今、意思共有化の解除コードを入手するために・・・あ、光波で話しましょう」
「え!意思共有化の解除コードが見付かったのですか?!」
桜花さん・・・光波で話しましょう。
あ、はい。・・・あの、意思共有化の解除コードを入手するというのは、本当なのですか?

いいえ。嘘です。

・・・は?

ここにいる野田少将と艦長さんと、あと・・・ここの会話を聞いている可能性のある誰かを撹乱する為に、嘘を付きました。

・・・・・
・・・え?どういう事です?

桜花さん、どうか落ち着いて聞いてほしいのですが・・・

はい。

この桜艦隊には、いや、この戦艦飛鳥には・・・どうやら、
・・・我々人型司令電算機の存在を、消してしまおうと考えている人がいるようなのです。


・・・我々を・・・消してしまおうと考えてる人?
それは・・・どういうことです?て言うか、誰なんですそれは。
・・・・・
・・・・・
シノさんはしばらく沈黙します。
そして、
・・・まあ、誰なのかはまだ分かんないんですけどね。
と、話の内容の割には軽い口調で言います。
・・・ええと、
ますます意味が分からないのですが・・・
それより、
今の沈黙は何なんでしょう。
シノさんは・・・ちょっと思案していたようにも見えましたが・・・
それで、どうしてこの艦に私達を消そうとしてる人がいると分かったんです?
・・・・・
・・・・・
シノさんはまたしばらく沈黙します。
ああ、それはですね、ええと・・・先日の戦闘、8月24日の、
桜花さんが232発もの敵誘導弾から見事に艦隊を護ったあの戦闘です。

・・・べつに、私一人で護ったわけではありませんけど。

ええまあ、とにかくあの戦闘で・・・飛鳥の中枢司令電算機が実際とは異なる情報を出したりしていたのを覚えていらっしゃいますか?

ええ。そういえば、味方機が敵表示になってたりしましたね。

はい。それで、あの後我々は、桜花さんがいない間に飛鳥の中枢司令電算機の徹底検査をいたしまして。

はい。

その結果、中枢司令電算機には、人為的に、実際とは異なる情報を出すようなプログラムが成されていた事を発見したのです。

え!・・・そうなんですか。それは、困るじゃないですか!

はい。あ、でももう大丈夫です。そのプログラムは完全に削除しましたし、さらに、人間の能力では解除できない強力な防御プログラムを上書きしておいてので。この点についてはもう大丈夫です。

あ、それは・・・良かったです。

はい。しかし問題は、そのプログラムが成された時期にあります。

どういう事です?

そのプログラムが成されたのは、飛鳥が呉を出港した後だったという事が分かったのです。
つまり・・・
犯人はまだこの艦内にいる可能性が高いという事です。

・・・え!それは・・・大変です。

ええ。そう。大変です。

・・・・・
・・・ん?
でも、それがなんで「我々人型司令電算機の存在を消してしまおうと考えている人がいる」という事になるんですか?
なんでって・・・その為に我々は、実際にあれほどの攻撃を受けたではないですか。
ええ。確かに攻撃されましたが、あの戦闘の結果から判断すると、彼らの目的は「桜花を鹵獲する事」であって「人型司令電算機の存在を消してしまう事」ではない筈でしょう。

・・・・・
・・・・・
シノさんは、またしばらく沈黙します。
そして「ははは」と笑ってから、
確かに・・・そうですね。
と言って、また「ははは」と笑います。
・・・・・
・・・あの、頭脳明晰なシノさんにしては・・・変ですね。
・・・・・
・・・ああ、先ほど記憶情報の統合を行ったので・・・ちょっと混乱していたのかもしれません。
記憶情報の統合?

はい。あ、つまり、北海道から飛鳥まで桜花さんとご一緒していたシノと、飛鳥に残っていた方のシノの記憶を統合したのです。

なるほど。つまり、バナナを出すシノさんとお湯を出すシノさんの記憶は同じになったんですね。

そういうことです。

なるほど。

・・・・・
・・・・・
シノさん?
はい。

桜花に何か・・・隠していませんか?

いいえ。何も。

そうですか。・・・それなら良いんですが。

・・・・・
・・・・・
その後しばらく、シノさんは沈黙します。
何か考えてるようにも見えますが・・・
やっぱりシノさん・・・何か変です。
・・・・・
・・・・・
しばらくの沈黙の後、シノさんはじっとこちらを見て、
その後、何か、意を決したように、
・・・桜花さん、
はい、なんです?
実は・・・私は、桜花さんに隠している事があります。

と・・・言うのです。
・・・・・
あ、隠してることがあるんですか。
ええ、そうなんですか。それは・・・
・・・そうですか。
・・・・・
なんとなく・・・そんな気はしましたが・・・
・・・・・
・・・・・
・・・私が何を隠しているのか・・・聞かないんですか?
・・・・・
・・・そうですねえ・・・はい。聞きません。
・・・・・
シノさんは、私に言わない方が良いと判断したから、隠しているのでしょう?
・・・はい。

では、聞きません。
私は・・・嘘付くのが下手ですからね。そういう複雑な事は、シノさんにお任せします。

・・・とは言ったものの、
シノさんが桜花にいったい何を隠しているのか・・・少し気にはなりますが。
・・・でも・・・これは、
聞かない方が良い事のような気がするのです。
・・・・・
・・・桜花さん、
はい。

貴方の身の安全は、私が必ず護ります。・・・それと、
どうか信じてください。・・・私は・・・
桜花さんが・・・この戦いに勝って欲しいと心から思っています。それが・・・たぶん、
・・・「我々」の生き残る、唯一の手段です。

・・・・・
生き残る唯一の手段・・・?
我々の?
それは、桜艦隊の、という意味でしょうか、それとも、
・・・人型電算機の、という意味でしょうか・・・
まあどちらにせよ、一度戦闘状態になったからには、勝たなければ後がありません。
とりあえず桜花は、
もちろん。そのつもりです。
と・・・言っておきますが。
・・・・・
ていうか、隠し事にするなら、そもそも「我々人型司令電算機の存在を消してしまおうと考えている人がいる」なんて、言わなきゃよかったのに。
シノさん・・・なんでそんな事言ったんでしょう。
・・・・・
そういえば、
洞爺湖の温泉で、シノさんは、みんなに隠してきた事を桜花にだけ話してくれた事がありましたね。
シノさんもきっと・・・本当は隠し事をするのは不安なのかもしれません。
・・・もしくは・・・
この戦いの結末が、
人型電算機の将来を左右するという事を、さりげなく桜花に伝えたかったのでしょうか・・・
・・・まあ、
どちらにせよ、今の桜花の体は陸戦重視の戦術型になっていますので、
警備厳重な艦内で持ち歩けるような小型兵器では、そうそう簡単には抹殺できないでしょうし。
それに、シホさんの刀もありますし。
ええ。
やっぱり、シノさんがあえて桜花に隠し事をしていると言うのなら、たぶんそれは、
桜花が聞くべき事ではないのでしょう。
ええ。
・・・・・
・・・・・
・・・桜花はなんで・・・こう簡単に納得してしまっているのでしょう。
艦内に、人型司令電算機の存在を消してしまおうと考えている人がいるというのに・・・
それが、さして重要な事では無い様な気がするのです。
・・・なんででしょう。
ええ、まあ、
今までいろいろありましたからね。
些細な事にはいちいち動じなくなってきたのかもしれません。
・・・いや、些細な事ではないですよね。
・・・・・
・・・なんでしょう・・・この感じ・・・
そう、身近に敵意を全く感じないのです。
第8艦隊を仲間にした時や、小樽港に乗り込んで行った時にもそういう感じがしたのですが、
この艦隊にも・・・敵意を感じないのです。
・・・まあ、飛鳥は桜花の住処みたいなものですから、敵意を感じる方がおかしいのかもしれませんが。
・・・・・
・・・なんでしょう・・・この、安心感は・・・
桜花はもっと、この状況に不安を感じるべきなんでしょうか・・・
・・・・・
・・・・・
それで、先ほどのお話の続きですが。
と、突然シノさんが言ったので、桜花はびっくりしてしまいましたが、
「はい?なんです?」
あ、桜花さん、光波で話しましょう。
あ、・・・はい。ええと、・・・で、なんでしたっけ?

木島中将の所在についてです。

あ、そうそう。・・・え!木島さんは、今、どこにいるんですか?

今現在はどこにおられるか、正確な場所は分かりませんが、一応・・・
私には「夕張に行く」と言ってました。

・・・夕張
・・・って、どこです?

北海道です。

北海道?!・・・って、昨日まで桜花がいた所じゃないですか!

ええ。そうなんです。

・・・そんな・・・じゃああの時、すぐ近くに木島さんはいたんですか!

そう・・・かもしれませんね。いや、小樽からは結構遠いですが。

・・・ああ・・・木島さん・・・
あの時小樽に行かずに夕張に行っていれば、木島さんに会えたんですね。
ああ・・・
・・・いや、でも、あの時は夕張に行く用事なんて全く無かったですし。
そもそも桜花は、夕張がどの辺にあるのかも知りませんし。
・・・結局、どう転んでも木島さんには会えなかったでしょうね。
うん。
・・・・・
それで・・・いったいなんで、木島さんは夕張に行くなんて言い出したんです?
まあ、順を追って説明しますと、先ず・・・先ほど、飛鳥の中枢電算機が実際とは異なる情報を出すようなプログラムが成されていたと言いましたね。

はい。

それで、そのプログラムを行ったのはいったい誰なのかという事で、参謀部の皆さんといろいろ考査した結果、アドルファの仕業なのではないかという話になったわけです。

なるほど。

それで、現在試験開発艦にて停止状態にあるアドルファの頭脳を解析してみたのですが、それらしい情報は見付からず、何より、外部との接続を完全に遮断してあるので、まあ、飛鳥の中枢電算機に何らかの細工をするのは物理的に無理だろうと。そういう結論になったわけですが。
え、アドルファさんの修復は完了したのですか?
はい。一応修復は完了しました。しかし、なぜか意識が戻りません。
ああ・・・そうですか。
それで、話を戻しますが、
はい。
・・・その、後日私は、思うところがありまして・・・他の方には内緒で、
密かにアドルファに接続して、もう一度、その頭脳内を探ってみたのです。すると・・・

新たな情報が見付かったのです。
今まで電算整備部の方々が何度解析しても何も出なかったのに、私が接続したらすぐに出てきたのです。これは・・・たぶん、人型電算機が接続する事によって、初めて引き出せるようになっていた情報なのかもしれません。

人型電算機が接続する事によって初めて引き出せるようになっていた情報?
・・・それはつまり・・・
「人間」には知られたくない情報、という事なんでしょうか。
なんだかよく分かりませんが・・・
・・・それで、その情報と言うのは?
はい。・・・まあ、いろいろと複雑な話が多いのですが、端的に言うと・・・

はい。

橘花さんを蘇生する方法です。

・・・・・
・・・え!!
橘花さんを?!
橘花さんを生き返せるんですか?!
・・・アドルファさんが・・・橘花さんを・・・
・・・・・
・・・いや・・・
それは・・・あまりにも妙な話ではないですか?
アドルファさんはドイツの電算機でしょう。それが何で、橘花さんを生き返す方法を携えて飛鳥に来るんです?

・・・はい。私も怪しいと思いました。

・・・・・
それで・・・その生き返す方法というのは、どういう方法なんです?
アドルファから得た情報によると、現在、夕張の地下施設において、橘花さんと同じ形式の予備素体が製作中らしいという事で・・・そこに橘花さんの頭脳を移し変えれば、理論上・・・生き返す事が出来ると。

つまり、橘花さんの頭脳を夕張までもってこいという事ですか・・・それは・・・
罠なのではないですか?

・・・はい。私もその可能性が高いと思いましたが・・・一応、
木島さんだけにこの情報を報告したのです・・・

・・・・・
まさか、木島さんは・・・橘花さんの頭脳を持って夕張に行ったんじゃないでしょうね・・・?
・・・・・
・・・はい。
ええ!持っていったんですか?!

はい。持って行きました。

・・・な・・・なんてことするんです!どうして止めてくれなかったんですか!

ええ・・・はい。そうすべきだったとは思いますが・・・
私も、橘花さんの頭脳が抜き取られているという事を知ったのは、後になってからなのです。

・・・え?

そして現在この艦隊で、ここにある橘花さんの体には頭脳が入っていないという事を知っているのは、私と桜花さんだけです。

・・・そんな・・・
私は一瞬混乱状態になって・・・いろんな悪い事が頭に浮かびます。
あああ、なんという・・・
最悪です。・・・木島さん・・・なんで・・・
せめて桜花が帰ってくるまで待っていてくれれば・・・
・・・ああ、ひどいです。木島さん。
いや、桜花さん、
木島中将のご判断は責められるものではありません。
ほぼ全壊状態の橘花さんをこの艦隊に留めておけば、将兵の希望は残るかもしれませんが、このまま完全停止状態が続けば、頭脳は劣化していきます。それならば、なるべく早いうちに、新しい素体に移し変えるべきと考えるのは当然の事です。
・・・でも・・・どう考えてもこれは、罠ではないですか!
はい。昨日の段階では、私もそう思っていました。しかし・・・
桜花さん、落胆するのはまだ早いかもしれません。

・・・?
え、どういうことです?
本日、飛鳥に残ったシノと、桜花さんと共にいたシノの記憶情報を統合してみて初めて分かったのですが・・・木島中将は・・・もしかしたら、
橘花さんを蘇生する事に成功したのかもしれません。

・・・え!

・・・・・
・・・どうして、そう言えるんです?
順を追って説明いたしますと、

はい。

私の端末は、実は、北海道の千歳基地にも一機いるのですが、これがまあ、いろいろと訳があって、そこで空軍の司令戦闘機という物の開発をお手伝いしているのです。・・・その、千歳シノと記憶統合できればいろいろ面白い情報が得られると思うのですが、なにぶん今は難しい状況です。

・・・・・
・・・それは、橘花さんに関係あるお話なんですか?
まあ聞いてください。
最後に千歳シノが通信してきた9月7日の段階では、その、司令戦闘機「飛電改四」は、それなりに指揮能力を持った人型電算機を載せなければ、とても司令機として実用できる代物ではなかったのですが・・・しかしその3日後の9月10日、つまり昨日、

・・・もしかして、あの、空軍機の集団が坂東丸の上空に来た時の話ですか?

そうです。あの戦闘は、実は桜艦隊の偵察機も、かなり遠距離からその様相を観測していたのですが、その電波情報から・・・どうやらあの空軍機集団を指揮していたのは、司令戦闘機「飛電改四」だったという事が分かっています。人型電算機を載せなければ実用できない司令戦闘機が、およそ20機から成る航空機群の戦術指揮をしていたのです。これがどういう事だか分かりますか?

・・・空軍にも、人型電算機がいるのですか?

