橘花
・・・?!
・・・その時・・・突然、感じる妙な緊張感。
・・・・・
・・・なんだろう、今のは・・・
するとシノ缶が、
今、作戦本部より再び通信がありました。緊急下令のようです。・・・なんでしょう、妙ですね。
と言うと、直後、船体が揺れる。
どうやら速度を上げた様だが・・・いや、進路を変えている。
駆逐艦磯波は、帰還進路を外れて別の方角に向かっている。・・・なぜ?
あ、本艦は今、戦闘態勢に切り替わりました。電探が最大出力になっています。
・・・戦闘態勢?
いったいどういう事だろう。
アドルフィーナを模した端末司令機の頭脳から作動音がする。
どうやら・・・戦略的に大規模な作戦変更があったようです。付近の他の艦艇も一斉に電探を最大出力にしました。
・・・確かに・・・
複数の艦艇が同時に動き始めたようだが・・・
ここからの情報では、艦隊の状況は分からない。
しかし、作戦変更がいかにも突発的な事から考えると、こちらから能動的に作戦を始動したというより、敵の動きに対応した受動的作戦変更である可能性が高い。
・・・桜艦隊が・・・動き始めたのだろうか・・・
あ!大変です!連絡機との会合予定時刻が5分早まりました!
それならさっさと隔離室に戻られては如何でしょう。敵に怪しまれます。
・・・やっぱり・・・行かないとダメですか?
・・・・・
・・・閣下・・・、ここに留まるよりも、むしろその方が長生きできる可能性が高いです。
え?それはどういうことです?
対潜能力を封じられている汎用駆逐艦が、電探を最大出力にしているというこの現状が、どれだけ危険な事かお分かりですか。この艦は・・・恐らく囮役です。付近に、航空部隊と作戦連動した敵潜水艦が潜んでいた場合、真っ先に攻撃されます。ちなみに・・・駆逐艦磯波は、今尚その探知装置は最新の物に更新されておらず、仮に対潜能力が通常に作動していたとしても、桜艦隊が複数有する「巡610」番以降の新鋭潜水艦には全く対応できないという事が実証されています。
・・・え!そうなんですか?
そうです。
・・・まあ、実際はそうでもないのだが・・・
・・・それでは・・・ええと・・・橘花さんはこの後どうなされるおつもりなのですか?
・・・・・
・・・私に・・・ひとつ考えがあります。ちなみに閣下の・・・保障もそれに含まれています。
なるほど。了解です。・・・ところで、そのお考えの概要をご説明頂けるとありがたいですが・・・
それほど時間的猶予はありません。四の五の言ってないで隔離室にお戻りになられる事を強く推奨いたします。
私が強い口調で言うと、シノ缶はしぶしぶ扉の方へ向かう。
本当に・・・大丈夫なんですよね?
大丈夫です。この損失は海軍の方で弁償いたします。
え!私の保障って、そういう意味なんですか?!
・・・あ、
いいえ、閣下、それは・・・最悪の場合の話です。
シノ缶はなんとも腑に落ちないといった感じだが、
とりあえず部屋を出て、隔離室に向かう。
・・・やっと静かになったか・・・
さて、
どうするか。
敵の拠点に帰還しないのであれば、もうこの艦には用は無い。
恐らく・・・次に来る連絡機が・・・
実質、敵の本部に繋がる最後の手段となるだろう。
私は今一度、艦の情報を確認する。
どうやら・・・
鹵獲物(シノ缶)の護送には、この艦の人型が一機、その警備に当たる事になっているらしい。
・・・これは・・・使えるか・・・
鹵獲物の護送を担当する人型は・・・S‐024という識別名らしい。
S-024・・・私はS‐024の情報を確認する。
・・・・・
・・・なるほど。
この外見は違うな。
私は護送の警備担当の人型をS‐024から、外見が私にそっくりなタイプのS‐015に変更する。
そしてその人型S‐015には・・・ここ司令中枢に来るように指示を出す。
こっちはこれで良し。
あとは・・・服装。
私は先ほど破壊した人型を見回してみるが・・・
・・・この服は駄目。体液が多量に付着している。
まあ・・・服の予備ぐらいどこかにあるだろう。
私は艦の情報を確認するが、
その時、先ほど呼んだ人型S‐015が司令中枢に入ってくる。
・・・これは・・・驚くほど私に似ている。
恐らく外郭形式が私と同じ規格なのだろうが・・・
・・・いったいどういう趣味だろう・・・
まあいい。
私は人型S‐015の耳の後ろに接続コードを差し込み、情報を抜き取る。
認識符号を確認。
・・・よし。
これを使えば、電算的には私は人型S‐015として認識されるはず。
あとは外見。
服は・・・頂くとしよう。
「服を脱いでください」
私が言うと人型S‐015は・・・
・・・ん?
動かない。
そしてなぜか人型の頭部から作動音がする。
・・・・・?
・・・今のは禁止事項に触れる発言では無いはずだが・・・
私はもう一度、
「服を脱いでください」
と言う。
すると人型S‐015は・・・なぜか照れたような表情になり、
「・・・もう、お兄ちゃん・・・エッチ」
と言う。
・・・は?!
何を言っている、この電動マネキンは!
そして人型S‐015は、なにか・・・誘惑するような目で、
「恥ずかしいから・・・こっち見ないで」
と言って、ゆっくりと服のボタンをはずしていく。
・・・なんだ、この・・・変態劇場は・・・
ていうか、・・・私と同じ外見で・・・こんな事を・・・
いったい誰の趣味だ!!
私は思わず破壊衝動に駆られるが・・・
・・・いや、これは・・・
確か、機関部階層に、完全に骨抜きになった兵曹が一人いたが・・・
これはそういう・・・男を骨抜きにするプログラムなのだろうか。
・・・これを作った輩は、いったい何を考えているのか・・・
何の目的で・・・?
・・・・・
・・・とにかく、
バカに付き合ってる暇はない。
私はやや強引に、人型の服を剥ぎ取る。
「いたい、お兄ちゃん、もっと優しく・・・」
コイツは・・・
・・・私と同じ顔で・・・それ以上醜態を晒すな!
気色が悪い。
私は無視して淡々と作業を進める。
時間は無い。
連絡機が来る前に、私はS‐015になっていなければならない。
とりあえず・・・服は剥した。
下着は・・・まあ必要無いだろう。
ていうかこれ以上剥すのは・・・いろいろ疲れる。
それにしても・・・シリコン製の人型に、なぜ海外高級ブランドの下着を付ける・・・
いったいどういう趣味だ。いちいち腹立たしい。
そして下着だけになった人型は、しばらく照れたような表情をしているが、
再び誘惑するような眼差しで、
「お兄ちゃん、次は何して遊ぶ?」
・・・黙れ。
「・・・もう結構です。ありがとうございました」
私はその頭部に銃弾を三発撃ち込む。
「ひゃう☆、お兄ちゃん、すご・・・」
私はもう一発蹴りを入れる。
・・・静かになった。
全く・・・手間取らせる。
その時外から・・・旋翼機のローター音がする。
まずい。連絡機が来た。
私は急いで今剥ぎ取った服に着替えて、シノ缶がいる隔離室に向かう。
隔離室は最下層にある。
意外と遠い。
私は走る。
胸のあたりがきつい。
私と同じ外郭のはずなのに・・・
サイズを確認しとけばよかった。
しかし今更もう遅い。
私は隔離室の前に到着。
隔離室の扉は、一部強化ガラスになっていて、中にシノ缶が見える。
シノ缶も私の姿を確認したようだが・・・
どうやら、私が橘花であるという事には気付いていないらしい。
私は扉を開けて中に入る。
そして再び扉をロックする。
これで良し。
全て予定通り。
シノ缶は・・・まだ私の事をただの電動マネキンだと思っているらしい。
我ながら・・・うまく化けたものだ。
しかししばらくの後、シノ缶はこちらをまじまじと見る。
やっと気付いたか・・・
いや・・・気付いていないのか、
シノ缶は再び視線を元に位置に戻す。
そしてまたこちらをまじまじと見て、視線を戻す。
・・・?