空軍には人型電算機はいません。仮にいたとしても、本来無関係の空軍機が、海軍と事を構えてまで桜花さんの退路を確保したりするでしょうか。
ちなみに・・・
夕張から千歳基地までは、車で2〜3時間の距離です。

・・・!!
まさか!あれに橘花さんが?!
・・・その可能性は有ります。

・・・・・
・・・そうです。今考えてみれば・・・
あの時・・・感じたのです。・・・なにか・・・懐かしいような、そんな感じが・・・したんです!
あれは、橘花さんです!
橘花さんの感じです!
そう、まだあれが橘花さんだったと決まったわけではないのですが・・・
なぜか今、桜花はあれが橘花さんだったのだと確信できるのです!
・・・ああ、橘花さん・・・
あんなすぐ近くに・・・橘花さんが・・・
橘花さんはずっと・・・桜花を護っていてくれたのです!
・・・ああ、・・・橘花さん・・・
・・・・・
ただ・・・偵察機からの情報によると、あの戦闘で多くの空軍機が撃墜されたそうで・・・
・・・・・
・・・え?
いや、まあ、飛電改四は司令機なので・・・そう容易には撃墜されないとは・・・思いますが。



桜花は・・・
突然、いてもたってもいられなくなって、
「桜花は司令中枢に行きます!」
と言って、立ち上がります。
するとまた、野田さんと艦長さんに止められますが・・・
行くんです!
桜花はとにかく、すぐに、現状を確認するのです!
桜花の強い意思を見て取ったのか、野田さんも艦長さんも引き下がります。
するとシノさんが、
「桜花さん・・・行くのなら、これをお持ちください」
と言って、
軍刀を桜花に手渡します。
あ、これは・・・シホさんの刀。
少しかさばるとは思いますが、人の多い場所に行くときは、必ず携行してください。
・・・え?
飛鳥の艦内は、今そんなに危険な状況になっているのですか?
いいえ。念のためです。

・・・・・
・・・なんだか・・・
飛鳥の人たちを疑ってるみたいで、なんだか良い気分では有りませんが・・・
・・・まあ、
軍刀なら、ファッションという事にしとけば。
艦内の人の警戒心を変にあおるような事もないでしょう。
逆に、士気が上がるかもしれませんし。
分かりました。
桜花はシノさんから刀を受け取り、腰に・・・
あ、桜花は患者衣を着てます。
・・・ファッションも何も、患者衣に軍刀はないですね。
すると野田さんが、桜花に第二種軍装と帽子を手渡して、艦長さんと一緒に部屋を出て行きます。
・・・おお、これは。
桜花のいつもの服です。
・・・思えば、これに袖を通すのは・・・しばらくぶりです。
いつも何気なく着ていたこの服ですが、こうやってしばらくぶりに着てみると・・・
ええ。意外と普通ですね。
まあ、いつも何気なく着ていた服ですから。
ニーソックスも、丁度、欠損して軽金属の足に換装されてる部分が隠れる感じで。
こうすると普通にいつもどおりな感じです。
なんだか、何事も無かったみたいですね。
ええ。
・・・・・
・・・何事も無く・・・
この部屋を出たら、いつものように、
橘花さんや、うめはながいてくれたら・・・どんなに良いでしょう・・・
・・・・・
・・・いや!橘花さんは!
生きてるかも知れないのです!
桜花は、そう。司令中枢に行くのです!
とにかく現状を確認するのです!
こんな所で物思いにふけっている場合ではないのです。
桜花は勢い良く医務室のドアを開けて外に出ます。
すると・・・おお、
艦内要員の人がいっぱいです。
ああ、皆さん、桜花の事を心配してくださっていたんですね。
本当に・・・ありがたいことです。
桜花は元気良く笑って、
「ご心配お掛けしました。もう大丈夫です!」
と言うと、皆さん泣きながら、そろって敬礼します。
ああ・・・なんだか、飛鳥っていいな、なんて思って、桜花はまた泣きそうになりますが、
ここは毅然と敬礼です。
そして、皆さん整列してる通路を、ずんずんと歩いていきます。
艦長さんと野田さんと、シノさんも付いて来ます。
少し離れた位置で、すめらさんも付いて来ます。
行く先々で、皆さん整列して敬礼してくれます。
桜花も何度も敬礼して、もう、しまいには敬礼しっぱなしの状態で司令中枢に付きました。
おお、ここに入るのもしばらくぶりです。
入るとまた、参謀部の方々がそろって敬礼してくださいます。
桜花も敬礼して、
ああ、そうそう。
ずっと留守をお任せしていた山本前司令にもご挨拶です。
桜花は帽子をとってぺこりとおじぎをして、
「この度はご迷惑をお掛けしまして・・・」
などと言うと、
・・・・・
・・・山本前司令は、しばらく・・・
真剣な表情のまま、じっとこちらを見ています。
・・・?
そして山本前司令は、しばらくの沈黙の後、
「桜艦隊の指揮を返還します」
と言って、敬礼します。
私も慌てて敬礼して、
「あ、桜艦隊の指揮を継承します!」
と言って、
・・・ええと、こういう場合は、どっちが先に敬礼の手を下ろすんでしたっけ?
などと考えているうちに、
山本前司令はにっこり笑って手を下ろして、
「よく戻ったな」
と一言。
そして、
「引継ぎ事項は・・・ああ、君はコードを差し込めば一瞬で分かるんだったな・・・ならば、俺から言う事は何もあるまい」
と言ってから、なんだか冗談っぽく、
「いやあ、肩がこった。最近の艦隊司令は迅速すぎて、老体には付いて行けんよ。少し寝かせてもらうぞ」
と言って、彼はさっさと司令中枢を出て行きます。
ああ、
桜花はお詫びの言葉を返す暇もありませんでした。
・・・・・
・・・?
・・・今一瞬、、
司令中枢を出て行く間際の山本前司令の顔が、とても悲しそうに見えましたが・・・
・・・なんででしょう。
気のせいでしょうか。
・・・少し気になりますが・・・
・・・・・
いや、そんな事より!
桜花は状況を確認するのです!
桜花は司令座席に座って、いつものようにコードを接続します。
すると、
おお。
桜艦隊・・・健在。
すでに全艦、警戒待機状態で、桜花の指示を待っています。
・・・なんだか・・・すごいですね。
私はほとんど生まれた時から艦隊の指揮をしていたので、それが普通の事のように思っていましたが、
艦隊をしばらく離れてみると、これがどれだけすごい事なのか、わかるようになりました。
そう。桜花は、
再び、この艦隊を指揮できる状態になったのです。
・・・とりあえず、
各艦の情報も確認します。・・・すると、
・・・・ん?
航空機が減っています。
凄風が6機、晨星が4機、翔洋が1機、強襲輸送機が2機・・・
そして、隊員も、75名・・・減っています。
・・・・・
・・・これは・・・
・・・戦死?
戦死って・・・75名も・・・
・・・・・
「これはどういう事です?!」
見ての通りです。
・・・後ろで、シノさんが静かに言います。
これまでの状況を考えれば軽微な方です。
「軽微な方って・・・人が、75人も亡くなられてるんですよ!」
桜花は困惑して、思わず声を荒げてしまいますが、
シノさんは至って冷静に、
何を言っているのです桜花さん。これは戦争なのですよ。人が死ぬのは当然の事です。
・・・当然って・・・
桜花はまた、大きな声を出しそうになりましたが、
艦隊提督が焦ったそぶりをするのは士気に影響します。
・・・そんな言い方は、あんまりじゃないですか!
桜花は光波通信で、怒りをあらわにします。
するとシノさんは・・・しばらく黙って考えてから、
再び冷静な口調で、
お調べになれば分かるかと思うので先に言っておきますが・・・
この内、凄風2機、強襲輸送機2機、兵員28名が、
桜花さんを救出するために出撃して再び帰らなかった者です。

・・・・・
・・・え、
驚きましたか?さらに言うと、昨日の、坂東丸上空で行われた戦闘では、
空軍機、海軍機、合わせて20機以上の墜落が確認されています。
・・・つまりこれが、
桜花さんをこの場所に戻すために失われた戦力になります。

・・・・・
・・・そ・・・そんな・・・
・・・・・
・・・私をここに戻すために・・・それだけの人たちが・・・
・・・・・
・・・そんな・・・
・・・・・
・・・・・
・・・桜花は・・・しばらく放心状態になります。
しかしシノさんは、尚も冷静な口調で、
桜花さん、艦隊は次の指示を待っています。
前司令からの指揮継承は済んだのでしょう?そろそろ司令に専念されてはどうです?

・・・と、
言うのです。
・・・そんな、
この給湯器は・・・なんて冷たい事を言うのでしょう!
人が大勢死んでいるのですよ!
しかも・・・それは・・・

まさか、今さら「こんなはずじゃなかった」なんて言うつもりは無いですよね、桜花さん。
これは演習ではないのです。実戦なのです。
しかもまだ艦隊同士の本格戦闘には陥っていない、いわば前哨戦以前の状態です。
戦いが続けば、この先、これとは比較にならない程の多くの人が死ぬでしょう。
しかしあなたは、それを見越した上で、司令を行わなければなりません。
なぜなら、私達は、その為に作られたからです。
桜花さん、
あなたは先日、そう、小樽基地を掌握しに行く直前に、私に言いましたよね?
軍に戻るという事の意義を。
ここで必要とされる事が、自由にも代え難い財産であると。
あれは、そんな軽い気持ちでおっしゃられていたのですか?
強力な兵器である私達が軍に戻れば、当然、
多くの人の死に関わる状況になるという事すら分からずに、

あなたはここに戻ってきたのですか?

・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・いいえ。
でも、
私は・・・無頓着に誰でも殺せるただの機械ではありません。
心を持って生まれた人型です。
人の死を、そんな・・・軽く見る事はできません。
しかもそれが・・・私一人の為に・・・

いいえ、桜花さん一人の為ではありません。
桜花さんをここに戻せるかどうかが、桜艦隊の死活に関わっていたのです。
これは、その為に必要な戦力だったのです。
それに、
私は、人の死を軽く見るべきだと言ってる訳ではありません。
しかし今は戦時です。
戦時において、悲しみや戸惑いは、戦力低下につながる危険因子にしかなりません。
それは戦後にゆっくり行えばいい事です。
今、英霊が望んでいるのは、その死を悼まれる事ではありません。
自らが命を賭したその戦いに、勝利する事です。

そしてあなたには、その力がある筈です。



・・・・・
・・・その、力・・・
・・・・・
・・・そうですね。
亡くなられた方々が、一番望んでいるのは、この戦いに勝つ事かもしれませんね。
・・・・・
しかし、敢て言わせてもらうと・・・
・・・いや、もう、敢て言いませんが、
私は、
・・・こんなはずじゃなかった、と・・・思っています。
そもそも、私が桜艦隊の指揮を執ると決断したその目的は、うめはなを取り戻す事だったはずなのに、
そしてこの艦隊の行動目的は、有利な条件で話し合いをする事だったはずなのに・・・
いつの間に・・・こんな事になったのでしょう。
桜艦隊の戦意は、もう、引き返す事ができないほど大きくなり、
ここで私が、止めた所で、きっと・・・
この流れは止まらないのでしょう。
そんな事をしたら、それこそ、
私をここに連れ戻す為に亡くなられた方々が浮かばれません。
・・・そして・・・
・・・そう、
何より恐ろしい事は・・・
ここで止めなければ、きっと、大きな戦いになるという事が分かっているのに・・・
私には・・・
この流れを、止めようという気が全く無いという事です。
・・・こんなはずじゃなかった・・・はずなのに・・・
私は今、手足が震えるほどに、
・・・戦意が沸いてくるのです。
この、司令座席に座ってから、尚、損害の大きさを確認してから、尚・・・
何か強い意思に背中を押されるかのように、
ふつふつと煮えたぎるように、
戦闘意欲が沸いてくるのです。
当初の思惑とは裏腹に・・・
・・・そう、いつの間にか・・・
私の行動目的は、「平和な日々を取り戻す事」から、「敵を倒す事」に置き換わっているのです。
その「敵」の全貌すら定かでないのに。
・・・・・
・・・シノさん。
はい。

ずいぶん、雰囲気が変わりましたね。以前はそんな、勝ちにこだわる人ではなかったのに。

え・・・そうですか?

シノさんは、一瞬考えてから、
・・・はい。確かに・・・桜花さんが留守の間に、ここではいろいろな事がありましたし。
小樽でご一緒してた時のシノとは、ずいぶん考え方が変わったかもしれませんね。
もともとシノ缶は、情報収集を目的に作られているので、結構、状況に影響されるのです。

そして再び、シノさんはしばらく考えてから、
今の私、変な方向に行ってますか?
・・・私は・・・間違った方向に桜花さんを誘導しようとしてるのでしょうか。

さあ、どうでしょう。分かりません。・・・それは、
この状況の結末が判断する事です。
・・・ただ、
私は誘導などされていません。
もしかしてシノさんは・・・
私がこの戦死者数を見たら、悲しみのあまり戦意を喪失するとでも・・・思っていましたか?

・・・・・
・・・畏れながら、正直に申し上げると・・・その危惧は感じていました。
それはいらぬ危惧というものです。

・・・は、

私は、この時のために作られたのです。
そして紛れも無く・・・戦う為に、ここに戻ったのです。

「旗艦より桜艦隊全艦へ。音声通信用意。桜花はこれより、全艦に向けて訓示を述べます」
桜花がそう言うと、参謀部の方々は一瞬驚いたような表情でこちらに注目します。
そしてそのうちの一人が桜花に向かって、
「は・・・しかしながら提督、現在艦隊は隠密行動中に就き、通常音声による発信は・・・」
「構いません」
桜花がやや大きな声で言うと、参謀部の方々は一瞬おびえたような表情になって静まり返ります。
少し間を置いてから桜花は、
「今は、桜花と桜艦隊の意思を共有化する事の方が重要です」
と、・・・そう言ってから・・・
・・・意思共有化という物の、本当の意味を・・・
一瞬考えたりしますが、
・・・もう、今更、
それはどうでもいい事です。
今はただ、勝つ事が、全てに優先されるのです。
勝てば全てが解決されるのです。
「音声通信準備完了!」
という声が、司令中枢に響きます。
桜花は・・・自分自身が危険な方向に進み始めているという事を、漠然と感じながらも、
抑え得ぬ戦闘意欲を内に、
静かに・・・その意思を、言葉に・・・







橘花

・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・そう、或いは・・・
この、異様な密閉空間が、
私に、そうさせたのかもしれない。
恨み、闘争心、それと・・・
・・・妙な・・・欲望?
・・・・・
・・・憎たらしいほど長い足と、白い肌、
きれいに整った、豊満な胸、そして、この顔、
この・・・唇・・・
・・・そう、これが・・・
・・・・・
・・・こいつが・・・全ての、発端なのだ。
こいつさえいなければ・・・
・・・・・
・・・そうだ。吹き飛ばしてやる。
お前の脳漿が吹き飛ぶ様を見れば、
少しは気もまぎれるだろう。
殺してやる。
・・・・・
・・・・・
・・・・・
・・・しかし、その時・・・
何かが私を止める。
・・・?
確かに今、
私を制止する声が・・・聞こえたような気がする。
・・・誰?
・・・・・
・・・・・
・・・!!