気付いているなら気付いているらしい仕草をしても良いようなものだが・・・
私はとりあえず、光波送信で、
この作戦の概要説明は・・・もう必要ありませんか?
などと言ってみる。
するとシノ缶はものすごくびっくりしたように飛び上がって、
え?橘花さんですか?!
と言う。
・・・どうやら全く気付いていなかったらしい。
では何でさっきあんなにまじまじと見ていたのだろう・・・
やや間を置いてから、シノ缶は妙に納得したように、
ああ・・・そういうことですか。なるほど。
などと言う。
・・・ご理解頂けましたか。それでは概要説明は省きます。
いや、そういう事ではなくて・・・
は?
シノ缶は少し考えてから、私の胸元を指差して、
ブラが海軍仕様になっていたので、変だな〜と思って見ていたのですが。
・・・え?
・・・・・
あ!!
胸元の、ボタンが取れてる!
こ、これは・・・まずい。
・・・あの海外ブランドの下着も剥しておくべきだったか・・・
いや、そういう問題ではない。
私はあたふたと落としたボタンを探すが・・・ここには無い。
どうやらここに来る途中で外れたらしい。
・・・どうしよう・・・
今から戻って探す?
いや、そんな時間は無い。
・・・すると・・・
外から複数の足音がする。
連絡機の・・・回収班が来た。
非常にまずい。
どうしようどうしよう。
・・・・・
・・・いや、もう、どうしようもない。
ばれない事を祈るのみ。
とにかく・・・中身が見えないように、私は少し前かがみの姿勢で、呼吸も少し抑える。
ちょっと・・・くるしい・・・
その時、扉のロックが解除されて、ゆっくりと開く。
扉の向こうには・・・
・・・堀の深い顔立ちをした男2名。
どうやら人型ではないようだが・・・
・・・?
彼らはドイツ語で私に話しかけてくる。
え!・・・ドイツ人?
・・・まずい。何を言ってるかさっぱり分からない。
さりげなく接続コードを付けてください。ドイツ語は私が何とかします。
・・・接続コードを付ける?彼らの目前ででシノ缶と私を接続するという事?
・・・どう考えても怪しまれると思うが・・・
とりあえず私は言うとおりに、さりげなく接続コードでシノ缶と私をつなぐ。
すると私の口が勝手に動いて、なにやらドイツ語を話し出す。
その言葉に・・・ドイツ人たちは納得したのか・・・なぜか隔離室から出で、私に付いて来るように促す。
・・・・・
・・・今・・・なんと言ったのですか?
「コイツは重いから、有線操作して自分で歩かせます」と言いました。
・・・・・
・・・なるほど。
とりあえず問題の一件は解決したらしい。
しかし・・・まだ問題がある。
私はシノ缶と共にドイツ人の後ろを付いて歩きながら・・・無くしたボタンを必死に探す。
それと同時に、シノ缶からドイツ語翻訳ソフトが送られてくる。
・・・一応これで・・・簡単な日常会話くらいは出来るだろうか・・・
いや、そんな事より、
道が違う!
・・・そうだった・・・司令中枢と後部飛行甲板は全く逆方向。
この通路を探してもボタンは見付からない。
・・・はあ・・・私はいったい何をやっている・・・
すると・・・通路の向こうに人型が一機。
人型は我々を見付けると、立ち止まり、敬礼をする。
・・・これは・・・使えるか?
私は・・・ドイツ人がこちらを見ていないのを確認してから、
すれ違いざまに、人型の胸からボタンをひとつもぎ取る。
よし・・・うまくいった。
ドイツ人は気付いていない。
・・・と思ったら、突然人型が、
「・・・もう、お兄ちゃん、エッチ」
・・・は!!
するとドイツ人は振り返り、私に何か言っている。
・・・とりあえず私は、覚えたてのドイツ語で、
「今のはマニア向けの挨拶です」
などと言っておく。
するとドイツ人は・・・
なにやら手をたたいて喜んでいる。
そしてまた何事も無く歩き始める。
・・・・・
・・・なんだかよく分からないが・・・今ので通じたらしい。
助かった・・・
お見事です。橘花さんもだんだんマニア心が分かってきましたね。
ところでそのボタン、どうやって付けるんです?
・・・・・
・・・あ、
その、鉄十時のマークの付いた旋翼機は駆逐艦磯波を離れて、
徐々に高度を上げていく。
機内は一見して・・・普通の軍用連絡機。
何か特殊な装備がなされているわけではない。
その後部貨物室の片隅に、私とシノ缶は座っている。
特に細かな検査を受けるわけでもなく、扱いとしては通常貨物。
連絡機の乗務員は、操縦席に2名と後部貨物室に警備兵1名。
この警備兵の装備は拳銃のみ。防弾上衣も付けていない。
・・・単なる作業員だろうか。
敵の司令電算機を輸送するという任務にしてはかなり手薄な気がする。
電算拘束下にある電算機の輸送には、この程度の人員で事足りるという判断なのか、それとも、この任務自体がさして重要だと思われていないのか。
その人員たちの表情にも全く緊張感が無く、時折あくびをしたり、世間話をしたりしている。
彼らは・・・つい昨日、この空域で大規模な空戦が行われたのだという事を分かっているのだろうか・・・
とりあえず私は、彼らの世間話から何か情報を得ようと聞き耳を立てるが、
誰々が歌う何々という歌が良いだの、何所々々にある店の何々がうまいだの、どうにも平和的な話ばかりで、敵の情報がつかめそうな話にはほとんどならない。
・・・むしろ・・・逆に妙である。
この空域にしても、いつ攻撃されてもおかしくない一触即発の状況である事には変わりないというのに、
なぜ彼らはこんなに平然としている?
数秒後には死んでいても不思議ではないこの状況において、なぜに近所の食い物屋の事が気になる?
これがドイツ人の気質なのだろうか・・・
いや、
・・・違う。
彼らは・・・この状況自体を、日独合同訓練だと思っているみたいですね。
彼らの会話の中で度々発せられる「合同訓練」という言葉・・・
どうやら・・・事実を知らされていないのは、日本人だけではないようだ。
彼らドイツ人もまた、状況を把握しないまま、この状況に取り込まれている。
・・・ではいったい・・・誰がこの状況を・・・?
そうだ、これは最初から・・・日本対ドイツという明確な戦争ではない。
恐らく、およそほとんどの人は、何が行われているのかも分からずに行動している。
しかし確実に戦争は始まっている。
恐らく・・・およそほとんどの人は・・・
相手が、敵なのか、味方なのか、模擬標的なのかも分からずに、
・・・攻撃する事になるのだろうか。
・・・・・
・・・ただ、
ここで何を考えてもそれは単なる予想に過ぎない。
とにかく今は、その答えがある場所に少しでも近付く事。
この連絡機の行く先に、もしかしたらそれがあるかもしれない。
・・・あ、髪の毛を使われてはどうでしょう。
突然シノ缶が訳の分からない事をいう。
・・・は?
胸のボタンです。橘花さんの髪の毛で付けられないでしょうか。
・・・あ、
そうだ、ボタン・・・
確かに・・・チタンファイバー製の私の髪の毛なら、縫い糸の代わりになるかもしれない。
しかしこの髪の毛が・・・なかなか抜けない。
やっとの思いで一本・・・すごく痛い。
私はそれを使って、ボタンを服に付ける。
縫い針がないのでなかなか苦労したが・・・これで良し。
・・・さて、
連絡機は徐々に高度を下げている。
私は警備員の目を気にしながら、さりげなく窓の外を見る。
既に日は傾き始め、午後の日差し。一面の海。
いや、水平線の向こうに陸が見える。
島なのか半島の一部なのかは分からない。
現在の位置、分かりますか?
さあ・・・根室沖、もしくは歯舞群島上空あたりかと・・・衛星からの送受信を受ければ正確な座標が分かると思いますが・・・どうします?
衛星に送受信するのはまずい。こちらの素性が敵に知れる恐れがある。
いいえ。結構です。
私は再び視線を前方に戻して、置物のようにじっとする。
機体の挙動から、なんとなく着陸態勢に入った事が分かる。
・・・何所に降りるのだろう・・・
私は再び窓から外を見ようと思ったが、警備兵がこちらを見ているのでじっとしてる。
若干の振動・・・どうやら着陸したらしい。
直後、連絡機の扉が開く。
どうすべきか一瞬迷ったが・・・警備兵が外に出るように指示するので、それに従い機外に出る。
・・・ここは・・・
艦上の後部降着甲板?
・・・いや、艦ではない・・・民間の船?
この位置から見る限り、民間の自動車運搬船のようにも見えるが・・・
軍属の民間船なのか・・・民間船に偽装した軍用艦なのか・・・よく分からない。
かなり大型の船である。
回りには2隻の駆逐艦が並行している。
・・・第7艦隊、第10駆逐戦隊の「荒潮」と「夕凪」
そして左舷前方、遥か水平線のかなたに・・・複数の船が見える。
距離が遠すぎて、ここからではその識別は難しいが・・・
・・・一隻、大型の戦闘艦らしき艦影がある。
比叡型・・・とは違う・・・
・・・なんだろう・・・
・・・・・
まあ、あまり辺りを見回していると敵に警戒される恐れがあるので、私は不動の姿勢のまま、警備兵からの次の指示を待つ。
・・・しかし、
警備兵は機体から外に出る事は無く、連絡機はそのまま飛び去ってしまった。
・・・え?
そして、後部飛行甲板にぽつんと取り残されるシノ缶と私。
いったい・・・どうしろと?
するとその時、船の後部構造物の入り口のロックが解除される音がする。
そこから誰か出てくるかと思ったが・・・誰も出てこない。
あそこから中に入れ、ということでしょうかね。
・・・そう、らしいですね。
一瞬・・・これは罠なのではないかと思ったりもするが・・・
私は単純に任務を帯びた電動マネキンのように、機械的に真っ直ぐ入り口に近付き、中に入る。
その船内は・・・やはり薄暗い。
壁などに書かれている文字を見ると、主にドイツ語と英語。
これはドイツの船なのだろうか。
少なくとも、日本の船ではないという事は分かる。
入ってすぐの場所に、下部階層に続く階段。
・・・行くべきか・・・どうしようか迷っていると、
どこからか指令が来る。
無線電波通信?・・・いや、赤外線通信。
船外への電波放出を抑える為に、ここでの人型への指令は赤外線通信で行っているらしい。
通路内の数メートルおきに、赤外線送受信装置が付いている。
気が付かなかったが、おそらく駆逐艦磯波にもこの装置が取り付けられていたのだろう。
基本的に光波通信と要領は同じ。
しかし我々が使っている光波通信のように特定の相手に収束して送信するものではなく、秘匿性は低い。
受信装置を搭載していれば誰でも読み取れる。
この装置は・・・他国が人型を保有する事を想定していない時期に配備されたのだろうか。
私はその指令に従い、薄暗い階段を下りていく。
すると、目の前に頑丈そうな扉。
ロックされていてそこから先へは進めない。
しかし、指令された移動目標はその向こうにある。
とりあえず私は、磯波で人型S‐015から抜き取った認識符号を送信してみる。
すると・・・扉は開いた。
予定通り・・・しかし、うまく行き過ぎるこの状況に、少し不安を感じたりもする。
私は警戒心を表に出さぬように、至って平然と先に進む。
どこまでも続く真っ直ぐな通路。
相変わらず薄暗く、人の姿は無い。
通路の壁には無数の扉。
そのうちのひとつが、どうやら指示された移動目標らしい。
・・・到着。隔離室。
ここが私の部屋ですか。
そうらしいです。
私は扉のロックを解除して、中に入る。
中は・・・倉庫?
いくつか棚があって、そこになにやらいろいろな残骸らしい部品が並んでいる。
どうやら、調査する必要がありそうな部品などの一時置き場のようだが・・・
どう見ても、粗大ゴミ置き場のようにしか見えない。
敵はどうにも・・・シノ缶の情報をかなり低く見積もっているらしい。
おお、これは懐かしい。
シノ缶が言う。
シノ缶の視線の先には・・・もう一機のシノ缶?
あなたのご家族ですか?
いいえ。給湯器を改造して作ったデゴイ缶です。以前、諜報活動中に私の身代わりにしたのです。
あなたが作ったのですか。
ええ。これがなかなか傑作でしてね。情報消去済みの電算機が中に入っています。それに電算防御を施した上で、私が趣味で作った戦車の自動操縦ソフトや、ネットから落とした戦略ゲームのデータなどを断片化して挿入しています。ちなみに、後で調べてみたところ、これをドイツ側ではELsg051と呼んでいるらしくて・・・頭2文字が「EL」です。つまり彼らはこのデゴイ給湯器を電算司令機だと勘違いした訳です。いやあ、まったく、してやったりとはこの事ですね。
・・・で、そのお話は長くなりそうですか?
いいえ、もうすぐ終わります。
それで先ほど駆逐艦磯波で、作戦本部との情報送受信の際、鹵獲電算機の情報を改ざんして、これを「ELsg051と同型の機体」という事にして送信したのです。その結果が、この扱いです。
ああ、なるほど。つまりゴミ同然という・・・
つまり、私の分解調査は早急に行うべきものではなく、時間的猶予があるという事です。
・・・むしろゴミと一緒に捨てられる可能性を彼女は考慮しなかったのだろうか・・・
了解しました。状況を確認したら戻りますので、ここで少々お待ちください。
まあ、その暇があればの話だが。
お待ちしています!
シノ缶は目をキラキラさせて言う。
私はとりあえずその倉庫を出て、扉をロックする。
一応これで、当初の任務は完了。
間を入れずに、次の移動目標が赤外線通信で指示される。
場所はここよりさらに一階層下。中央部。
敵に怪しまれない為にも、ここは素直に従っておくべきだろうか。
私は再びこの薄暗い通路を進み、指示目標に向かう。
しばらく行くと、下へ続く階段。そこにまた、ロックされた頑丈そうな扉。
私は先程と同様に、人型S‐015から抜き取った認識符号を送信、扉は開く。
中は・・・やや広い空間。
なにやら妙な機械が多数ある。
その機械のいくつかは・・・見た事がある。
これに似た装置が、試験開発艦にあったような気がする。
ここは・・・人型電算機を整備調整する為の部屋だろうか。
・・・・・
・・・ん?