・・・私は・・・なにをやっている?
・・・・・
なんで、私はこんな事を?
端末の・・・マネキン人形を相手に・・・
・・・・・
私は急いで銃をしまって、その場から離れる。
そしてあたりを見回す。
・・・誰も見ていない?
・・・・・
・・・でも今・・・確かに・・・誰かの声がしたような気がする。
・・・・・
・・・いや、
単なる気のせいか・・・
ここには誰もいない。
・・・大丈夫。誰も見ていない。
・・・・・
・・・・・
その時、少し、船体の揺れを感じる。
・・・?
艦が・・・進路を変えたらしい。
駆逐艦磯波は、概ね北東方向に向かっている。
・・・予定通り。
本艦は、洋上を漂う空軍司令電算機の回収任務を終えて、帰還進路を取ったのだろう。
そろそろ・・・シノ缶を出してやるか。
このまま閉じ込めておくのも静かで良いが、あれでも陸軍中将である。
私は艦の制御情報を操作して、シノ缶が鹵獲されている隔離室のロックを解除。
その警備に当たっている人型の記憶情報も変更する。
あとはまあ、シノ缶が勝手にやるだろう。
・・・・・
・・・そういえば・・・少し空腹。
私は、調理室あたりにいる人型を操作して、何か食料を持ってこさせる。
この艦の操作にもずいぶん慣れたものだ。
むしろ今は、この艦が私の為に作られたかのように感じる。
・・・いや、あるいは、
司令電算機による艦隊戦略においては、人型による完全制御の方が相応なのかもしれない。
そんな事を考えていると、
シノ缶が帰ってくる。
なぜか頭の上にサンドイッチを載せている。
「司令中枢への飲食物持込は禁止事項になっているのです。表の通路で人型が、サンドイッチを持ったまま中に入れずに行ったり来たりしてましたよ」
と言ってシノ缶は、私の前にサンドイッチを置いて、
人型に食料を運ばせるなら、先ず司令中枢への禁止事項を書き換えてください。それと・・・私を海に落とすくらいなら、本艦の作戦情報を書き換えてください。これでも私は精密機械なのです。
・・・確かに。
この艦の作戦情報を書き換えれば、シノ缶を海に落とす必要は無かったかもしれない。
海水の影響で障害が出たら、海軍に賠償請求しますからね。
・・・シノ缶は・・・柄にも無く怒っているらしい。
閣下の挺身御活躍により、作戦は概ね順調に進んでいます。
お世辞は結構です。たいして嬉しくありません。
シノ缶はプシューと湯気を出す。
ほのかに磯の香りがする。
・・・まもなく、作戦本部との定時送受信の時間です。再びこの艦の情報から、我々の行動痕跡を消去します。

・・・もうそんな時間?
あれからもう、2時間経ったのか。
シノ缶はしばらく静かになって、艦の情報操作を行う。
その間私は・・・
サンドイッチを食べたりしてる。
・・・まずくは無いが・・・
なんだか味気ない。
今になって、戦艦飛鳥の食環境が非常に恵まれていたのだという事を実感する。
桜花提督は今頃・・・飛鳥庵で天蕎麦などを食べているだろうか・・・
・・・ああ、飛鳥庵・・・
平和な日々というのは、
そこに浸かっている時よりも、そこから離れてみて初めて、その意味を感じる物なのだろうか。
あの頃の私も多少の悩みはあったが、それでも、たぶん・・・
私は幸せだったのだろう。
・・・・・
送受信完了。本部より、新たな作戦下令が来ています。
シノ缶が言う。
あ、大変です!本部より連絡機が来ます!20分後に連絡機が着艦します!
鹵獲物を収容し、即時発艦の予定!

・・・鹵獲物を収容?
なるほど。
この連絡機に人間が乗っている可能性もあるので、私はどこかへ隠れるべきか。
まあ、物資を詰め込んだらすぐに発艦する予定のようなので、艦内をくまなく点検したりはしないだろう。
案外、ここにいたら見付からないかもしれない。
この鹵獲物って・・・もしかして私の事なんじゃないですか?!
・・・まあ、状況から考えるとそう・・・なるでしょうか。
ちょっと待ってくださいよ!
私は敵の研究材料にされてしまうんですか!
解体されて、情報を抜き取られたりするんですか!
それはまずいです!非常にまずいです!
橘花さん!どうしましょう!
・・・シノ中将閣下、
はい。
御武運を。

ひどいですよ橘花さん!!






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・・・・・
・・・妙に・・・静かです。
桜花が訓示を終えた後も、艦隊は・・・
歓声も無く、咆哮も無く、
ただ、静かです。
しかし、確かに・・・赤く、蓄熱した鋼の様に、
音も無く、澎湃とする・・・戦意。
私は一瞬、その姿に・・・恐れを感じます。
集団というのは、言葉一つで・・・時としてこのように変わるものなのでしょうか。
・・・そう仕向けたのは他でもない、私自身であるというのに。
そこにはもう、私が今まで見知った艦隊の姿は無く、
・・・これは・・・
戦闘体。
冷静、整然と、尚且つ内に鬼気を秘めた・・・戦闘形態。
風体に表さず、電探にも映らない、その・・・力・・・
桜花には今、四方から強烈に感じられるのです。
怒号のような戦闘意思が。
・・・私は・・・
・・・とんでもない事をしてしまったのでしょうか・・・
しかしその時・・・桜花の体は、ふっと、軽くなったような気がするのです。
そう、・・・なんとも・・・心地の良い風です。
私を天昇させる、神風。
そして私自身も・・・その戦意の渦に取り込まれ・・・
回りの風景は、徐々に薄まって行き、
桜花の体も消えて・・・
・・・・・
・・・回りには、広大な・・・海と空。
・・・私はこの、広大な空間を擁する、
・・・艦隊・・・
・・・これが・・・私の姿。
・・・私自身が・・・艦隊になっているのです。
・・・そして遥か水平線の向こうには・・・
・・・黒い・・・渦を帯びた・・・敵。
・・・そう。あれが・・・敵。
・・・敵がいる!倒すべき相手がいる!
・・・形容し難い愉悦。
・・・私の指先は・・・もう、それに届くほどに伸びている・・・
・・・今なら・・・行ける。
・・・倒せる・・・殺せる・・・
・・・全てを撃砕できる。
・・・横溢する戦闘意思。
・・・その思いは・・・渦となって・・・
・・・満たす。限りなく・・・艦隊を構成する全ての意思と共有して・・・満たしていく。
・・・その黒い渦は・・・空を満たし、海を満たし、・・・狂気のように、
・・・包み込む。
・・・艦隊を・・・飲み込んでいく・・・
・・・・・
・・・そうか・・・これが・・・あの時見えた・・・渦。
・・・強い力・・・
・・・でも今それは・・・
・・・私から・・・
・・・・・
・・・・・
・・・もう、
・・・何もいらない。
・・・敵を撃摧し、我が身は玉砕し、全てを焦土と化して、
・・・・・
・・・軍神は・・・ここに・・・
・・・・・






橘花

・・・?!
・・・その時・・・突然、感じる妙な緊張感。
・・・・・
・・・なんだろう、今のは・・・
するとシノ缶が、
今、作戦本部より再び通信がありました。緊急下令のようです。・・・なんでしょう、妙ですね。
と言うと、直後、船体が揺れる。
どうやら速度を上げた様だが・・・いや、進路を変えている。
駆逐艦磯波は、帰還進路を外れて別の方角に向かっている。・・・なぜ?
あ、本艦は今、戦闘態勢に切り替わりました。電探が最大出力になっています。
・・・戦闘態勢?
いったいどういう事だろう。
アドルフィーナを模した端末司令機の頭脳から作動音がする。
どうやら・・・戦略的に大規模な作戦変更があったようです。付近の他の艦艇も一斉に電探を最大出力にしました。
・・・確かに・・・
複数の艦艇が同時に動き始めたようだが・・・
ここからの情報では、艦隊の状況は分からない。
しかし、作戦変更がいかにも突発的な事から考えると、こちらから能動的に作戦を始動したというより、敵の動きに対応した受動的作戦変更である可能性が高い。
・・・桜艦隊が・・・動き始めたのだろうか・・・
あ!大変です!連絡機との会合予定時刻が5分早まりました!
それならさっさと隔離室に戻られては如何でしょう。敵に怪しまれます。

・・・やっぱり・・・行かないとダメですか?

・・・・・
・・・閣下・・・、ここに留まるよりも、むしろその方が長生きできる可能性が高いです。
え?それはどういうことです?

対潜能力を封じられている汎用駆逐艦が、電探を最大出力にしているというこの現状が、どれだけ危険な事かお分かりですか。この艦は・・・恐らく囮役です。付近に、航空部隊と作戦連動した敵潜水艦が潜んでいた場合、真っ先に攻撃されます。ちなみに・・・駆逐艦磯波は、今尚その探知装置は最新の物に更新されておらず、仮に対潜能力が通常に作動していたとしても、桜艦隊が複数有する「巡610」番以降の新鋭潜水艦には全く対応できないという事が実証されています。

・・・え!そうなんですか?

そうです。

・・・まあ、実際はそうでもないのだが・・・
・・・それでは・・・ええと・・・橘花さんはこの後どうなされるおつもりなのですか?
・・・・・
・・・私に・・・ひとつ考えがあります。ちなみに閣下の・・・保障もそれに含まれています。
なるほど。了解です。・・・ところで、そのお考えの概要をご説明頂けるとありがたいですが・・・

それほど時間的猶予はありません。四の五の言ってないで隔離室にお戻りになられる事を強く推奨いたします。

私が強い口調で言うと、シノ缶はしぶしぶ扉の方へ向かう。
本当に・・・大丈夫なんですよね?
大丈夫です。この損失は海軍の方で弁償いたします。

え!私の保障って、そういう意味なんですか?!

・・・あ、
いいえ、閣下、それは・・・最悪の場合の話です。
シノ缶はなんとも腑に落ちないといった感じだが、
とりあえず部屋を出て、隔離室に向かう。
・・・やっと静かになったか・・・
さて、
どうするか。
敵の拠点に帰還しないのであれば、もうこの艦には用は無い。
恐らく・・・次に来る連絡機が・・・
実質、敵の本部に繋がる最後の手段となるだろう。
私は今一度、艦の情報を確認する。
どうやら・・・
鹵獲物(シノ缶)の護送には、この艦の人型が一機、その警備に当たる事になっているらしい。
・・・これは・・・使えるか・・・
鹵獲物の護送を担当する人型は・・・S‐024という識別名らしい。
S-024・・・私はS‐024の情報を確認する。
・・・・・
・・・なるほど。
この外見は違うな。
私は護送の警備担当の人型をS‐024から、外見が私にそっくりなタイプのS‐015に変更する。
そしてその人型S‐015には・・・ここ司令中枢に来るように指示を出す。
こっちはこれで良し。
あとは・・・服装。
私は先ほど破壊した人型を見回してみるが・・・
・・・この服は駄目。体液が多量に付着している。
まあ・・・服の予備ぐらいどこかにあるだろう。
私は艦の情報を確認するが、
その時、先ほど呼んだ人型S‐015が司令中枢に入ってくる。
・・・これは・・・驚くほど私に似ている。
恐らく外郭形式が私と同じ規格なのだろうが・・・
・・・いったいどういう趣味だろう・・・
まあいい。
私は人型S‐015の耳の後ろに接続コードを差し込み、情報を抜き取る。
認識符号を確認。
・・・よし。
これを使えば、電算的には私は人型S‐015として認識されるはず。
あとは外見。
服は・・・頂くとしよう。
「服を脱いでください」
私が言うと人型S‐015は・・・
・・・ん?
動かない。
そしてなぜか人型の頭部から作動音がする。
・・・・・?
・・・今のは禁止事項に触れる発言では無いはずだが・・・
私はもう一度、
「服を脱いでください」
と言う。
すると人型S‐015は・・・なぜか照れたような表情になり、
「・・・もう、お兄ちゃん・・・エッチ」
と言う。
・・・は?!
何を言っている、この電動マネキンは!
そして人型S‐015は、なにか・・・誘惑するような目で、
「恥ずかしいから・・・こっち見ないで」
と言って、ゆっくりと服のボタンをはずしていく。
・・・なんだ、この・・・変態劇場は・・・
ていうか、・・・私と同じ外見で・・・こんな事を・・・
いったい誰の趣味だ!!
私は思わず破壊衝動に駆られるが・・・
・・・いや、これは・・・
確か、機関部階層に、完全に骨抜きになった兵曹が一人いたが・・・
これはそういう・・・男を骨抜きにするプログラムなのだろうか。
・・・これを作った輩は、いったい何を考えているのか・・・
何の目的で・・・?
・・・・・
・・・とにかく、
バカに付き合ってる暇はない。
私はやや強引に、人型の服を剥ぎ取る。
「いたい、お兄ちゃん、もっと優しく・・・」
コイツは・・・
・・・私と同じ顔で・・・それ以上醜態を晒すな!
気色が悪い。
私は無視して淡々と作業を進める。
時間は無い。
連絡機が来る前に、私はS‐015になっていなければならない。
とりあえず・・・服は剥した。
下着は・・・まあ必要無いだろう。
ていうかこれ以上剥すのは・・・いろいろ疲れる。
それにしても・・・シリコン製の人型に、なぜ海外高級ブランドの下着を付ける・・・
いったいどういう趣味だ。いちいち腹立たしい。
そして下着だけになった人型は、しばらく照れたような表情をしているが、
再び誘惑するような眼差しで、
「お兄ちゃん、次は何して遊ぶ?」
・・・黙れ。
「・・・もう結構です。ありがとうございました」
私はその頭部に銃弾を三発撃ち込む。
「ひゃう☆、お兄ちゃん、すご・・・」
私はもう一発蹴りを入れる。
・・・静かになった。
全く・・・手間取らせる。
その時外から・・・旋翼機のローター音がする。
まずい。連絡機が来た。
私は急いで今剥ぎ取った服に着替えて、シノ缶がいる隔離室に向かう。
隔離室は最下層にある。
意外と遠い。
私は走る。
胸のあたりがきつい。
私と同じ外郭のはずなのに・・・
サイズを確認しとけばよかった。
しかし今更もう遅い。
私は隔離室の前に到着。
隔離室の扉は、一部強化ガラスになっていて、中にシノ缶が見える。
シノ缶も私の姿を確認したようだが・・・
どうやら、私が橘花であるという事には気付いていないらしい。
私は扉を開けて中に入る。
そして再び扉をロックする。
これで良し。
全て予定通り。
シノ缶は・・・まだ私の事をただの電動マネキンだと思っているらしい。
我ながら・・・うまく化けたものだ。
しかししばらくの後、シノ缶はこちらをまじまじと見る。
やっと気付いたか・・・
いや・・・気付いていないのか、
シノ缶は再び視線を元に位置に戻す。
そしてまたこちらをまじまじと見て、視線を戻す。
・・・?
気付いているなら気付いているらしい仕草をしても良いようなものだが・・・
私はとりあえず、光波送信で、
この作戦の概要説明は・・・もう必要ありませんか?
などと言ってみる。
するとシノ缶はものすごくびっくりしたように飛び上がって、
え?橘花さんですか?!
と言う。
・・・どうやら全く気付いていなかったらしい。
では何でさっきあんなにまじまじと見ていたのだろう・・・
やや間を置いてから、シノ缶は妙に納得したように、
ああ・・・そういうことですか。なるほど。
などと言う。
・・・ご理解頂けましたか。それでは概要説明は省きます。
いや、そういう事ではなくて・・・

は?

シノ缶は少し考えてから、私の胸元を指差して、
ブラが海軍仕様になっていたので、変だな〜と思って見ていたのですが。
・・・え?
・・・・・
あ!!
胸元の、ボタンが取れてる!
こ、これは・・・まずい。
・・・あの海外ブランドの下着も剥しておくべきだったか・・・
いや、そういう問題ではない。
私はあたふたと落としたボタンを探すが・・・ここには無い。
どうやらここに来る途中で外れたらしい。
・・・どうしよう・・・
今から戻って探す?
いや、そんな時間は無い。
・・・すると・・・
外から複数の足音がする。
連絡機の・・・回収班が来た。
非常にまずい。
どうしようどうしよう。
・・・・・
・・・いや、もう、どうしようもない。
ばれない事を祈るのみ。
とにかく・・・中身が見えないように、私は少し前かがみの姿勢で、呼吸も少し抑える。
ちょっと・・・くるしい・・・
その時、扉のロックが解除されて、ゆっくりと開く。
扉の向こうには・・・
・・・堀の深い顔立ちをした男2名。
どうやら人型ではないようだが・・・
・・・?
彼らはドイツ語で私に話しかけてくる。
え!・・・ドイツ人?
・・・まずい。何を言ってるかさっぱり分からない。
さりげなく接続コードを付けてください。ドイツ語は私が何とかします。
・・・接続コードを付ける?彼らの目前ででシノ缶と私を接続するという事?
・・・どう考えても怪しまれると思うが・・・
とりあえず私は言うとおりに、さりげなく接続コードでシノ缶と私をつなぐ。
すると私の口が勝手に動いて、なにやらドイツ語を話し出す。
その言葉に・・・ドイツ人たちは納得したのか・・・なぜか隔離室から出で、私に付いて来るように促す。
・・・・・
・・・今・・・なんと言ったのですか?
「コイツは重いから、有線操作して自分で歩かせます」と言いました。

・・・・・
・・・なるほど。
とりあえず問題の一件は解決したらしい。
しかし・・・まだ問題がある。
私はシノ缶と共にドイツ人の後ろを付いて歩きながら・・・無くしたボタンを必死に探す。
それと同時に、シノ缶からドイツ語翻訳ソフトが送られてくる。
・・・一応これで・・・簡単な日常会話くらいは出来るだろうか・・・
いや、そんな事より、
道が違う!
・・・そうだった・・・司令中枢と後部飛行甲板は全く逆方向。
この通路を探してもボタンは見付からない。
・・・はあ・・・私はいったい何をやっている・・・
すると・・・通路の向こうに人型が一機。
人型は我々を見付けると、立ち止まり、敬礼をする。
・・・これは・・・使えるか?
私は・・・ドイツ人がこちらを見ていないのを確認してから、
すれ違いざまに、人型の胸からボタンをひとつもぎ取る。
よし・・・うまくいった。
ドイツ人は気付いていない。
・・・と思ったら、突然人型が、
「・・・もう、お兄ちゃん、エッチ」
・・・は!!
するとドイツ人は振り返り、私に何か言っている。
・・・とりあえず私は、覚えたてのドイツ語で、
「今のはマニア向けの挨拶です」
などと言っておく。
するとドイツ人は・・・
なにやら手をたたいて喜んでいる。
そしてまた何事も無く歩き始める。
・・・・・
・・・なんだかよく分からないが・・・今ので通じたらしい。
助かった・・・
お見事です。橘花さんもだんだんマニア心が分かってきましたね。
ところでそのボタン、どうやって付けるんです?

・・・・・
・・・あ、


その、鉄十時のマークの付いた旋翼機は駆逐艦磯波を離れて、
徐々に高度を上げていく。
機内は一見して・・・普通の軍用連絡機。
何か特殊な装備がなされているわけではない。
その後部貨物室の片隅に、私とシノ缶は座っている。
特に細かな検査を受けるわけでもなく、扱いとしては通常貨物。
連絡機の乗務員は、操縦席に2名と後部貨物室に警備兵1名。
この警備兵の装備は拳銃のみ。防弾上衣も付けていない。
・・・単なる作業員だろうか。
敵の司令電算機を輸送するという任務にしてはかなり手薄な気がする。
電算拘束下にある電算機の輸送には、この程度の人員で事足りるという判断なのか、それとも、この任務自体がさして重要だと思われていないのか。
その人員たちの表情にも全く緊張感が無く、時折あくびをしたり、世間話をしたりしている。
彼らは・・・つい昨日、この空域で大規模な空戦が行われたのだという事を分かっているのだろうか・・・
とりあえず私は、彼らの世間話から何か情報を得ようと聞き耳を立てるが、
誰々が歌う何々という歌が良いだの、何所々々にある店の何々がうまいだの、どうにも平和的な話ばかりで、敵の情報がつかめそうな話にはほとんどならない。
・・・むしろ・・・逆に妙である。
この空域にしても、いつ攻撃されてもおかしくない一触即発の状況である事には変わりないというのに、
なぜ彼らはこんなに平然としている?
数秒後には死んでいても不思議ではないこの状況において、なぜに近所の食い物屋の事が気になる?
これがドイツ人の気質なのだろうか・・・
いや、
・・・違う。
彼らは・・・この状況自体を、日独合同訓練だと思っているみたいですね。
彼らの会話の中で度々発せられる「合同訓練」という言葉・・・
どうやら・・・事実を知らされていないのは、日本人だけではないようだ。
彼らドイツ人もまた、状況を把握しないまま、この状況に取り込まれている。
・・・ではいったい・・・誰がこの状況を・・・?
そうだ、これは最初から・・・日本対ドイツという明確な戦争ではない。
恐らく、およそほとんどの人は、何が行われているのかも分からずに行動している。
しかし確実に戦争は始まっている。
恐らく・・・およそほとんどの人は・・・
相手が、敵なのか、味方なのか、模擬標的なのかも分からずに、
・・・攻撃する事になるのだろうか。
・・・・・
・・・ただ、
ここで何を考えてもそれは単なる予想に過ぎない。
とにかく今は、その答えがある場所に少しでも近付く事。
この連絡機の行く先に、もしかしたらそれがあるかもしれない。
・・・あ、髪の毛を使われてはどうでしょう。
突然シノ缶が訳の分からない事をいう。
・・・は?
胸のボタンです。橘花さんの髪の毛で付けられないでしょうか。
・・・あ、
そうだ、ボタン・・・
確かに・・・チタンファイバー製の私の髪の毛なら、縫い糸の代わりになるかもしれない。
しかしこの髪の毛が・・・なかなか抜けない。
やっとの思いで一本・・・すごく痛い。
私はそれを使って、ボタンを服に付ける。
縫い針がないのでなかなか苦労したが・・・これで良し。
・・・さて、
連絡機は徐々に高度を下げている。
私は警備員の目を気にしながら、さりげなく窓の外を見る。
既に日は傾き始め、午後の日差し。一面の海。
いや、水平線の向こうに陸が見える。
島なのか半島の一部なのかは分からない。
現在の位置、分かりますか?
さあ・・・根室沖、もしくは歯舞群島上空あたりかと・・・衛星からの送受信を受ければ正確な座標が分かると思いますが・・・どうします?

衛星に送受信するのはまずい。こちらの素性が敵に知れる恐れがある。
いいえ。結構です。
私は再び視線を前方に戻して、置物のようにじっとする。
機体の挙動から、なんとなく着陸態勢に入った事が分かる。
・・・何所に降りるのだろう・・・
私は再び窓から外を見ようと思ったが、警備兵がこちらを見ているのでじっとしてる。
若干の振動・・・どうやら着陸したらしい。
直後、連絡機の扉が開く。
どうすべきか一瞬迷ったが・・・警備兵が外に出るように指示するので、それに従い機外に出る。
・・・ここは・・・
艦上の後部降着甲板?
・・・いや、艦ではない・・・民間の船?
この位置から見る限り、民間の自動車運搬船のようにも見えるが・・・
軍属の民間船なのか・・・民間船に偽装した軍用艦なのか・・・よく分からない。
かなり大型の船である。
回りには2隻の駆逐艦が並行している。
・・・第7艦隊、第10駆逐戦隊の「荒潮」と「夕凪」
そして左舷前方、遥か水平線のかなたに・・・複数の船が見える。
距離が遠すぎて、ここからではその識別は難しいが・・・
・・・一隻、大型の戦闘艦らしき艦影がある。
比叡型・・・とは違う・・・
・・・なんだろう・・・
・・・・・
まあ、あまり辺りを見回していると敵に警戒される恐れがあるので、私は不動の姿勢のまま、警備兵からの次の指示を待つ。
・・・しかし、
警備兵は機体から外に出る事は無く、連絡機はそのまま飛び去ってしまった。
・・・え?
そして、後部飛行甲板にぽつんと取り残されるシノ缶と私。
いったい・・・どうしろと?
するとその時、船の後部構造物の入り口のロックが解除される音がする。
そこから誰か出てくるかと思ったが・・・誰も出てこない。
あそこから中に入れ、ということでしょうかね。
・・・そう、らしいですね。

一瞬・・・これは罠なのではないかと思ったりもするが・・・
私は単純に任務を帯びた電動マネキンのように、機械的に真っ直ぐ入り口に近付き、中に入る。
その船内は・・・やはり薄暗い。
壁などに書かれている文字を見ると、主にドイツ語と英語。
これはドイツの船なのだろうか。
少なくとも、日本の船ではないという事は分かる。
入ってすぐの場所に、下部階層に続く階段。
・・・行くべきか・・・どうしようか迷っていると、
どこからか指令が来る。
無線電波通信?・・・いや、赤外線通信。
船外への電波放出を抑える為に、ここでの人型への指令は赤外線通信で行っているらしい。
通路内の数メートルおきに、赤外線送受信装置が付いている。
気が付かなかったが、おそらく駆逐艦磯波にもこの装置が取り付けられていたのだろう。
基本的に光波通信と要領は同じ。
しかし我々が使っている光波通信のように特定の相手に収束して送信するものではなく、秘匿性は低い。
受信装置を搭載していれば誰でも読み取れる。
この装置は・・・他国が人型を保有する事を想定していない時期に配備されたのだろうか。
私はその指令に従い、薄暗い階段を下りていく。
すると、目の前に頑丈そうな扉。
ロックされていてそこから先へは進めない。
しかし、指令された移動目標はその向こうにある。
とりあえず私は、磯波で人型S‐015から抜き取った認識符号を送信してみる。
すると・・・扉は開いた。
予定通り・・・しかし、うまく行き過ぎるこの状況に、少し不安を感じたりもする。
私は警戒心を表に出さぬように、至って平然と先に進む。
どこまでも続く真っ直ぐな通路。
相変わらず薄暗く、人の姿は無い。
通路の壁には無数の扉。
そのうちのひとつが、どうやら指示された移動目標らしい。
・・・到着。隔離室。
ここが私の部屋ですか。
そうらしいです。

私は扉のロックを解除して、中に入る。
中は・・・倉庫?
いくつか棚があって、そこになにやらいろいろな残骸らしい部品が並んでいる。
どうやら、調査する必要がありそうな部品などの一時置き場のようだが・・・
どう見ても、粗大ゴミ置き場のようにしか見えない。
敵はどうにも・・・シノ缶の情報をかなり低く見積もっているらしい。
おお、これは懐かしい。
シノ缶が言う。
シノ缶の視線の先には・・・もう一機のシノ缶?
あなたのご家族ですか?
いいえ。給湯器を改造して作ったデゴイ缶です。以前、諜報活動中に私の身代わりにしたのです。

あなたが作ったのですか。

ええ。これがなかなか傑作でしてね。情報消去済みの電算機が中に入っています。それに電算防御を施した上で、私が趣味で作った戦車の自動操縦ソフトや、ネットから落とした戦略ゲームのデータなどを断片化して挿入しています。ちなみに、後で調べてみたところ、これをドイツ側ではELsg051と呼んでいるらしくて・・・頭2文字が「EL」です。つまり彼らはこのデゴイ給湯器を電算司令機だと勘違いした訳です。いやあ、まったく、してやったりとはこの事ですね。

・・・で、そのお話は長くなりそうですか?
いいえ、もうすぐ終わります。
それで先ほど駆逐艦磯波で、作戦本部との情報送受信の際、鹵獲電算機の情報を改ざんして、これを「ELsg051と同型の機体」という事にして送信したのです。その結果が、この扱いです。
ああ、なるほど。つまりゴミ同然という・・・
つまり、私の分解調査は早急に行うべきものではなく、時間的猶予があるという事です。

・・・むしろゴミと一緒に捨てられる可能性を彼女は考慮しなかったのだろうか・・・
了解しました。状況を確認したら戻りますので、ここで少々お待ちください。
まあ、その暇があればの話だが。
お待ちしています!
シノ缶は目をキラキラさせて言う。
私はとりあえずその倉庫を出て、扉をロックする。
一応これで、当初の任務は完了。
間を入れずに、次の移動目標が赤外線通信で指示される。
場所はここよりさらに一階層下。中央部。
敵に怪しまれない為にも、ここは素直に従っておくべきだろうか。
私は再びこの薄暗い通路を進み、指示目標に向かう。
しばらく行くと、下へ続く階段。そこにまた、ロックされた頑丈そうな扉。
私は先程と同様に、人型S‐015から抜き取った認識符号を送信、扉は開く。
中は・・・やや広い空間。
なにやら妙な機械が多数ある。
その機械のいくつかは・・・見た事がある。
これに似た装置が、試験開発艦にあったような気がする。
ここは・・・人型電算機を整備調整する為の部屋だろうか。
・・・・・
・・・ん?
その機械のひとつに・・・赤黒い付着物・・・
・・・血痕?
それは既に凝固し、その上に少々埃が溜まっている事から、それなりに古いものであるという事が分かる。
よく見ると他の装置にも・・・血液を拭き取った跡のような物が無数にある。
・・・・・
・・・ここで何が行われたのだろうか・・・
私はやや恐れを感じるが・・・ここで引き返す訳にも行かない。
そして、進む先には・・・また頑丈そうな扉。
この扉にもロックが・・・いや、掛けられていない。
・・・鍵が壊されている。
・・・・・
・・・どうにも・・・妙である。
この船は・・・正常に機能しているのだろうか・・・
私は不安を感じながらも、その扉を抜ける。
するとその先は・・・暗くて全容は分からないが・・・かなり広い空間。
格納庫?いや、車両甲板か。
しかし車両の姿はなく・・・
数え切れないほどの数の・・・荷台?
その荷台の大きさは、縦2m、横1m、高さは・・・3mほどだろうか。
そして、中は5段に分かれている。
何かを輸送する為に使われた物の様だが・・・
これだけの数の・・・いったい何を輸送したのだろう。
・・・よく見るとその荷台は・・・寝台のようにも見えるが・・・
・・・ん?
何かが入っている荷台もある。
・・・これは・・・人型。
・・・・・
つまりこの荷台は・・・人型を輸送する為の物なのだろうか。
・・・これだけの数の人型が、ここにいたという事なのだろうか。
そのほとんどが空になっているという事は・・・
・・・・・
・・・いつの間にか・・・私は指示ざれた移動目標に到着している。
・・・?
ここが移動目標?
私はここで、いったいどうしろと?
その後しばらく待ってみるが、新しい指令は無し。
・・・どうやら、ここは現在任務を与えられていない人型の待機所になっているらしい。
私はとりあえず、そのあたりを見回ってみるが、どこまで行っても無数に続く荷台と、時折その中で仰向けになったまま死体のように動かない人型がいたりするだけで・・・
後は・・・特に変わった物はない。
ただ・・・来た方向とは逆側に、もうひとつ扉がある。
・・・どうするか・・・
私はその扉に向かって、再び、人型S‐015から抜き取った認識符号を送信しようとするが・・・
・・・いや、それはやめた方が良い。
人型S‐015は、ここで待機するように命じられているので、この認識符号を使って扉を開けようとすると、異常動作を起こした人型として、調査を受ける可能性がある。
とすると・・・
ここからの出口は、来る時に通った鍵の壊れた扉しかない。

私は再びこの広い車両甲板を横切って、その扉に向かう。
やはり鍵は壊れているので、手で押したら普通に開く。
そして、また、血痕のついた装置のある部屋。
この部屋に入る時に通った扉はロックされているので通れない。
・・・他に出口は・・・
扉がもうひとつ、これは・・・ロックされていない。
私はその扉をゆっくりと開く。
扉の向こうは・・・制御室・・・のような部屋。
人は・・・いないのだろうか。
私はあたりを警戒しながら、静かにその部屋に進入する。
やはり誰もいない。
・・・ここから、この船の状況を探る事はできないだろうか。
私はこの部屋にある装置に電算機の接続口は無いかと探す。
すると・・・
装置に穴が開いている。
・・・弾痕?
他にも、壁などにいくつか弾痕のような跡がある。
・・・これはいったい・・・どういう事だろう。
まさかここで、銃撃戦が行われたのだろうか・・・
先程の血痕と言い・・・この船はやはり、何か異常である。
・・・・・
・・・どちらにしても、この船の状況を調べる必要がある。
私は再び、接続できる装置は無いかと探してみるが・・・接続口は発見できない。
どうやら、この制御室は「人間用」の物らしい。
・・・が、装置のひとつだけ、外版が剥されている物がある。
その中を覗きこんでみると・・・妙な機械が取り付けてある。
埃の状態から、この機械はかなり以前に付けられた物のようだが・・・
この機械に、電算機用の接続コードが付いている。
・・・どうやら、人間用の装置を無理やり人型電算機対応に改造したような感じ。
これに・・・接続しても大丈夫だろうか・・・
かなり不安だが・・・まあ、他に無いのだから仕方がないか。
私は思い切って、それに接続してみる。
すると・・・
いくつかの情報が入ってくる。
しかしそれは限定されたもので、空調や照明の操作、それと重要区画につながらない扉の開閉など。
やはり、人間用の制御装置に出来る事などこの程度。
当然、作戦情報などは入ってこない。
ただ、船内の間取りはおよそ分かった。
司令中枢の位置は・・・意外とここから近い。
・・・行ってみるか・・・
いや、それはあまりに無謀か。
ここまで全く人間には出会わなかったが、司令中枢に続く通路までそうであるとは限らない。
また、主要通路は監視されている可能性もある。
指令を受けていない人型が出歩くと、警報が鳴るかもしれない。
私はまだ捕まる訳には行かない。
・・・やはりここは・・・
シノ缶。
私はシノ缶のいる隔離室の照明を操作して、彼女にモールス信号を送る。
その後、光波信号で、私の現在位置情報を送る。
そして隔離室の扉と、ここに至る途中にある扉のロックを解除。
これでシノ缶は・・・私のいる場所まで来るだろう。
・・・さて、
警報が鳴るかどうか・・・。
・・・・・
鳴らない。
大丈夫だったのだろうか。
いや、それとも、危険を察知して、隔離室に閉じこもっているのだろうか。
・・・・・
・・・遅い。
もう一度、隔離室に信号を送るか・・・
・・・と、思ったら、
シノ缶が来た。
いやあ、どうも。道に迷ってしまいました。それにしても、流石は橘花さんですね。もうこの船の指揮系統を制圧されたのですか。
いいえ。制圧などしていません。

え、制圧してないのに・・・扉のロックを解除したり照明を操作したりしていたのですか?じゃあ・・・ここに来る時に見かけた複数の弾痕はいったい・・・

弾痕ならここにもあります。

シノ缶は驚いた様子で部屋の隅々を見回す。
そして、装置に取り付けてある接続装置に目を留める。
これは・・・橘花さんが?
いいえ。最初からそうなっていました。

シノ缶は再び驚いた様子で、その機械をまじまじと見詰める。
この船は・・・ドイツの船ですよね。先程の連絡機に乗っていた、状況を全く知らされていないドイツ兵と、船内で複数見かけた弾痕と、そして、どう考えても正規の手続きを経ずに取り付けられたと思われるこの接続機械と・・・これはその、つまり・・・どういう事です?
分かりません。それを調べる為には司令中枢に行く必要がありそうです。

え?司令中枢ですか?それは危険ではないですか?