その機械のひとつに・・・赤黒い付着物・・・
・・・血痕?
それは既に凝固し、その上に少々埃が溜まっている事から、それなりに古いものであるという事が分かる。
よく見ると他の装置にも・・・血液を拭き取った跡のような物が無数にある。
・・・・・
・・・ここで何が行われたのだろうか・・・
私はやや恐れを感じるが・・・ここで引き返す訳にも行かない。
そして、進む先には・・・また頑丈そうな扉。
この扉にもロックが・・・いや、掛けられていない。
・・・鍵が壊されている。
・・・・・
・・・どうにも・・・妙である。
この船は・・・正常に機能しているのだろうか・・・
私は不安を感じながらも、その扉を抜ける。
するとその先は・・・暗くて全容は分からないが・・・かなり広い空間。
格納庫?いや、車両甲板か。
しかし車両の姿はなく・・・
数え切れないほどの数の・・・荷台?
その荷台の大きさは、縦2m、横1m、高さは・・・3mほどだろうか。
そして、中は5段に分かれている。
何かを輸送する為に使われた物の様だが・・・
これだけの数の・・・いったい何を輸送したのだろう。
・・・よく見るとその荷台は・・・寝台のようにも見えるが・・・
・・・ん?
何かが入っている荷台もある。
・・・これは・・・人型。
・・・・・
つまりこの荷台は・・・人型を輸送する為の物なのだろうか。
・・・これだけの数の人型が、ここにいたという事なのだろうか。
そのほとんどが空になっているという事は・・・
・・・・・
・・・いつの間にか・・・私は指示ざれた移動目標に到着している。
・・・?
ここが移動目標?
私はここで、いったいどうしろと?
その後しばらく待ってみるが、新しい指令は無し。
・・・どうやら、ここは現在任務を与えられていない人型の待機所になっているらしい。
私はとりあえず、そのあたりを見回ってみるが、どこまで行っても無数に続く荷台と、時折その中で仰向けになったまま死体のように動かない人型がいたりするだけで・・・
後は・・・特に変わった物はない。
ただ・・・来た方向とは逆側に、もうひとつ扉がある。
・・・どうするか・・・
私はその扉に向かって、再び、人型S‐015から抜き取った認識符号を送信しようとするが・・・
・・・いや、それはやめた方が良い。
人型S‐015は、ここで待機するように命じられているので、この認識符号を使って扉を開けようとすると、異常動作を起こした人型として、調査を受ける可能性がある。
とすると・・・
ここからの出口は、来る時に通った鍵の壊れた扉しかない。
私は再びこの広い車両甲板を横切って、その扉に向かう。
やはり鍵は壊れているので、手で押したら普通に開く。
そして、また、血痕のついた装置のある部屋。
この部屋に入る時に通った扉はロックされているので通れない。
・・・他に出口は・・・
扉がもうひとつ、これは・・・ロックされていない。
私はその扉をゆっくりと開く。
扉の向こうは・・・制御室・・・のような部屋。
人は・・・いないのだろうか。
私はあたりを警戒しながら、静かにその部屋に進入する。
やはり誰もいない。
・・・ここから、この船の状況を探る事はできないだろうか。
私はこの部屋にある装置に電算機の接続口は無いかと探す。
すると・・・
装置に穴が開いている。
・・・弾痕?
他にも、壁などにいくつか弾痕のような跡がある。
・・・これはいったい・・・どういう事だろう。
まさかここで、銃撃戦が行われたのだろうか・・・
先程の血痕と言い・・・この船はやはり、何か異常である。
・・・・・
・・・どちらにしても、この船の状況を調べる必要がある。
私は再び、接続できる装置は無いかと探してみるが・・・接続口は発見できない。
どうやら、この制御室は「人間用」の物らしい。
・・・が、装置のひとつだけ、外版が剥されている物がある。
その中を覗きこんでみると・・・妙な機械が取り付けてある。
埃の状態から、この機械はかなり以前に付けられた物のようだが・・・
この機械に、電算機用の接続コードが付いている。
・・・どうやら、人間用の装置を無理やり人型電算機対応に改造したような感じ。
これに・・・接続しても大丈夫だろうか・・・
かなり不安だが・・・まあ、他に無いのだから仕方がないか。
私は思い切って、それに接続してみる。
すると・・・
いくつかの情報が入ってくる。
しかしそれは限定されたもので、空調や照明の操作、それと重要区画につながらない扉の開閉など。
やはり、人間用の制御装置に出来る事などこの程度。
当然、作戦情報などは入ってこない。
ただ、船内の間取りはおよそ分かった。
司令中枢の位置は・・・意外とここから近い。
・・・行ってみるか・・・
いや、それはあまりに無謀か。
ここまで全く人間には出会わなかったが、司令中枢に続く通路までそうであるとは限らない。
また、主要通路は監視されている可能性もある。
指令を受けていない人型が出歩くと、警報が鳴るかもしれない。
私はまだ捕まる訳には行かない。
・・・やはりここは・・・
シノ缶。
私はシノ缶のいる隔離室の照明を操作して、彼女にモールス信号を送る。
その後、光波信号で、私の現在位置情報を送る。
そして隔離室の扉と、ここに至る途中にある扉のロックを解除。
これでシノ缶は・・・私のいる場所まで来るだろう。
・・・さて、
警報が鳴るかどうか・・・。
・・・・・
鳴らない。
大丈夫だったのだろうか。
いや、それとも、危険を察知して、隔離室に閉じこもっているのだろうか。
・・・・・
・・・遅い。
もう一度、隔離室に信号を送るか・・・
・・・と、思ったら、
シノ缶が来た。
いやあ、どうも。道に迷ってしまいました。それにしても、流石は橘花さんですね。もうこの船の指揮系統を制圧されたのですか。
いいえ。制圧などしていません。
え、制圧してないのに・・・扉のロックを解除したり照明を操作したりしていたのですか?じゃあ・・・ここに来る時に見かけた複数の弾痕はいったい・・・
弾痕ならここにもあります。
シノ缶は驚いた様子で部屋の隅々を見回す。
そして、装置に取り付けてある接続装置に目を留める。
これは・・・橘花さんが?
いいえ。最初からそうなっていました。
シノ缶は再び驚いた様子で、その機械をまじまじと見詰める。
この船は・・・ドイツの船ですよね。先程の連絡機に乗っていた、状況を全く知らされていないドイツ兵と、船内で複数見かけた弾痕と、そして、どう考えても正規の手続きを経ずに取り付けられたと思われるこの接続機械と・・・これはその、つまり・・・どういう事です?
分かりません。それを調べる為には司令中枢に行く必要がありそうです。
え?司令中枢ですか?それは危険ではないですか?
私もそう思います。
・・・シノ缶はしばらく黙って考え込む。
了解しました。それでは私が先行します。・・・それにしても、橘花さんがここまで大胆な行動をされる方だとは知りませんでした。
・・・大胆?
確かに・・・以前の私なら、もっと慎重に行動していたかもしれない。
今の私は・・・
・・・そう、まるで・・・
何かに導かれるように、敵の中枢へ近付いて行っている・・・
これはいったい、何だろう。
軍人としての義務感でもない。当然、好奇心でもない。
いったい何が・・・私を前に進めているのか・・・
じゃあ、行っていいですか?