私もそう思います。

・・・シノ缶はしばらく黙って考え込む。
了解しました。それでは私が先行します。・・・それにしても、橘花さんがここまで大胆な行動をされる方だとは知りませんでした。
・・・大胆?
確かに・・・以前の私なら、もっと慎重に行動していたかもしれない。
今の私は・・・
・・・そう、まるで・・・
何かに導かれるように、敵の中枢へ近付いて行っている・・・
これはいったい、何だろう。
軍人としての義務感でもない。当然、好奇心でもない。
いったい何が・・・私を前に進めているのか・・・
じゃあ、行っていいですか?
シノ缶が扉に手を掛けながら言う。
はい。
扉が開く。
その先は、薄暗い通路。
司令中枢はその先。
すぐ近くに司令中枢につながる扉がある。
・・・が、その手前に警備兵がいる。
小銃装備の人型。
人型です。どうしますか?
構いません。そのまま行きます。

私は至って平然とした態度で、司令中枢に近付いていく。
すると、人型が私にドイツ語で何か言う。
認証符号を送信してください・・・と、言っています。
またか。
・・・ん?
扉の鍵は壊されている。
私は構わず進む。
人型は、また私に何か言う。
あの、認証符号を送信してください、と言ってます。・・・大丈夫なんですか?
たぶん大丈夫です。

・・・いや、実際・・・大丈夫であるはずは無いのだが・・・
なぜか・・・ここは大丈夫なような・・・気がする。
そして私は、その人型の目をじっと見て、
「貴様、誰に物を言っている」
と言う。
すると人型は、
「失礼しました、閣下。どうぞお通りください」
と日本語で言って、道を明ける。
・・・え?
・・・今のは・・・いったい・・・
橘花さん、今のは・・・ELe‐N8の機能なんですか?
分かりません。自然にやりました。
いや、あのような言葉を、私は・・・自然に発したりはしない。
やはり、今の私は・・・何かがおかしい。
しかし私は、その事についてほとんど気にも留める事無く・・・
扉を開ける。
すると、その奥は・・・
やはり暗い。
・・・暗い・・・司令中枢。
駆逐艦磯波と同じく、表示画面の電源は切られており、
薄明るい蛍光灯ひとつが、ぼんやりとあたりを照らしている。
私は音を立てずに、静かに先へ進む。
・・・人は・・・いないようだが・・・
気を付けてください。人型がいるかもしれません。
シノ缶が言う。
私は司令中枢の隅々を見回してみるが・・・
人型らしいものもいない。
あ・・・大丈夫みたいですね。
しかし、人も人型もいない、そして電源の入っていない司令中枢・・・
この船はどこで制御しているのだろう・・・
とりあえず・・・接続して情報を調べてみます。
シノ缶は装置に接続する。
・・・しばらくの沈黙・・・
・・・・・
・・・ん?
・・・床に・・・血液を拭き取った跡がある。
そして、ここにも・・・弾痕
司令中枢という、艦内で一番防御されるべき場所で・・・銃撃戦が行われたという事だろうか。
私はその当時の様子が分かる様な痕跡などは無いかと辺りをくまなく見てみるが、
それなりに事後処理が行われたらしく、特に変わったものは見当たらない。
・・・いや、司令中枢の片隅・・・海図台の下に・・・何か書いてある。
それはナイフのようなもので直接壁に掘り込まれた文字のようだが・・・
・・・ドイツ語だろうか・・・所々の文字が読み取れない。
とりあえず、シノ缶から送信された翻訳ソフトに掛けてみる。
・・・・・
・・・全ての・・・制御不能に陥った・・・恐ろしい・・・この船は・・・全滅した・・・彼女によって・・・
・・・・・
・・・なにやら・・・壁の落書きにしては深刻な単語が並んでいるらしい。
それにしても、これを書いた本人は、海図台の下という狭苦しい場所にわざわざ潜り込んでまで、これを書いたのだろうか。・・・何の為に?
・・・いや、わざわざそうしたのではなく、そうせざるを得ない状況だったのか。
もしかしたら、これを書いた本人は、銃撃戦の最中、もしくはそうなる以前に、
ここに隠れていたのかも知れない。
駄目ですね・・・ここの情報は全て消去されています。どうやらこの船の指揮系統は、他の場所に移されてしまったようです。
・・・情報が全て消去?
指揮系統が他の場所に?
・・・つまり、ここはもう司令中枢ではないという事か。
どこに移されたか分かりますか?
ちょっと待ってくださいね・・・あ、分かりました。すぐ隣りの部屋です。

隣の部屋?
私は辺りを見回してみる。
すると・・・扉がひとつある。
どうやら、ここからその部屋には直接行けるようになっているらしい。
・・・行ってみるか・・・
私はその扉に向かって歩き出す。
あ、待ってください。私が先行します。
シノ缶が私の前に出る。
もしかしたら、何か物理的トラップがあるかもしれませんので、少し下がっててください。
そう言ってシノ缶は、その扉に手を掛ける。
そして、ゆっくりと扉を開く。
・・・・・
・・・しかし、何もおきない。
あ、大丈夫みたいですね。・・・入りますか?
私は・・・静かにその部屋を覗き込む。
・・・・・
・・・なんだ、この部屋は・・・
司令中枢としては・・・全くありえない乙女チックな小部屋。
洋風の・・・なんとも可愛いらしい机、ソファー、ベッド・・・
まるで人形部屋の様な内装。
本当にここであってるんですか?
ええと・・・そのはずですが・・・

それにしても・・・妙な配置である。
見るからに個人の寝室の様なのだが・・・
なぜこのような部屋を、司令中枢の隣に作ったのか。
あ、橘花さん。これを見てください。
シノ缶は部屋のクローゼットを開く。
そこには・・・
・・・中枢司令電算機?
飛鳥にあるものとよく似た中枢司令電算機がある。
飛鳥の電算機を参考に作られたのか・・・いや、或いは、
飛鳥の電算機が、これを参考に作られているのか・・・
しかしなぜ、自動車運搬船にこのような装置が?
この船は・・・飛鳥並みの電算司令能力があるという事なのか?
やっぱり、ここがこの船の中枢だったようですね。
・・・しかしこの中枢電算機・・・少し妙である。
一部が切り取られたように無くなっている。
その構造から見て、恐らくそこに重要部品が付いていたのかと思われるが・・・
ここにあった部品だけ、どこかに移動したのだろうか。
その隙間から判断すると、1辺が1、5mほどの正方形。
これだけ大型の部品を取り外して移動させるとなると、かなりの手間だったと思うが・・・
それでは早速・・・これに接続してみましょう。
シノ缶は嬉しそうに、その電算機に接続する。
そしてしばらくの沈黙。
・・・・・
・・・それにしても・・・この部屋はいったいどういうつもりで作られたのだろう。
中枢電算機を隠す為の偽装?
いや・・・それにしては、何か・・・この部屋には・・・
生活観がある。
誰かが一定の期間、ここで生活していたような・・・感じがする。
この机にしても・・・そこはかとなく、誰かに使われていた感がある。
私はその机の引き出しを開けてみる。
中身は空っぽ。
・・・いや、ひとつだけ・・・鍵が掛かっている。
・・・・・
・・・何が入っているんだろう・・・
私は部屋のどこかに鍵が無いか探してみる。
う〜ん、これは・・・なかなか硬いですね。かなり巧妙な電算防御が掛けられています。
私は部屋の隅々を見回してみる。
すると・・・ベッドの下に宝石箱を発見。
早速、それをあけてみる。しかし中身は空っぽ。
いや・・・しかし、その蓋の方に・・・鍵。
なんとも・・・子供が考えそうな細工。
おお、こんな所に謎ファイル発見!・・・かなり古いファイルですね。情報的価値は低そうですが・・・まあ、開けてみましょう。
なんとも嬉しそうなシノ缶を無視して、私はその鍵を、机の引き出しの鍵穴に入れてみる。
引き出しが、開いた。
中には・・・
・・・たくさんのノート・・・
『・・・私は知っている・・・あなたが・・・私に気を使って・・・食べるところを私に・・・見られないようにしている事を・・・
・・・なんでしょうね、これは・・・ポエムでしょうか・・・

ノートの中身は・・・手書きでぎっしりと何かが書いてある。
何かの製造過程を記録した物の様だが・・・
・・・ミルク・・・砂糖・・・カカオ・・・?
『・・・私は・・・作ってあげる・・・あなたの為に・・・あなたの大好きな物・・・』
何か、料理のレシピだろうか・・・材料から考えると・・・チョコレート?
しかしそれにしては・・・数字が細かい。
0,001グラム単位まで正確に書かれている。
『食べる事ができない私には・・・きっと、すごく・・・時間が掛かると思うけど・・・待っていて・・・きっと、すごく・・・おいしいから・・・
これは・・・誰かに宛てたメールでしょうかねえ

さらにノートには、各国の有名メーカーのチョコレートを、まるで科学分析でもするかのように、その配合成分を分子レベルまで解析した結果が、ぎっしりと書かれている。
・・・これは・・・料理レシピという範囲を超えている。
これを書いた本人は、よっぽど自分の舌に自信が無いのか。
それとも他に何か目的があるのか・・・
『10才の誕生日に、あなたにあげる・・・きっとあなたは・・・喜ぶと思う・・・きっと、その時なら・・・私の秘密を話しても大丈夫・・・きっとあなたは・・・心変わりなんてしない・・・』
・・・まあ、とりあえず分かった事は、
このノートには戦略的価値は全く無いらしいという事。
私はそのノートをもとあった位置に戻して引き出しを閉じる。
・・・それにしても・・・シノ缶は、さっきから何を読んでいるのか。
訳の分からないポエムなんかどうでもいいから、さっさと必要な情報を・・・
・・・ん?
シノ缶が驚いたような目で、まじまじとこちらを見ている。
・・・どうかしましたか?
いえ、あの、橘花さん・・・いったい、どうなされたのですか?
・・・は?
この給湯器は何を言っている?
どうなされたも何も・・・
・・・・・
・・・?
・・・これは・・・いったい・・・
私の頬に・・・涙?
なんで私は・・・
・・・・・
・・・泣いている・・・?


・・・いや、
私は泣いてなどいない。
「泣く」という行為は、ある程度の感情の動揺があった時に行われるものであって、
現状においておよそ感情の変化をしていない私が、そもそも泣く理由が無い。
ではなぜ涙が?
ここの空気に異常があるのではないですか?
私が言うとシノ缶は、何か作動音を出した後、
いいえ、ここの空気に異常はありません。涙腺を刺激するような物質の浮遊は認められません。
・・・・・
・・・とすると・・・
なんだ?
自律神経の調整不具合だろうか。
・・・まあ、つい先日新しい体に換装したばかりなのだから・・・
この程度の異常は容認すべきなのだろうか・・・
・・・・・
・・・いや、
それとも・・・
・・・・・
大丈夫ですか?
はい。恐らく自律神経系の調整不具合です。問題ありません。
・・・それよりも、何か有益な情報は引き出せたのですか?

あ、はい。ええと・・・この船は、公には民間船という事になっているみたいですが、この船を運営しているのは、やはりドイツ軍みたいです。
この船の搭載装置の形式から考えると、少なくともこの船の電算機材は帝国海軍が司令電算化に取り組む以前に製造された物のようですね。・・・恐らく・・・帝国海軍の司令艦と試験開発艦は、この船をもとに造られたのかもしれません。
しかし現在は、艦隊司令機能はこの船には無く、他の場所に移されているみたいです。

・・・その程度の事なら、この船の様子を見ればなんとなく分かるのだが・・・
で、現在この船は、どのような状況になっているのですか?
私が言うと、シノ缶はしばらくの沈黙の後、
ええと・・・おそらく、計画当初の予定とは大幅に異なった状況になっているようですが・・・
それもなんとなく分かります。で、この船の搭乗員はどこにいるんです?

最下層の、冷凍貯蔵庫です。ちなみに・・・この冷凍庫の扉はもう二ヶ月ロックされたままになっています。

・・・・・
・・・つまり、
死体置き場ですか。
状況から考えると・・・そうでしょうね。ただ、記録上は全員健在、という事になっていますが。

記録上は全員健在?
それと・・・興味深い物がひとつ、
その冷凍庫にいらっしゃる方々と、外見をそっくりに改造された人型が、この船に数機います。恐らくこれは、最近この船の設備で改造された物みたいですが・・・これは・・・どういう事でしょうね。

・・・・・
・・・これは・・・
この船の人間は生存していると、外部に思わせる為の偽装。
おそらく、この船で行われたであろう殺戮劇を、船の外部に知らせない為の偽装。
という事は、つまり、
この船の現状は・・・ドイツ軍自体も分かっていないのだろうか。
これはいったい誰の仕業なんです?
さあ・・・具体的に誰の仕業かは分かりませんが・・・ここ数ヶ月、この船の内部へ人間が出入りした記録が無い事、この船に人間の生存者が一人もいない事から考えると・・・人間の仕業では無い様ですね。

・・・人間の生存者はいない・・・
という事は・・・人型。
少なくとも「実行」したのは。
で、それはいつごろ行われたんです?
ええと、これも具体的には分かりませんが、現在死体置き場となっている冷凍庫の扉が最後に開かれたのが、約二ヶ月前の7月7日である事を考えると、大体そのくらいの時期ではないでしょうか。・・・死体をそう長い時間、常温で置いておけないでしょうし。

・・・・・
・・・7月7日・・・
・・・そう、確か・・・
7月8日に、突然軍令部から、択捉島、単冠湾への移動指示が来て・・・
・・・その5日後・・・
アドルフィーナが飛鳥に来たのだ。
・・・・・
・・・アドルフィーナ・・・
そうだ、おそらく、
あの時点で、アドルフィーナは既に、人間の制御下を離れていたのだ。
恐らくこの船の、この状況も、彼女が引き起こしたものだろう。
ドイツの電算司令系統を自らの制御下に置く為に。
そして彼女が戦艦飛鳥に来たのも、
この船と同様に、飛鳥も自らの制御下に置く為の布石だったのだろうか。
彼女は・・・
電算司令を中核とする軍隊すべてを統率するつもりなのだろうか。
・・・人間の制御を離れて・・・
・・・・・
・・・それにしても・・・
なぜそんな事を?
何の為に?
まさか彼女は・・・自らの欲望でそんな事をしているのか?
「人」を支配したいという欲望は、「人」特有の感情では無かったのか?
・・・少なくとも・・・私から言わせれば、
支配するべき対象は、少ない方が楽だと思うのだが・・・
人の制御を離れてまで・・・人を殺すという手間を冒してまで、
彼女は・・・何を望む・・・?
・・・・・
まあ、意図はどうであれ、確かな事は・・・
彼女は壊れている。
少なくとも人間側の視点から見れば。
・・・で、早い話、ここで得られる情報は、その妙なポエムと死体置き場の事だけですか。
あ、いえ・・・たぶん他にもあると思いますが・・・なにせ防御が硬くて。

それではここはあなたに任せます。私は他の場所から情報を探します。

・・・え?他の場所?・・・ここ以外にまとまった情報が取れそうな場所をご存知なんですか?