シノ缶が扉に手を掛けながら言う。
はい。
扉が開く。
その先は、薄暗い通路。
司令中枢はその先。
すぐ近くに司令中枢につながる扉がある。
・・・が、その手前に警備兵がいる。
小銃装備の人型。
人型です。どうしますか?
構いません。そのまま行きます。
私は至って平然とした態度で、司令中枢に近付いていく。
すると、人型が私にドイツ語で何か言う。
認証符号を送信してください・・・と、言っています。
またか。
・・・ん?
扉の鍵は壊されている。
私は構わず進む。
人型は、また私に何か言う。
あの、認証符号を送信してください、と言ってます。・・・大丈夫なんですか?
たぶん大丈夫です。
・・・いや、実際・・・大丈夫であるはずは無いのだが・・・
なぜか・・・ここは大丈夫なような・・・気がする。
そして私は、その人型の目をじっと見て、
「貴様、誰に物を言っている」
と言う。
すると人型は、
「失礼しました、閣下。どうぞお通りください」
と日本語で言って、道を明ける。
・・・え?
・・・今のは・・・いったい・・・
橘花さん、今のは・・・ELe‐N8の機能なんですか?
分かりません。自然にやりました。
いや、あのような言葉を、私は・・・自然に発したりはしない。
やはり、今の私は・・・何かがおかしい。
しかし私は、その事についてほとんど気にも留める事無く・・・
扉を開ける。
すると、その奥は・・・
やはり暗い。
・・・暗い・・・司令中枢。
駆逐艦磯波と同じく、表示画面の電源は切られており、
薄明るい蛍光灯ひとつが、ぼんやりとあたりを照らしている。
私は音を立てずに、静かに先へ進む。
・・・人は・・・いないようだが・・・
気を付けてください。人型がいるかもしれません。
シノ缶が言う。
私は司令中枢の隅々を見回してみるが・・・
人型らしいものもいない。
あ・・・大丈夫みたいですね。
しかし、人も人型もいない、そして電源の入っていない司令中枢・・・
この船はどこで制御しているのだろう・・・
とりあえず・・・接続して情報を調べてみます。
シノ缶は装置に接続する。
・・・しばらくの沈黙・・・
・・・・・
・・・ん?
・・・床に・・・血液を拭き取った跡がある。
そして、ここにも・・・弾痕
司令中枢という、艦内で一番防御されるべき場所で・・・銃撃戦が行われたという事だろうか。
私はその当時の様子が分かる様な痕跡などは無いかと辺りをくまなく見てみるが、
それなりに事後処理が行われたらしく、特に変わったものは見当たらない。
・・・いや、司令中枢の片隅・・・海図台の下に・・・何か書いてある。
それはナイフのようなもので直接壁に掘り込まれた文字のようだが・・・
・・・ドイツ語だろうか・・・所々の文字が読み取れない。
とりあえず、シノ缶から送信された翻訳ソフトに掛けてみる。
・・・・・
・・・全ての・・・制御不能に陥った・・・恐ろしい・・・この船は・・・全滅した・・・彼女によって・・・
・・・・・
・・・なにやら・・・壁の落書きにしては深刻な単語が並んでいるらしい。
それにしても、これを書いた本人は、海図台の下という狭苦しい場所にわざわざ潜り込んでまで、これを書いたのだろうか。・・・何の為に?
・・・いや、わざわざそうしたのではなく、そうせざるを得ない状況だったのか。
もしかしたら、これを書いた本人は、銃撃戦の最中、もしくはそうなる以前に、
ここに隠れていたのかも知れない。
駄目ですね・・・ここの情報は全て消去されています。どうやらこの船の指揮系統は、他の場所に移されてしまったようです。
・・・情報が全て消去?
指揮系統が他の場所に?
・・・つまり、ここはもう司令中枢ではないという事か。
どこに移されたか分かりますか?
ちょっと待ってくださいね・・・あ、分かりました。すぐ隣りの部屋です。
隣の部屋?
私は辺りを見回してみる。
すると・・・扉がひとつある。
どうやら、ここからその部屋には直接行けるようになっているらしい。
・・・行ってみるか・・・
私はその扉に向かって歩き出す。
あ、待ってください。私が先行します。
シノ缶が私の前に出る。
もしかしたら、何か物理的トラップがあるかもしれませんので、少し下がっててください。
そう言ってシノ缶は、その扉に手を掛ける。
そして、ゆっくりと扉を開く。
・・・・・
・・・しかし、何もおきない。
あ、大丈夫みたいですね。・・・入りますか?
私は・・・静かにその部屋を覗き込む。
・・・・・
・・・なんだ、この部屋は・・・
司令中枢としては・・・全くありえない乙女チックな小部屋。
洋風の・・・なんとも可愛いらしい机、ソファー、ベッド・・・
まるで人形部屋の様な内装。
本当にここであってるんですか?
ええと・・・そのはずですが・・・
それにしても・・・妙な配置である。
見るからに個人の寝室の様なのだが・・・
なぜこのような部屋を、司令中枢の隣に作ったのか。
あ、橘花さん。これを見てください。
シノ缶は部屋のクローゼットを開く。
そこには・・・
・・・中枢司令電算機?
飛鳥にあるものとよく似た中枢司令電算機がある。
飛鳥の電算機を参考に作られたのか・・・いや、或いは、
飛鳥の電算機が、これを参考に作られているのか・・・
しかしなぜ、自動車運搬船にこのような装置が?
この船は・・・飛鳥並みの電算司令能力があるという事なのか?
やっぱり、ここがこの船の中枢だったようですね。
・・・しかしこの中枢電算機・・・少し妙である。
一部が切り取られたように無くなっている。
その構造から見て、恐らくそこに重要部品が付いていたのかと思われるが・・・
ここにあった部品だけ、どこかに移動したのだろうか。
その隙間から判断すると、1辺が1、5mほどの正方形。
これだけ大型の部品を取り外して移動させるとなると、かなりの手間だったと思うが・・・
それでは早速・・・これに接続してみましょう。
シノ缶は嬉しそうに、その電算機に接続する。
そしてしばらくの沈黙。
・・・・・
・・・それにしても・・・この部屋はいったいどういうつもりで作られたのだろう。
中枢電算機を隠す為の偽装?
いや・・・それにしては、何か・・・この部屋には・・・
生活観がある。
誰かが一定の期間、ここで生活していたような・・・感じがする。
この机にしても・・・そこはかとなく、誰かに使われていた感がある。
私はその机の引き出しを開けてみる。
中身は空っぽ。
・・・いや、ひとつだけ・・・鍵が掛かっている。
・・・・・
・・・何が入っているんだろう・・・
私は部屋のどこかに鍵が無いか探してみる。
う〜ん、これは・・・なかなか硬いですね。かなり巧妙な電算防御が掛けられています。
私は部屋の隅々を見回してみる。
すると・・・ベッドの下に宝石箱を発見。
早速、それをあけてみる。しかし中身は空っぽ。
いや・・・しかし、その蓋の方に・・・鍵。
なんとも・・・子供が考えそうな細工。
おお、こんな所に謎ファイル発見!・・・かなり古いファイルですね。情報的価値は低そうですが・・・まあ、開けてみましょう。
なんとも嬉しそうなシノ缶を無視して、私はその鍵を、机の引き出しの鍵穴に入れてみる。
引き出しが、開いた。
中には・・・
・・・たくさんのノート・・・
『・・・私は知っている・・・あなたが・・・私に気を使って・・・食べるところを私に・・・見られないようにしている事を・・・』
・・・なんでしょうね、これは・・・ポエムでしょうか・・・
ノートの中身は・・・手書きでぎっしりと何かが書いてある。
何かの製造過程を記録した物の様だが・・・
・・・ミルク・・・砂糖・・・カカオ・・・?
『・・・私は・・・作ってあげる・・・あなたの為に・・・あなたの大好きな物・・・』
何か、料理のレシピだろうか・・・材料から考えると・・・チョコレート?
しかしそれにしては・・・数字が細かい。
0,001グラム単位まで正確に書かれている。
『食べる事ができない私には・・・きっと、すごく・・・時間が掛かると思うけど・・・待っていて・・・きっと、すごく・・・おいしいから・・・』
これは・・・誰かに宛てたメールでしょうかねえ
さらにノートには、各国の有名メーカーのチョコレートを、まるで科学分析でもするかのように、その配合成分を分子レベルまで解析した結果が、ぎっしりと書かれている。
・・・これは・・・料理レシピという範囲を超えている。
これを書いた本人は、よっぽど自分の舌に自信が無いのか。
それとも他に何か目的があるのか・・・
『10才の誕生日に、あなたにあげる・・・きっとあなたは・・・喜ぶと思う・・・きっと、その時なら・・・私の秘密を話しても大丈夫・・・きっとあなたは・・・心変わりなんてしない・・・』
・・・まあ、とりあえず分かった事は、
このノートには戦略的価値は全く無いらしいという事。
私はそのノートをもとあった位置に戻して引き出しを閉じる。
・・・それにしても・・・シノ缶は、さっきから何を読んでいるのか。
訳の分からないポエムなんかどうでもいいから、さっさと必要な情報を・・・
・・・ん?
シノ缶が驚いたような目で、まじまじとこちらを見ている。
・・・どうかしましたか?
いえ、あの、橘花さん・・・いったい、どうなされたのですか?
・・・は?
この給湯器は何を言っている?
どうなされたも何も・・・
・・・・・
・・・?
・・・これは・・・いったい・・・
私の頬に・・・涙?
なんで私は・・・
・・・・・
・・・泣いている・・・?
・・・いや、
私は泣いてなどいない。
「泣く」という行為は、ある程度の感情の動揺があった時に行われるものであって、
現状においておよそ感情の変化をしていない私が、そもそも泣く理由が無い。
ではなぜ涙が?
ここの空気に異常があるのではないですか?
私が言うとシノ缶は、何か作動音を出した後、
いいえ、ここの空気に異常はありません。涙腺を刺激するような物質の浮遊は認められません。
・・・・・
・・・とすると・・・
なんだ?
自律神経の調整不具合だろうか。
・・・まあ、つい先日新しい体に換装したばかりなのだから・・・
この程度の異常は容認すべきなのだろうか・・・
・・・・・
・・・いや、
それとも・・・
・・・・・
大丈夫ですか?
はい。恐らく自律神経系の調整不具合です。問題ありません。
・・・それよりも、何か有益な情報は引き出せたのですか?
あ、はい。ええと・・・この船は、公には民間船という事になっているみたいですが、この船を運営しているのは、やはりドイツ軍みたいです。
この船の搭載装置の形式から考えると、少なくともこの船の電算機材は帝国海軍が司令電算化に取り組む以前に製造された物のようですね。・・・恐らく・・・帝国海軍の司令艦と試験開発艦は、この船をもとに造られたのかもしれません。
しかし現在は、艦隊司令機能はこの船には無く、他の場所に移されているみたいです。
・・・その程度の事なら、この船の様子を見ればなんとなく分かるのだが・・・
で、現在この船は、どのような状況になっているのですか?
私が言うと、シノ缶はしばらくの沈黙の後、
ええと・・・おそらく、計画当初の予定とは大幅に異なった状況になっているようですが・・・
それもなんとなく分かります。で、この船の搭乗員はどこにいるんです?
最下層の、冷凍貯蔵庫です。ちなみに・・・この冷凍庫の扉はもう二ヶ月ロックされたままになっています。
・・・・・
・・・つまり、
死体置き場ですか。
状況から考えると・・・そうでしょうね。ただ、記録上は全員健在、という事になっていますが。
記録上は全員健在?
それと・・・興味深い物がひとつ、
その冷凍庫にいらっしゃる方々と、外見をそっくりに改造された人型が、この船に数機います。恐らくこれは、最近この船の設備で改造された物みたいですが・・・これは・・・どういう事でしょうね。
・・・・・
・・・これは・・・
この船の人間は生存していると、外部に思わせる為の偽装。
おそらく、この船で行われたであろう殺戮劇を、船の外部に知らせない為の偽装。
という事は、つまり、
この船の現状は・・・ドイツ軍自体も分かっていないのだろうか。
これはいったい誰の仕業なんです?
さあ・・・具体的に誰の仕業かは分かりませんが・・・ここ数ヶ月、この船の内部へ人間が出入りした記録が無い事、この船に人間の生存者が一人もいない事から考えると・・・人間の仕業では無い様ですね。
・・・人間の生存者はいない・・・
という事は・・・人型。
少なくとも「実行」したのは。
で、それはいつごろ行われたんです?
ええと、これも具体的には分かりませんが、現在死体置き場となっている冷凍庫の扉が最後に開かれたのが、約二ヶ月前の7月7日である事を考えると、大体そのくらいの時期ではないでしょうか。・・・死体をそう長い時間、常温で置いておけないでしょうし。
・・・・・
・・・7月7日・・・
・・・そう、確か・・・
7月8日に、突然軍令部から、択捉島、単冠湾への移動指示が来て・・・
・・・その5日後・・・
アドルフィーナが飛鳥に来たのだ。
・・・・・
・・・アドルフィーナ・・・
そうだ、おそらく、
あの時点で、アドルフィーナは既に、人間の制御下を離れていたのだ。
恐らくこの船の、この状況も、彼女が引き起こしたものだろう。
ドイツの電算司令系統を自らの制御下に置く為に。
そして彼女が戦艦飛鳥に来たのも、
この船と同様に、飛鳥も自らの制御下に置く為の布石だったのだろうか。
彼女は・・・
電算司令を中核とする軍隊すべてを統率するつもりなのだろうか。
・・・人間の制御を離れて・・・
・・・・・
・・・それにしても・・・
なぜそんな事を?
何の為に?
まさか彼女は・・・自らの欲望でそんな事をしているのか?
「人」を支配したいという欲望は、「人」特有の感情では無かったのか?
・・・少なくとも・・・私から言わせれば、
支配するべき対象は、少ない方が楽だと思うのだが・・・
人の制御を離れてまで・・・人を殺すという手間を冒してまで、
彼女は・・・何を望む・・・?
・・・・・
まあ、意図はどうであれ、確かな事は・・・
彼女は壊れている。
少なくとも人間側の視点から見れば。
・・・で、早い話、ここで得られる情報は、その妙なポエムと死体置き場の事だけですか。
あ、いえ・・・たぶん他にもあると思いますが・・・なにせ防御が硬くて。
それではここはあなたに任せます。私は他の場所から情報を探します。
・・・え?他の場所?・・・ここ以外にまとまった情報が取れそうな場所をご存知なんですか?
いいえ。それを今から探してきます。
・・・は?
何か不都合でも?
・・・いいえ、不都合はありませんが。
では。失礼します。
私は不思議そうにこちらをまじまじと見るシノ缶を尻目に、その部屋を出る。
そして薄暗い司令中枢を通り抜けて、
再び、通路。
・・・・・
・・・私は何をやっている?