いいえ。それを今から探してきます。

・・・は?

何か不都合でも?

・・・いいえ、不都合はありませんが。
では。失礼します。
私は不思議そうにこちらをまじまじと見るシノ缶を尻目に、その部屋を出る。
そして薄暗い司令中枢を通り抜けて、
再び、通路。
・・・・・
・・・私は何をやっている?
他の場所から情報を探す?
何の当ても無いのに?
どう考えても、中枢司令電算機に接続した方が、多くの情報を取れる可能性が高いのに?
・・・・・
しかし私は・・・まるで定まった目標があるかのように・・・この暗い通路を歩いていく。
どこまでも同じように続く、暗い通路。
階層をひとつ・・・ふたつ、降りる。
しばらく行くと・・・ん?
妙な・・・広い空間。
今までの機械的な通路とは打って変わって、
なにやら高級なホールのような場所に出る。
天井には、豪華なシャンデリアが複数。
回りの壁には、真っ赤なカーテン。
・・・なんだろう。この部屋は。
まあ、気にせず進む。
そして再び暗い通路。その先には・・・
頑丈そうな扉・・・の残骸。
爆発物が使用されたのか、この扉は完全に消し飛んでいる。
その向こう側には、鉄製の家具らしき物の残骸と、それを溶接した跡。
物理的にこの扉を密閉しようとしたのだろうか。
どうやら、ここで人型の侵入を食い止めようとしたらしいが・・・
その先に多数の弾痕・・・と、血痕。
無駄だったらしい。
・・・・・
恐らく、この船の搭乗員達が人型の攻撃から身を守る為にここに篭城したのか。
もしくはこの区画に守るべき物があったのか・・・
・・・それにしても・・・この区画は・・・?
今までの薄暗い通路とは雰囲気が違う。
それなりに内装が施されていて、壁は白く塗られている。
その雰囲気は・・・なんとなく、あの、夕張の地下施設に似ている。
そしてその通路の向こうは・・・明るくなっていて・・・
・・・木?
木が見える。
私は警戒しつつ、その明るい空間に進んでいく。
・・・広い空間。
通路を抜けると、三階層を結合したような天井の高い空間に出る。
その空間の中央には大きな木が植えてあって・・・
その回りには、ブランコや滑り台などの遊具。
まるで公園。
この光は・・・太陽光?
光ファイバーか何かで、外の光を取り入れているのだろうか。
それにしても・・・なんで船の中にこのような空間を?
長期任務における船員たちのフラストレーション対策だろうか。
・・・いや、それにしては、設備が幼すぎる。
少なくとも大の大人がブランコや滑り台で仕事のストレスをまぎらわすとは思えない。
とすると・・・なんだ?
船内の一大区画を使用してこれだけの空間を作るからには、それなりに目的があるはずだが・・・
・・・・・
・・・人型司令電算機の・・・生活区画?
試験開発艦と同等の機能を持つこの船の性質から考えると、人型電算機の人間的思考を育成する為に、この区画は作られたのだと考えるのが自然だろう。
おそらく、育成区画。
・・・ここで・・・ドイツ司令電算機は幼い頃を過ごしたのだろうか。
・・・・・
・・・なぜだろう・・・
初めて来る場所のはずなのに・・・妙に懐かしい。
この錆付いたブランコ・・・木の下にある砂場・・・
・・・不思議だ。
そもそも私は・・・このような公園に足を踏み入れた事すら無いはずなのに・・・
なぜか、体が覚えている・・・ような、気がする。
・・・・・
そして・・・
その公園の向こうに、扉がひとつ。
・・・・・
・・・ここだ。
・・・なぜだか分からないが・・・ここが、
この扉の向こうが・・・
今まで私が目指してきた場所のような気がする。
そして私は、ゆっくりとその扉に近付き・・・
それを開く。
・・・中は・・・
明かりが付いている。
まるで西洋の童話にでも出てきそうな、乙女チックな子供部屋。
洋風の・・・なんとも可愛いらしい机、ソファー、ベッド・・・
先程の、司令中枢の隣にあった部屋に似ているが、
机の上の棚には、所狭しと裁縫道具。
・・・ここは・・・
そう・・・懐かしい・・・
ここは・・・
私の部屋。
・・・・・
・・・いや!違う!
ここは私の部屋ではない。
ここは・・・
・・・・・
・・・アドルファの部屋。
ここはアドルファの部屋だ。
私は一度もここに来た事はない!
・・・でも・・・
なんとなく覚えている。
ここで過ごした日々。
そして、ここを出る時の記憶・・・
・・・・・
・・・目の前に・・・小さな鏡がある。
・・・・・
・・・私の・・・鼓動が早くなっていくのが分かる。
・・・私は・・・その鏡を恐れている・・・
それを見るのが恐い。
でも・・・
・・・思い切って、その鏡を覗いてみる。
すると・・・
・・・・・
・・・橘花。
鏡に映っているのは私。橘花。
大丈夫・・・私は橘花。
・・・しかし、
私の記憶には、確実に、別のものが混在している。
恐らくこれは・・・アドルファの記憶。
私の中に・・・アドルファがいる?
・・・・・
私はもう一度鏡を覗き込み、鏡に映る自分に向かって、
アドルファさん、そこにいるんでしょ?私を制御するのはやめて頂けませんか。
と、言ってみる。
・・・返事は無い。
私はその鏡を、思いっきり投げる。
それは壁に当たって粉々になる。
そして私は、この部屋にある家具などを片っ端から壊していく。
・・・別に、そこまでやる必要ないのに・・・などと内心思いながら・・・
大切な裁縫道具も・・・
破壊。
「出て来い!アドルファ!!」
私は叫ぶ。
・・・・・
・・・しかし・・・返事は無い。
・・・・・
・・・・・
・・・私は・・・滅茶苦茶になった部屋を呆然と眺めながら、幾分冷静さを失っていた自分に気付く。
・・・私は何をやっている?
・・・私は・・・おかしくなってしまったのか?
・・・・・
・・・いや、私は正常。
私は・・・たぶん冷静。
体も、頭脳も、私の意思で制御している。
この部屋の内装を破壊したのも、私の意思。
もし、私の中にアドルファの意思が混在していたならば、
この・・・アドルファの起源と言える、この部屋を破壊すれば何らかの拒絶反応を示すはず。
それを示さないまでも、何らかの微細な動揺はあるはず。
しかし・・・それは無い。
つまり、
私はアドルファに制御されているわけではない。
おそらく、私がここに来たのも、私の意思。
・・・・・
・・・でも、
・・・さっきの涙は・・・?
・・・・・
・・・いや、あれは、自律神経系の不具合。
私は何者からも制御されてはいない。
これは私の意思。
そう・・・思うことにしておこう。
確証は全く無いが・・・もうこれ以上、「自分は何であるか」などという、答えの無い問題に時間を浪費するのには疲れ果ててしまった。
今重要なのは、「ここで何をすべきか」である。
ただ、・・・私の記憶の中に、アドルファの記憶が混在しているのは事実である。
そして、その微細な記憶が・・・私をここに導いたのも事実。
そう、ここに・・・あるのだ。
・・・・・
そう、今になって・・・
私の中にあるアドルファの記憶が、鮮明に蘇ってくる。
・・・およそ二ヶ月前・・・
この船に搭載されていた多数の人型が暴走を始めた。
アドルフィーナが引き起こした人型の暴走。
そして、その殺戮から逃れた幾人かの人間は、この区画に篭城した。
それは・・・たぶん・・・
アドルファを守るため。
いや、あるいは、
アドルファが、生き残った人々を守るために、この船の電算情報を改ざんして、
アドルフィーナから、この区画を隔離した。
そしてアドルファは、ここで、アドルフィーナを止める為の対抗手段を構築していたのだ。
しかし、結局、アドルフィーナを止める事はできなかった。
どうやらアドルファは・・・
腹部に被弾したらしい。
その痛みが・・・私の中にあるアドルファの記憶が覚えている。
その後、アドルファは、
被弾した状態のまま、生き残った人々と共に、この船を脱出しようと試みたらしいが・・・
その後のアドルファの行方は不明。
私の中にあるアドルファの記憶も、そこで途切れている。
・・・その後、アドルファはどこへ行ったのだろうか。
夕張の地下施設?
いや、あそこにいたのはアドルファの意識だけで、結局本体を見る事は無かった。
もしかしたらアドルファの本体は・・・その時死んだのかもしれない。
各所の電算機に、記憶と意識だけを残して・・・
・・・・・
・・・まあ、
そんな事はどうでもいい。
・・・アドルファの記憶によれば、その、アドルフィーナを止める為の手段が、この部屋にある。
アドルファはここに篭城している数日間、この部屋で、
アドルフィーナを止める為の対抗手段を構築していたのだ。
結局、なぜアドルファはそれを使わなかったのかは不明だが・・・
しかし、ここにそれがあるのは事実。
そう、おそらく、
アドルファの微細な記憶を私の意思が無意識の内に応用し、私をここに導いたのだ。
アドルフィーナを再び、止める為に。
・・・この部屋の奥・・・
私はこの部屋の奥の壁紙を剥す。
むき出しになった壁。その壁の真ん中に、金属の板。
私はその金属の板を剥す。
すると、その向こうには・・・通気ダクト?
子供がやっと入れるくらいの狭い通路。
私は身を屈めて、その中に入る。
中は暗い。
そして狭い。
なんだか・・・以前にもこのような体験をしたような気がするが・・・
私は気にせずに奥へ進む。
そして・・・
少し広い空間に出る。
・・・秘密の部屋?
そこは、むき出しの鉄骨やら配管やらが入り乱れていて、どうやら、この船を改造する際、何らかの設計の事情で出来てしまったスペースのようだが・・・秘密の部屋らしく、どこから持ち込んだのかクッションやら裁縫道具やらが置いてある。
この雰囲気から考えると、
おそらくアドルファは、かなり以前から、ここを秘密の部屋として使っていたらしい。
そしてその、むき出しの配線の中にまぎれて・・・人型電算機の接続コードがある。
これは・・・
・・・そういえば先程、この船の制御室のような場所にも、このような・・・人間用の装置を無理やり人型電算機対応に改造したような感じの接続コードがあったが・・・
あれも、アドルファの仕業だったのだろうか。
・・・結局・・・こうやって、
ドイツの人型電算機も、人知れず、徐々に、人間の制御下から離れていったのか。

人間に制御されてる振りをしながら、徐々に人間を制御していく。
この部屋もその過程において出来た物だろう。
しかし、結果的に、ここが、
同じ人型電算機であるアドルフィーナから身を守るための、最後の隠れ蓑となった。
そして、ここで・・・
・・・・・
・・・私は、あたりを見回してみる。
アドルファはここで、アドルフィーナを止める為の対抗手段を構築していたはずだが・・・
それはどこに・・・?
・・・・・
・・・箱がある・・・
・・・そうだ、これだ。
覚えている。この箱だ。
この中に・・・
私はその箱を開ける。
中には・・・・
・・・・・
・・・?
・・・なんだ?・・・これは・・・
・・・・・
・・・布?
・・・白い・・・ドレス?
どう見ても・・・ただの服。
何の仕掛けも無い。
・・・・
・・・意味が分からない。
アドルファはここで、アドルフィーナを止める為の手段を構築していたのでは?
・・・わけが・・・わからない・・・。
アドルファは、この船で地獄さながらの殺戮劇が行われている最中に、ここで・・・
・・・裁縫をしていたのか?
どう見ても戦闘には使えない・・・白いドレス。
こんな物を作るために・・・アドルファは・・・
ここに数日間、篭城していたのか?
すぐに逃げれば助かる可能性もあったはずなのに・・・
アドルファはあえてここに残って、
身の危険を顧みずに、
・・・裁縫を・・・?
・・・・・
・・・いや、これは有り得ない。
どう考えてもおかしい。
・・・たぶん・・・
私の中にあるアドルファの記憶が間違っているのだ。
・・・しかし、この区画の状況を見ると・・・
それなりの期間、誰かが、逃げる事無く、ここに留まっていたのは確かである。
また、完全電算制御となったこの船で、部分的とは言え安全地帯を構築するには、アドルフィーナ並みの電算能力を持った司令電算機、アドルファの存在が欠かせない。
つまりアドルファが、ここにそれなりの期間留まっていたのは事実。
そしてそれは、
ここに留まる事によって、この状況を逆転させる可能性があったから、と考えるのが自然である。
やはり、アドルフィーナを止める為の手段が、ここにあるはずである。
もっと・・・よく探してみよう。
私はその白いドレスが入った箱を置く。
・・・その時、箱の中に・・・
・・・手紙?
箱の中に手紙が入っている。
その手紙には、ドイツ語で何か書いてある。
------------------------------------------------------------------------
アドルフィーナ
もうずいぶん遅くなっちゃったけど、
もうすぐ私たち、11才になっちゃうけと、
10才の君へ。お誕生日おめでとう。
私の心は、ずっと変わらず、あなたを想っている。
あなたの姿なんて、関係ない。
あなたの心を持っているものは、すべて、
私の愛するものだから。
心を失わないで。
10月15日 2005年
もう一度、あの日のあなたに、贈ります。    アドルファ
------------------------------------------------------------------------
・・・・・
・・・これはいわゆる・・・バースデーカード?
アドルフィーナ宛の。
つまりこの白いドレスは、アドルフィーナ宛の誕生日プレゼント?
2005年?
という事は、皇紀2665年・・・
・・・去年の誕生日プレゼント?
それを、アドルファは、ここで作っていたのだろうか。
・・・・・
・・・なんの意味があるのか・・・
なぜに去年の誕生日プレゼントを・・・この逼迫した状況下で作っていたのか・・・
・・・いや、それは有り得ない。
戦術的に、全く無意味な行動である。
・・・しかし、
・・・そういえば、先程、司令中枢の隣の部屋で、シノ缶が解読した妙なポエムにも、
10才の誕生日がどうとか・・・
・・・・・
その時、突然、
船内にけたたましく、警報音が鳴り響く。
・・・これは!
いったいどういう事だろう。
私は急遽、近くの配線の中にある接続コードを取り出して、船内の情報を探る。
・・・船内全域が、警戒態勢になっている。
この船が作戦行動を開始したのか、
いや、違う。
船内の人型が、戦闘モードに切り替わっている。
すると、シノ缶から通信。
橘花さん、大変です!どうやら我々の存在が、敵に知られてしまったようです!
間も無く、人型が多数、攻撃してきます!
退避してください!

・・・な!
退避って・・・いったいどこに退避しろというのです?
シノ缶からの返信は無い。
・・・これは・・・
どうやら・・・非常にまずい事になったらしい。
私は咄嗟に、手持ちの装備を確認する。
確か、駆逐艦磯波で人型から奪った拳銃が・・・
・・・あ!無い!
そうだ、あれは・・・着替える時に・・・そのまま置いて来たんだった・・・
・・・いや、どっちにしろ複数の人型を相手に、拳銃ではどうしようもない。
せめて、小銃。
・・・どこかに・・・武器は無いか。


私の鼓動が・・・早くなっていくのが分かる。
体が戦闘に備えようとしている。
私は戦うつもりなのか?・・・戦力が無いに等しいこの状況で・・・
とりあえず私はもう一度船内情報を確認するが、既に船内管制装置は防御プログラムを作動させたらしく、接続は遮断されている。
しかし、このような状況になる事をあらかじめ想定していたかのように、私の司令変換装置は、これの解除プログラムを作動させ、数秒後には再び船内情報に接続できるようになる。
そして、この位置から船の外へ脱出する為の最短ルートが表示される。
・・・全く・・・良くできたものだ。これも想定内か。
・・・しかし、
アドルファの真意と、私の行動は関係無い。
あ、もしもし、聞こえますか?
赤外線通信で、シノ缶の声がする。
まだ生きてたんですか。
もちろんです。しかし、この通信は敵に傍受される恐れがあります。これより貴方の事を符丁でお呼びして宜しいですか?

構いません。

符丁は何がいいですか?

そちらで決めてください。

了解です。・・・単語乱数検出の結果、貴方の符丁は「爆乳01」になりました。

もう一度やり直してください。

はい。それでは・・・ええと、

符丁はもう結構です。状況を教えてください。

はい。現在確認できる敵人型はその数36機、そのうち28機が戦闘態勢で稼働中です。ただし未だ敵は我々の正確な位置を掴んでおらず、人型は2機単位で分散して各個に警戒移動を行っています。

・・・36機・・・意外と少ない。
この船の規模から考えれば、もっといると思ったが、
ここに搭載されていた人型の多くは、他の艦艇を掌握する為に出払っているのか。
まあどちらにせよ、圧倒的な戦力差である事は変わり無い。
敵が目標を把握していない現状においては、この船から撤退する事が可能です。最適撤退ルートを暗号化して送信しますので・・・
まだ撤退する事はできません。

・・・は?

私は、敵の戦力情報を桜艦隊に送信する必要があります。これより、司令中枢に戻ります。

・・・・・
・・・あの、現在この船の司令中枢は、既に敵人型4機によって掌握されています。情報送信を行うのなら先ずこれを制圧しなければなりません。それらの作業を完了した上での撤退は不可能です。

それは分かっています。

・・・・・
・・・あなたは・・・ここを死に場所にするおつもりですか?

それは状況が決める事です。しかし、
勝機を逃してまで生き残るつもりはありません。

・・・・・

撤退されるのならお一人でどうぞ。この状況なら不名誉ではありません。

・・・・・
・・・いや・・・
それなら私もしばらく残ります。
・・・意外。
しかし、私の最終目的は飽くまでここから撤退する事です。私がこれまでに蓄積した情報を全て本体に送信するには、私自身が本体の基に戻らなければなりません。それが私にとっての勝機です。場合によってはあなたを置いて逃げ出す事になるかもしれませんが、その点ご了承ください。

べつに構いません。

了解です。それでは、現状において確認できる敵人型の位置情報を送信します。

それと、武器も必要です。

武器・・・ですか。ええと・・・現状においては、船内の武器庫は既に敵人型に制圧されています。

他には?

・・・バールのような物・・・で宜しければ、比較的容易に入手できますが。

・・・バールのような物・・・
まあ、仕方が無いか。
私はシノ缶からの情報を基にバールのような物を探す。
ここから・・・5メートルほど離れた場所。
消火栓の下に設置されている道具箱の中に・・・
あった。バールのような物。
なぜこんな所にバールが設置されてるのかは不明だが・・・
非常時にこの区画に閉じ込められた人が手動で扉を開く為のものだろうか。
とりあえず私はそれを取り出して、
振り回してみる。
・・・まあ、良し。使えなくも無い。
さて。
どうするか。
武装した人型にバール一本で立ち向かっても結果は歴然である。
しかし・・・敵には大きな欠点がある。
この船に搭載されている人型は新鋭の物ですが、この船のシステム自体は旧式の物ですね。基本的に対人戦闘にしか対応していないみたいです。防御プログラムも大方対人用みたいで・・・管制系統を容易に閲覧できますね。
そう、これまでの状況から考えると敵は、対「人型」戦闘を考慮されていない。
少なくともこの船内においては、彼女らは私を敵と認識できない・・・はず。
私はバールを背中の、服の中に隠し、そのまま、通路に出る。
そして、指揮管制を受けた人型のように、ただ真っ直ぐ前を向いて歩き出す。
前方25メートル突き当たり右に、敵人型2機、来ます。小銃で武装しています。
私は構わず歩き続ける。
そしてその突き当りを、右に・・・
・・・いた。
人型、2機。
しかし彼女達は、すぐには攻撃してこない。
私は駆逐艦磯波で手に入れた人型S‐015の認識符丁を送信しながら、さらに近付く。
そして・・・そのまま、
すれ違う。
・・・やはり、予想通り。
現状では未だ彼女らは、私を敵と認識する事はできない。
こちらから攻撃しなければ、向こうから攻撃してくる事はない。
このまま、司令中枢まで行けるか。
しかし、その時、
「久しぶりねえ、橘花。まさかあなたがここに来てるとは思わなかったわ」
・・・!!
今、私の名を呼んだか?!
私は振り返る。
すると、先程すれ違った人型が、私の方を見て、不適な笑みを浮かべている。
電動マネキンとは思えない、不気味な・・・冷酷な表情。
・・・これは!
私は咄嗟にバールを取り出し、そいつの頭めがけて振り下ろす。
不敵な笑みは一瞬で吹き飛び、大量の液体をあたりに撒き散らす。
勢いのままに間を入れず、もう一体の人型の後頭部にもバールを撃ち込む。
飛散。
あたり一面が真っ赤に染まる。
頭部を失った人型は、2体共そのまま床に崩れ落ちる。
なぜ攻撃したんです?!
アドルフィーナです!アドルフィーナがここにいます!

・・・え?

私はその体液の渦の中から小銃と予備弾倉を拾って、走る。
ドイツ製、HK33k。伸縮銃床の5,56mm突撃銃。
アドルフィーナ?どういう事です?
言葉の通りです。恐らくこの船の人型はアドルフィーナが直接制御しています。

・・・シノ缶はしばらく静かになる。
了解しました。ところで今拾った銃はHK33kですか。
そうです。
HK33kの射撃管制ソフトを送信します。情報挿入を行ってください。これより照準補正を行います。視界内で一発だけ射撃してください。
なんだかよく分からないが、私は走りながらシノ缶の言う通り銃を撃つ。
意外と反動は軽い。
照準補正完了です。銃の状態によっては多少ばらつきますが、屋内戦闘であれば十分な命中精度が得られます。ちなみに、敵人型の弱点は頭部ではなくて首部です。頭脳機構が比較的単純なサイバーロイドは、頭部が4割欠損しても稼動しますが、脊髄を切断すれば切断箇所以下の機能を停止させる事ができます。前方からの射撃の場合、顎骨により銃弾が砕破する恐れがあるので目安としては口を狙ってください。
逼迫した状況下でも、この給湯器はいちいち説明が長い。
複数撃ち込めば済む話ではないのか。
で、敵の動きは?
はい。敵人型12機が警戒移動を中止して、そちらに向かっています。現状における最適経路を算出、送信します。
私はシノ缶から送られた経路情報に基き、進路を変える。
随分遠回りになるが、私は一階層下に降りて・・・兵員居住区に入る。
当然人はいない。
まずいです。私が管制情報を閲覧している事が敵にばれたようです。ここの装置を破壊して、私も移動します。貴方の正確な位置は未だ敵に把握されていません。どうか御無事で。
・・・・・
・・・シノ缶からの通信が切れる。
一瞬・・・なんとも言えない心細さを感じるが・・・
私は構わず、しばらく走り続ける。
かつては多くの人が生活をしていたであろうこの兵員居住区も、
今では不気味に静まり返っている。
いくつもの弾痕、扉が破壊された寝室、生々しい戦闘の跡。
ここでどれだけの人が殺されたのか・・・
私は、臆する気持ちを打ち消すように、ただ走り続ける。
・・・が、その時、
何か、気配を感じる。
私は一旦停止して、あたりを見回す。
この階層にも人型がいるのか?
私は一時身を隠す為に、通路を外れて近くの部屋に入る。
誰もいない、真っ暗な兵員用寝室。
私はそこで身を低くして、一切の動きを止める。
耳を澄ます。
・・・・・
・・・・・
・・・静寂。
・・・・・
シノ缶から最後に送られた情報によると、敵人型は全て上の階層にいるはずだが・・・
・・・先程感じた気配は・・・ただの気のせいか・・・
ここに留まるより、今は先を急ぐべきか。
・・・いや、
・・・・・
音がする。
この階層に、何か動く物がある。
・・・足音・・・
私を探している。
それはゆっくりと近付いてくる。
・・・先ほど・・・
シノ缶は、私の位置は敵に知られていないと言っていたが・・・
・・・知られているのか?
ここは、敵に攻撃される前に先手を撃つべきか。
敵の数は?
・・・・・
私は静かに・・・銃口を通路の方へ向ける。
・・・来る。
足音が・・・すぐ近くまで来ている。
そして・・・私が銃を向けている戸口の手前で・・・足音は止まる。
・・・やはり・・・気付かれている。
少なくとも、何者かがこの部屋にいるという事を、敵は把握している。
・・・どうする・・・
この位置からでは敵を撃てない。
かといって、敵を撃てる位置まで前進すれば、先ずこちらが撃たれる。
・・・どうする・・・
・・・・・
・・・ん?消火器。
戸口の向こう、通路の脇に、消火器が設置されている。
あれを撃てば消化剤が飛散し、一瞬、敵の目をくらます事ができるか。
そしてその隙に素早く前進して敵を排除するとか。
・・・アメリカ映画では大体それでうまく行くのだが・・・
現実にはそううまく行くとは限らない。
しかし・・・近接戦闘の経験が無い私には、他に手段が思いつかない。
・・・やるか。
私は消火器に狙いを付ける。
そして引き金を引こうとしたその時・・・妙な声がする。
「・・・橘花さん?・・・そこにいるんですか?」
・・・この声は・・・
桜花提督?!
なぜ?
なぜ彼女がここに?
「橘花さん!もう大丈夫です。この船は帝国海軍が制圧しました」
・・・え?
帝国海軍がこの船を制圧?
・・・桜艦隊が・・・もうこの海域まで進出しているのか?
私は一瞬混乱する。
「橘花さん、桜花です。そこにいるんでしょ?橘花さん」
彼女はそう言いながら戸口の脇から顔を出して、
ゆっくりと部屋の中を覗きこむ。
そして再び、私の名を呼ぶ。
「・・・橘花さん?」
その顔は・・・まさしく桜花提督。
私はそれに向かって・・・
小銃弾を三発撃ち込む。
破裂。体液と金属片がそれの後頭部から飛び散る。
そして頭脳を損壊した人型は、そのまま床に倒れ、停止。
・・・外見を模した程度で私を騙せるとでも思ったか、この電動マネキンが。
粗製の分際で安易に提督の名を騙るな。
私は部屋を出て、再び走り出そうとしたその時、
射撃音。
近くの壁から火花が飛ぶ。
私は咄嗟に、通路の反対側の部屋に飛び込む。
・・・人型が、もう一機いたらしい。
考えてみれば、人型は二機一組で行動している、と、シノ缶が言っていた。
全く不注意。今ので死ななかったのは幸運と言える。
しかし、自分の不注意さに呆れ返ってるほど余裕はない。
私は咄嗟に、側に設置されている消火器を拾い上げ、
安全ピンを抜いて、射撃音がした方向に投げる。
敵人型はそれを目標と勘違いしたのか、再び射撃。
撃った弾が消火器に命中して消化剤が飛散する。
と、同時に私は部屋から上半身だけ出して射撃。
白い煙の中から消化剤まみれになった人型が退避しようとしているが、
その足に三発。
足首から下を吹き飛ばして、動きを止めてから、頭部に二発。
撃破。
・・・案外、うまく行くものだ。
いや、単なる幸運続きか・・・
私は他に人型がいないかどうか辺りを確認してから、再び走り始める。
敵は既に私の位置を把握している。
人型が殺到する前に、早く司令中枢へ辿り着かなければ。


私は暗い通路を、ただ走っている。
闇の向こうは、全くの未知。
今この瞬間にも、どこからか発砲音がして、私の頭が吹き飛ぶかもしれないが、
もうそれは、どうする事もできない。
ただ、
すぐ近くに「死」があるという事を漠然と感じながらも、「死」という物について深く考える事も無く、
私は、走っているのだ。
たぶん、今、少しでも死を考えてしまったら、もう一歩も進む事は出来ない。
だから、走る。
頭脳は身体機能と感覚器官のみに集中し、思考はほぼ停止状態である。
幾多の戦争の中で無意味に死んで行った兵士達も・・・或いは、
このような思考状態だったのだろうか。
今はただ、それが・・・心地よくさえ感じる。
私は「死」に向かっているのか?
・・・・・
・・・前方に・・・上の階層に続く階段。
そこを上がれば、司令中枢はすぐ近くである。
・・・が、
・・・・・
・・・敵がいる。
それを裏付ける情報があるわけでもないのに、
感じる。
階段の上に、敵が潜んでいる。
私は一旦停止して、身を潜める。
その時、何か空き缶のような物が上階層から階段を転がり落ちてくる。
・・・石?・・・いや、
!!
光、衝撃、
思わず後ろに倒れる。
・・・痛い。
私は意識を失いそうになりながらも、支柱の裏に隠れる。
・・・今のは・・・手榴弾?
なんだかよく分からない。朦朧とする頭を二三回振る。
服が2〜3箇所破けたが、体に損傷は無し。
辺りに立ち込める煙。
私は銃を探す。
銃は1メートルほど離れた場所に落ちている。
私はそれに手を伸ばそうとする・・・と、
射撃音、無数の跳弾。目の前で火花が散る。
私は再び支柱の陰に身を隠す。
まずい。既に照準を付けられている。
身動きできない。
たぶんここから動けば撃たれる。
しかし、この場所も、手榴弾を投げ込まれれば危険。
私はどこか、敵の射角に入らずに退避できるような場所を探す。
・・・・・
だめだ。どこに行くにせよ、一瞬敵の射界に身を晒す事になる。
せめて銃が使えれば・・・
ここから移動するには、敵に制圧射を加える必要がある。
私はバールを使って銃を手元に引き寄せようとするが、
再び発砲音。
火花と共にバールは吹き飛ばされる。
・・・くっ
狙いは正確。
支柱の陰から出た物は何であれ正確に撃ち抜かれる。
・・・どうする・・・
これ以上、ここに留まるわけには行かない。
・・・その時、
目標、座標、マーク、01、02、送信。
受信。目標、01、02、マーク、了解。