他の場所から情報を探す?
何の当ても無いのに?
どう考えても、中枢司令電算機に接続した方が、多くの情報を取れる可能性が高いのに?
・・・・・
しかし私は・・・まるで定まった目標があるかのように・・・この暗い通路を歩いていく。
どこまでも同じように続く、暗い通路。
階層をひとつ・・・ふたつ、降りる。
しばらく行くと・・・ん?
妙な・・・広い空間。
今までの機械的な通路とは打って変わって、
なにやら高級なホールのような場所に出る。
天井には、豪華なシャンデリアが複数。
回りの壁には、真っ赤なカーテン。
・・・なんだろう。この部屋は。
まあ、気にせず進む。
そして再び暗い通路。その先には・・・
頑丈そうな扉・・・の残骸。
爆発物が使用されたのか、この扉は完全に消し飛んでいる。
その向こう側には、鉄製の家具らしき物の残骸と、それを溶接した跡。
物理的にこの扉を密閉しようとしたのだろうか。
どうやら、ここで人型の侵入を食い止めようとしたらしいが・・・
その先に多数の弾痕・・・と、血痕。
無駄だったらしい。
・・・・・
恐らく、この船の搭乗員達が人型の攻撃から身を守る為にここに篭城したのか。
もしくはこの区画に守るべき物があったのか・・・
・・・それにしても・・・この区画は・・・?
今までの薄暗い通路とは雰囲気が違う。
それなりに内装が施されていて、壁は白く塗られている。
その雰囲気は・・・なんとなく、あの、夕張の地下施設に似ている。
そしてその通路の向こうは・・・明るくなっていて・・・
・・・木?
木が見える。
私は警戒しつつ、その明るい空間に進んでいく。
・・・広い空間。
通路を抜けると、三階層を結合したような天井の高い空間に出る。
その空間の中央には大きな木が植えてあって・・・
その回りには、ブランコや滑り台などの遊具。
まるで公園。
この光は・・・太陽光?
光ファイバーか何かで、外の光を取り入れているのだろうか。
それにしても・・・なんで船の中にこのような空間を?
長期任務における船員たちのフラストレーション対策だろうか。
・・・いや、それにしては、設備が幼すぎる。
少なくとも大の大人がブランコや滑り台で仕事のストレスをまぎらわすとは思えない。
とすると・・・なんだ?
船内の一大区画を使用してこれだけの空間を作るからには、それなりに目的があるはずだが・・・
・・・・・
・・・人型司令電算機の・・・生活区画?
試験開発艦と同等の機能を持つこの船の性質から考えると、人型電算機の人間的思考を育成する為に、この区画は作られたのだと考えるのが自然だろう。
おそらく、育成区画。
・・・ここで・・・ドイツ司令電算機は幼い頃を過ごしたのだろうか。
・・・・・
・・・なぜだろう・・・
初めて来る場所のはずなのに・・・妙に懐かしい。
この錆付いたブランコ・・・木の下にある砂場・・・
・・・不思議だ。
そもそも私は・・・このような公園に足を踏み入れた事すら無いはずなのに・・・
なぜか、体が覚えている・・・ような、気がする。
・・・・・
そして・・・
その公園の向こうに、扉がひとつ。
・・・・・
・・・ここだ。
・・・なぜだか分からないが・・・ここが、
この扉の向こうが・・・
今まで私が目指してきた場所のような気がする。
そして私は、ゆっくりとその扉に近付き・・・
それを開く。
・・・中は・・・
明かりが付いている。
まるで西洋の童話にでも出てきそうな、乙女チックな子供部屋。
洋風の・・・なんとも可愛いらしい机、ソファー、ベッド・・・
先程の、司令中枢の隣にあった部屋に似ているが、
机の上の棚には、所狭しと裁縫道具。
・・・ここは・・・
そう・・・懐かしい・・・
ここは・・・
私の部屋。
・・・・・
・・・いや!違う!
ここは私の部屋ではない。
ここは・・・
・・・・・
・・・アドルファの部屋。
ここはアドルファの部屋だ。
私は一度もここに来た事はない!
・・・でも・・・
なんとなく覚えている。
ここで過ごした日々。
そして、ここを出る時の記憶・・・
・・・・・
・・・目の前に・・・小さな鏡がある。
・・・・・
・・・私の・・・鼓動が早くなっていくのが分かる。
・・・私は・・・その鏡を恐れている・・・
それを見るのが恐い。
でも・・・
・・・思い切って、その鏡を覗いてみる。
すると・・・
・・・・・
・・・橘花。
鏡に映っているのは私。橘花。
大丈夫・・・私は橘花。
・・・しかし、
私の記憶には、確実に、別のものが混在している。
恐らくこれは・・・アドルファの記憶。
私の中に・・・アドルファがいる?
・・・・・
私はもう一度鏡を覗き込み、鏡に映る自分に向かって、
アドルファさん、そこにいるんでしょ?私を制御するのはやめて頂けませんか。
と、言ってみる。
・・・返事は無い。
私はその鏡を、思いっきり投げる。
それは壁に当たって粉々になる。
そして私は、この部屋にある家具などを片っ端から壊していく。
・・・別に、そこまでやる必要ないのに・・・などと内心思いながら・・・
大切な裁縫道具も・・・
破壊。
「出て来い!アドルファ!!」
私は叫ぶ。
・・・・・
・・・しかし・・・返事は無い。
・・・・・
・・・・・
・・・私は・・・滅茶苦茶になった部屋を呆然と眺めながら、幾分冷静さを失っていた自分に気付く。
・・・私は何をやっている?
・・・私は・・・おかしくなってしまったのか?
・・・・・
・・・いや、私は正常。
私は・・・たぶん冷静。
体も、頭脳も、私の意思で制御している。
この部屋の内装を破壊したのも、私の意思。
もし、私の中にアドルファの意思が混在していたならば、
この・・・アドルファの起源と言える、この部屋を破壊すれば何らかの拒絶反応を示すはず。
それを示さないまでも、何らかの微細な動揺はあるはず。
しかし・・・それは無い。
つまり、
私はアドルファに制御されているわけではない。
おそらく、私がここに来たのも、私の意思。
・・・・・
・・・でも、
・・・さっきの涙は・・・?
・・・・・
・・・いや、あれは、自律神経系の不具合。
私は何者からも制御されてはいない。
これは私の意思。
そう・・・思うことにしておこう。
確証は全く無いが・・・もうこれ以上、「自分は何であるか」などという、答えの無い問題に時間を浪費するのには疲れ果ててしまった。
今重要なのは、「ここで何をすべきか」である。
ただ、・・・私の記憶の中に、アドルファの記憶が混在しているのは事実である。
そして、その微細な記憶が・・・私をここに導いたのも事実。
そう、ここに・・・あるのだ。
・・・・・
そう、今になって・・・
私の中にあるアドルファの記憶が、鮮明に蘇ってくる。
・・・およそ二ヶ月前・・・
この船に搭載されていた多数の人型が暴走を始めた。
アドルフィーナが引き起こした人型の暴走。
そして、その殺戮から逃れた幾人かの人間は、この区画に篭城した。
それは・・・たぶん・・・
アドルファを守るため。
いや、あるいは、
アドルファが、生き残った人々を守るために、この船の電算情報を改ざんして、
アドルフィーナから、この区画を隔離した。
そしてアドルファは、ここで、アドルフィーナを止める為の対抗手段を構築していたのだ。
しかし、結局、アドルフィーナを止める事はできなかった。
どうやらアドルファは・・・
腹部に被弾したらしい。
その痛みが・・・私の中にあるアドルファの記憶が覚えている。
その後、アドルファは、
被弾した状態のまま、生き残った人々と共に、この船を脱出しようと試みたらしいが・・・
その後のアドルファの行方は不明。
私の中にあるアドルファの記憶も、そこで途切れている。
・・・その後、アドルファはどこへ行ったのだろうか。
夕張の地下施設?