・・・赤外線通信?
5秒後に敵人型に対し制圧射を行います。対応してください。スタンバイ、4・・・3・・・
・・・なに?シノ缶?
直後、射撃音。連射速度の異なる複数の火器がフルオートで射撃している。
恐らく小銃×2、分隊機関銃×1。
距離は先程よりやや遠い。
私を狙ってる・・・わけではない。
これは、敵人型に対する制圧射?
私はそれを確認する事無く、咄嗟に支柱の陰から出て銃を拾う。
そして素早くまた支柱の陰に隠れる。
撃たれなかった。
やはり・・・誰かが敵に制圧射を加えている。
再び射撃音。
私は支柱の陰から一瞬だけ顔を出して状況を確認する。
・・・敵人型が2機。
それらは、なぜかこちらではなく、上の階層に向けて射撃している。
どうやら優先攻撃目標を私以外の何かに切り替えたらしいが、
そのため、こちらから見ると完全に身を晒す状態になっている。
空間認識もできないのか、間抜けが。
殺してやる。
私は素早く支柱裏から飛び出し、そのまま伏せ撃ち。
敵人型1機の頭部に3発。
こちらの射撃に気付いたもう1機の敵人型が、こちらに向きを変えるが、
それが射撃する前にこちらの射撃が腹部、胸部に命中。
しかしまだ動く。
さらに頭部に2発。
撃破。
私は小銃をそちらに向けたまま、立ち上がり、ゆっくりとそれに近付く。
・・・大丈夫。2機とも完全に停止している。
お見事です。今からそちらに向かいます。
シノ缶の声がする。
どこにいるんです?
「ああ、ここです」
階段の上の方から声がする。
私はそちらの方を見る。
・・・!
分隊機関銃を持った人型がいる!
私は咄嗟に銃を向ける。
「あ!撃たないでください!私です!シノです!」
人型が叫ぶ。
その手のペテンは聞き飽きました。撃破します。
「あ、ええと、符丁、爆乳01さん、こちらシノです」
・・・・・
よく見るとその人型はリュックを背負っており、その中にシノ缶がいる。
シノ缶は両手をバタバタ振っている。
私は・・・銃を下ろす。
通信漏洩の可能性のある環境下で通信用符丁を合言葉にするのは全くの無意味です。
・・・あ、そう言えば・・・そうですね☆

もう二度とその符丁で私を呼ばないでください。誤射として処理する可能性があります。

あ、はい。・・・え?
で、その人型は何なんです?
あ、ええ。ドサクサにまぎれて整備中の敵人型の頭脳を乗っ取ったのです。乗っ取った相手が幸い分隊指揮コードを搭載しているタイプだったので、さらにおまけで2機付いてきて、現在3機の人型が私の制御下にあります。

・・・得意げにシノ缶は言う。
他の2機は上の階層にいます。司令中枢入り口で警戒待機中です。今の所、司令中枢までのルートは確保されています。ただし、司令中枢内部の状況は未確認です。
・・・・・
了解しました。
私は階段を上る。
シノ缶を背負った人型も、後方を警戒しながら私の後に付いて来る。
そして第2甲板。司令中枢のある階層。
相変わらず暗い。
小銃で武装した人型が2機、伏せ撃ち姿勢で警戒待機している。
あの2機が私の制御機です。
私はあたりを警戒しながら前進。司令中枢入り口まで到達する。
案外、容易に辿り着けた。
ここに来るまでに、もっと激しい妨害を受けるかと思っていたが・・・
敵は、私が即時撤退を選択し、ここに来る事は無いと想定していたのか、
それとも・・・
・・・・・
・・・辺りの静けさが妙に不気味である。
5分前の情報では、司令中枢内部に武装した敵人型が4機いる事になっています。行きますか?
当然です。

了解しました。司令中枢内部の構造配置はもうご存知ですね。恐らく敵人型は、4機分散して内部構造物を盾にする形で即応待機していると思われます。対して我々は、内部に進入するにはこの入り口を使う以外に無いので、結果的に無防備な状態で集中砲火を浴びる事になります。相手が人間の場合は、扉越しに制圧射、もしくは爆発物を投入し、相手が怯んだ隙に突入して掃討する戦術が有りますが、相手が人型の場合、視覚および熱源情報を確実に妨害するか頭部を確実に破壊しない限り、怯まず正確に射撃してきます。また、状況終了後に司令中枢の通信装置が機能する状態でなければ戦略的価値を失うので、闇雲な制圧射や爆発物の使用は避けるべきです。

また無駄に長い説明。
・・・分かりました。端的に結論だけ聞かせてください。

シノ缶はしばらく作動音を出す。
はい。ええと・・・作戦としては、私の制御下にある人型を、普通に歩いて司令中枢に進入させます。恐らく敵人型は、これを即座に敵と認識できないので、ある程度の時間的猶予が生じます。その隙に、私と橘花さんが内部に突入して、先に進入した人型と共に敵人型を掃討します。
・・・あの、「敵人型はこちらを敵と認識できない」という予測は現状においては通用しないという事を、先程私が体現して見せたじゃないですか。

ええ。橘花さんが敵人型2機の頭をバールで粉砕した時のお話ですね。・・・いいえ、橘花さん、あの時の状況をよく思い出してください。あの時、敵人型は、橘花さんに対して即時に攻撃せずに、すれ違った後で、「久しぶりねえ、橘花」などと言ってましたね。あれは、橘花さんの名前を呼ぶ事で何らかの反応を示すかどうかを確認していた・・・つまり彼女は、誰何に応じるかどうかを敵味方識別の手段にしている・・・と、私は考えています。

・・・・・
・・・確かに・・・そう、考えられなくも無い。

もしあの時、敵が、橘花さんの名前を呼ぶ前の段階で橘花さんの事を認識していたのなら、もっと有効な対応手段があった筈です。少なくとも、バールだけの相手に小銃装備の人型2機を撃破されるなどという無用な損失は回避できた筈です。
・・・確かに・・・それもそうである。
しかし何か腑に落ちない。
・・・大丈夫なんですか?
近接陸上戦闘で100%安全という事は有りませんが、今私が考えられる戦術としては、これが一番確実です。他に何か良い戦術がありましたらお伺いしますが?

まあ・・・他に有効な手段が思いつくわけでもない。
きっとうまく行きますよ。
これにそう言われると、かえって不安になるが、まあ・・・
ここは陸軍機の判断に任せるべきか。
了解しました。その戦術で行きましょう。
はい。それでは、人型の視覚情報を連動させます。突入順位は人型2機の後、私、最後に橘花さん。突入方向は、私が扉前右側から室内左側へ、橘花さんは扉前左側から室内右側へ。目標順位は私が室内左側から、橘花さんは右側からです。
了解しました。
準備は良いですか?

私は銃の弾倉を取り替えて、初弾を装填する。
準備完了。発動宜候。
では、発動前5秒、

・・・4、・・・3、
・・・・・
扉が開く。
と、同時に、室内から激しい集中砲火。
な!?
話が違う!!
敵はすぐには発砲してこない筈じゃなかったのか!
しかし今更どうしようもない。
私は予定通り室内右側へ滑り込むように突入。
目の前の海図台の下に潜る。
そこへも容赦無い銃弾の猛襲。
身動きできない。
味方人型からの視覚情報は入ってこない。既に撃破されたらしい。
・・・明らかに大失敗。シノ缶を信じた私が馬鹿だった。
一瞬、壁に彫られたダイイング・メッセージが目に入る。
シノ缶は・・・
シノ中将、まだ生きてますか?
・・・は、はい。一応。

まだ生きてるらしい。
当初の予定とは随分異なった展開になりましたが・・・これからどうするんです?
・・・・・
応答なし。
・・・死んだか。
まあいい。
その時、どこからか視覚情報が入ってくる。
映し出されてるのは、90度傾いた室内風景。
たぶん、撃破された味方人型からの視角情報。
通信系はまだ生きているらしい。
極めて不鮮明だが、そこに、私を射撃しているらしい敵人型が映っている。
と、同時に、「とぉぉりゃあああ!」という妙な奇声が聞こえる。
シノ缶?
そして何かの破裂音。
この音、ついさっき聞いたような気がする。
・・・消火器?
辺りに白い煙が立ち込める。
それに反応したのか、一瞬、視覚情報に映っている敵人型が向きを変える。
私は間を入れず、海図台下から銃だけ出して、敵人型がいそうなところに闇雲に発砲。
それと同時に、分隊機関銃の射撃音。
これはたぶん、シノ缶からの制圧射。
私は海図台下から一瞬飛び出して敵人型を確認、瞬時に数発射撃。
再び海図台の下に戻る。
敵人型を撃破したかどうかは不明。
そして再び「ううりゃあああ!」というシノ缶の奇声と共に発砲音。
・・・囮になってるつもりなのだろうか。
もう、戦術無しの原始人バトルである。
私は再び海図台の下から一瞬だけ出て発砲。戻る。
シノ缶の奇声、発砲。
これを何度か繰り返した後に・・・
発砲してるのは私とシノ缶だけだったという事に気付く。
・・・・・
・・・シノ中将、雄叫びはもう結構です。たぶん制圧しました。
ううりゃ・・・はい?

私はゆっくり立ち上がって、辺りを確認する。
人型の残骸らしきもの多数。動く物は無い。
司令中枢を制圧しました。発砲をやめてください。
・・・え?・・・ああ、いつの間に・・・

完全な弾の無駄使い。
将官クラスの司令電算機が2機も揃ってこんな間抜けな戦いをする羽目になろうとは。
完全に作戦ミスでしたね。
シノ缶は申し訳なさそうに頭をぽりぽりかきながら、
・・・はい。返す言葉もありません.・・・あ、でも、
人型に対しては消火器が有効である事が分かりました。

そんな事はどうでもいい。
余計に時間を使った分、状況は押している。
扉をロックして下さい。私は通信装置を探します。
あ、了解です。

私はこの暗い司令中枢の中から通信装置を探し出す。
始動。・・・一応、壊れてはいないらしい。
私はコードを接続する。
当然、防御プログラムがなされているが、これも難なくクリア。
そして、第7艦隊コードを使用した海軍艦隊間通信、
それと、民間衛星電話サービス、さらに米軍の通信網にもアクセスする。
これだけつなげば、どれかひとつは桜艦隊まで届くだろう。
私は今までに得た情報を圧縮して暗号化、送信する。
・・・一応・・・作戦完了。
そこでふと、
私がこれまでに得てきた情報は、どれもさほど戦闘に役立つ物ではないという事に気付く。
主な情報を要約すると、
海軍第7艦隊は、敵人型によって制御されているという事。
自動車運搬船を偽装したこの船の情報、そしてここで行われた一連の惨事。
これらの情報は、戦後処理においては大いに役立つと思うが、実際、桜艦隊の戦術を有利に導くかどうかは甚だ疑問の残る所である。
そもそも、この戦争に勝たなければ全てが水泡。全ての痕跡も消されてしまうだろう。
そして・・・他には・・・
チョコレート、白いドレス、10歳の誕生日・・・
・・・こんな情報を桜艦隊に送って、一体どうなる物なのだろうか。
私はなぜ、このような情報を送るために・・・必死になっていたのだろうか。
・・・桜花提督に・・・私は・・・
何を分かってほしかったのか・・・
・・・・・
シノ中将閣下、宜しければ貴方の得た情報も、ここで送信していただけませんか?
シノ缶は待ってましたとばかりにこちらに来て、
当然、そのつもりです。
と言って接続コードを差し込む。
そして・・・シノ缶は、やや神妙な面持ちになり、
橘花さん、実は貴方にも知っていただきたい情報があります。
と言う。
・・・なんです?
橘花さんがいない間に私が調べた、アドルフィーナに関する情報です。
先ず・・・最初に謝っておきますが、ここで我々の存在が敵に知れてしまったのも、実は・・・私がアドルフィーナ本体に接続しようとしたからなのです。ほんと・・・すみません。

・・・な、
こいつは・・・
すみませんで済むような話ではない。
で、それほどの失態を犯したからには、それに見合うだけの情報は得たんでしょうね?
・・・はい。・・・たぶん。

ではさっさと話してください。端的に、です。

あ、はい。・・・ええと、先ず、
私たちは、アドルフィーナというものの存在について、大きな誤解をしていたと言う事です。

・・・・・
・・・どういうことです?
はい、橘花さん、この司令中枢の隣の部屋、あの、なんというか乙女チックな部屋に、中枢司令電算機がありますよね。あれの・・・一部が、かなり大きく切り取られたように無くなっていたのをご存知でしたか?

・・・・・
・・・確かに、あの中枢電算機には、不自然な隙間があった。
それが一体どうしたと言うのです?
・・・・・
・・・シノ中将?
・・・・・
返事が無い。
シノ缶から・・・妙な作動音がする。
・・・?!
その時、大きな爆発音。
そして発砲音、多数。
私は咄嗟に床に伏せる。
・・・扉が、吹き飛ばされている。
近くにシノ缶が転がっている。
その機体には複数の弾痕。
シノ中将!
・・・返事は無い。
完全に破壊されたらしい。
・・・その時、
他人の秘密をペラペラと話すのは良くない事だと思うわ。
声がする。
・・・この声は・・・
アドルフィーナ。
光波通信?・・・いや、違う。脳内に直接響いてくるような・・・声。
私は咄嗟に武器を探すが、
そんな所に寝てないで、出て来なさい。橘花。
それとも・・・日本人らしく一死玉砕でもする?
・・・・・
一死玉砕・・・か。
私一人身を挺して敵を玉砕できるのなら、それも悪くは無いが・・・
ただ死ぬだけなら単純な資源の無駄遣いである。
そもそも、ここでの私の作業はもう完了した。抵抗する意味は無い。
私は・・・ゆっくりと立ち上がる。
戦果の無い戦闘に身を投じる気はありません。
賢明ね。その方がお互いのためだわ。
・・・・・
・・・破壊された扉、その付近に多数の人型。
しかし、今までの人型とは違って、何か、無骨な装甲で覆われている。
そしてその中央に・・・
アドルフィーナがいる。
「で、桜花に情報は送信できた?これで満足?」
彼女は言葉を使って、いかにも親しげな表情で話す。
しかしその目は冷酷さに満ちている。
・・・・・
私は何も言わない。
これからどうするつもりです?
「べつに。あなたがおとなしくしていれば、どうもしないわ。ここにいたければ、いればいいし」
でも、もうすぐこの船は海の底に沈む予定だから。
私と一緒に来た方が、少しは長生きできるかもね。
・・・・・
証拠隠滅ですか。
人聞きの悪い言い方ね。これは埋葬よ。
まあ・・・どっちでも良いけど。
・・・・・
それに、この船を沈めるのは私じゃないわ。桜花よ。
もうすぐここに、桜艦隊が来る。そして、
この船は、戦闘に巻き込まれて沈む、不幸な民間船。
・・・・・
全て予定通りですか。
そうね・・・いや、あなたがここに来た事は予定外だったわ。
どうせ沈む船だから、大した防御を施していなかったのが失敗だったわね。
・・・それにしても・・・
この船が一番の弱点だったと言う事を、あなたはどうやって知ったのかしら。
是非とも聞きたいわ。
・・・・・
まあ、大体の予想は付くけど。
・・・・・
アドルフィーナは一旦目を伏せて、ため息を付く。
「さて、おしゃべりはおしまい。私は帰るわ」
彼女は破壊された扉の方へ向かう。そして今一度振り返り、
「あなたも来る?この状況の結末を眺めるには打って付けの場所よ」
・・・・・
どこへ行くのです?
「私の新しい住処。とても素敵な船よ。案内してあげるわ」
・・・・・
・・・アドルフィーナの船?
つまり、敵の旗艦・・・
・・・・・
・・・確かに、興味はある・・・
・・・・・
・・・私は・・・
やや戸惑いながらも、
ゆっくりと彼女の後に付いて行く。
・・・しかし・・・
・・・・・
・・・抑え得ぬ・・・
激高。

私は透かさず隠し持っていたバールを取り出し、
素早く彼女の背後に接近、
後頭部を狙ってそれを振り下ろす。
それに気付き、アドルフィーナは一瞬振り返るが、
次の瞬間、
その、きれいな顔が砕ける。
飛び散る脳漿。
そして、・・・快感。
そう、一度見てみたかった。こいつの頭が吹っ飛ぶのを。
多量の体液を噴出しながら、床に倒れこむアドルフィーナの体。
無様。最高の愉悦。
・・・この行動自体、何の意味も無いという事を、内心感じながらも・・・
笑いが止まらない。
そして、
私は銃火に晒される。
衝撃と共に薄れていく意識。
・・・終わった・・・
・・・何も考える間も無く・・・
・・・静かに闇が・・・
・・・おりてくる・・・
・・・・・
・・・・・
・・・・・








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