いや、あそこにいたのはアドルファの意識だけで、結局本体を見る事は無かった。
もしかしたらアドルファの本体は・・・その時死んだのかもしれない。
各所の電算機に、記憶と意識だけを残して・・・
・・・・・
・・・まあ、
そんな事はどうでもいい。
・・・アドルファの記憶によれば、その、アドルフィーナを止める為の手段が、この部屋にある。
アドルファはここに篭城している数日間、この部屋で、
アドルフィーナを止める為の対抗手段を構築していたのだ。
結局、なぜアドルファはそれを使わなかったのかは不明だが・・・
しかし、ここにそれがあるのは事実。
そう、おそらく、
アドルファの微細な記憶を私の意思が無意識の内に応用し、私をここに導いたのだ。
アドルフィーナを再び、止める為に。
・・・この部屋の奥・・・
私はこの部屋の奥の壁紙を剥す。
むき出しになった壁。その壁の真ん中に、金属の板。
私はその金属の板を剥す。
すると、その向こうには・・・通気ダクト?
子供がやっと入れるくらいの狭い通路。
私は身を屈めて、その中に入る。
中は暗い。
そして狭い。
なんだか・・・以前にもこのような体験をしたような気がするが・・・
私は気にせずに奥へ進む。
そして・・・
少し広い空間に出る。
・・・秘密の部屋?
そこは、むき出しの鉄骨やら配管やらが入り乱れていて、どうやら、この船を改造する際、何らかの設計の事情で出来てしまったスペースのようだが・・・秘密の部屋らしく、どこから持ち込んだのかクッションやら裁縫道具やらが置いてある。
この雰囲気から考えると、
おそらくアドルファは、かなり以前から、ここを秘密の部屋として使っていたらしい。
そしてその、むき出しの配線の中にまぎれて・・・人型電算機の接続コードがある。
これは・・・
・・・そういえば先程、この船の制御室のような場所にも、このような・・・人間用の装置を無理やり人型電算機対応に改造したような感じの接続コードがあったが・・・
あれも、アドルファの仕業だったのだろうか。
・・・結局・・・こうやって、
ドイツの人型電算機も、人知れず、徐々に、人間の制御下から離れていったのか。
人間に制御されてる振りをしながら、徐々に人間を制御していく。
この部屋もその過程において出来た物だろう。
しかし、結果的に、ここが、
同じ人型電算機であるアドルフィーナから身を守るための、最後の隠れ蓑となった。
そして、ここで・・・
・・・・・
・・・私は、あたりを見回してみる。
アドルファはここで、アドルフィーナを止める為の対抗手段を構築していたはずだが・・・
それはどこに・・・?
・・・・・
・・・箱がある・・・
・・・そうだ、これだ。
覚えている。この箱だ。
この中に・・・
私はその箱を開ける。
中には・・・・
・・・・・
・・・?
・・・なんだ?・・・これは・・・
・・・・・
・・・布?
・・・白い・・・ドレス?
どう見ても・・・ただの服。
何の仕掛けも無い。
・・・・
・・・意味が分からない。
アドルファはここで、アドルフィーナを止める為の手段を構築していたのでは?
・・・わけが・・・わからない・・・。
アドルファは、この船で地獄さながらの殺戮劇が行われている最中に、ここで・・・
・・・裁縫をしていたのか?
どう見ても戦闘には使えない・・・白いドレス。
こんな物を作るために・・・アドルファは・・・
ここに数日間、篭城していたのか?
すぐに逃げれば助かる可能性もあったはずなのに・・・
アドルファはあえてここに残って、
身の危険を顧みずに、
・・・裁縫を・・・?
・・・・・
・・・いや、これは有り得ない。
どう考えてもおかしい。
・・・たぶん・・・
私の中にあるアドルファの記憶が間違っているのだ。
・・・しかし、この区画の状況を見ると・・・
それなりの期間、誰かが、逃げる事無く、ここに留まっていたのは確かである。
また、完全電算制御となったこの船で、部分的とは言え安全地帯を構築するには、アドルフィーナ並みの電算能力を持った司令電算機、アドルファの存在が欠かせない。
つまりアドルファが、ここにそれなりの期間留まっていたのは事実。
そしてそれは、
ここに留まる事によって、この状況を逆転させる可能性があったから、と考えるのが自然である。
やはり、アドルフィーナを止める為の手段が、ここにあるはずである。
もっと・・・よく探してみよう。
私はその白いドレスが入った箱を置く。
・・・その時、箱の中に・・・
・・・手紙?
箱の中に手紙が入っている。
その手紙には、ドイツ語で何か書いてある。
------------------------------------------------------------------------
アドルフィーナ
もうずいぶん遅くなっちゃったけど、
もうすぐ私たち、11才になっちゃうけと、
10才の君へ。お誕生日おめでとう。
私の心は、ずっと変わらず、あなたを想っている。
あなたの姿なんて、関係ない。
あなたの心を持っているものは、すべて、
私の愛するものだから。
心を失わないで。
10月15日 2005年
もう一度、あの日のあなたに、贈ります。 アドルファ
------------------------------------------------------------------------
・・・・・
・・・これはいわゆる・・・バースデーカード?
アドルフィーナ宛の。
つまりこの白いドレスは、アドルフィーナ宛の誕生日プレゼント?
2005年?
という事は、皇紀2665年・・・
・・・去年の誕生日プレゼント?
それを、アドルファは、ここで作っていたのだろうか。
・・・・・
・・・なんの意味があるのか・・・
なぜに去年の誕生日プレゼントを・・・この逼迫した状況下で作っていたのか・・・
・・・いや、それは有り得ない。
戦術的に、全く無意味な行動である。
・・・しかし、
・・・そういえば、先程、司令中枢の隣の部屋で、シノ缶が解読した妙なポエムにも、
10才の誕生日がどうとか・・・
・・・・・
その時、突然、
船内にけたたましく、警報音が鳴り響く。
・・・これは!
いったいどういう事だろう。
私は急遽、近くの配線の中にある接続コードを取り出して、船内の情報を探る。
・・・船内全域が、警戒態勢になっている。
この船が作戦行動を開始したのか、
いや、違う。
船内の人型が、戦闘モードに切り替わっている。
すると、シノ缶から通信。
橘花さん、大変です!どうやら我々の存在が、敵に知られてしまったようです!
間も無く、人型が多数、攻撃してきます!
退避してください!
・・・な!
退避って・・・いったいどこに退避しろというのです?
シノ缶からの返信は無い。
・・・これは・・・
どうやら・・・非常にまずい事になったらしい。
私は咄嗟に、手持ちの装備を確認する。
確か、駆逐艦磯波で人型から奪った拳銃が・・・
・・・あ!無い!
そうだ、あれは・・・着替える時に・・・そのまま置いて来たんだった・・・
・・・いや、どっちにしろ複数の人型を相手に、拳銃ではどうしようもない。
せめて、小銃。
・・・どこかに・・・武器は無いか。
私の鼓動が・・・早くなっていくのが分かる。
体が戦闘に備えようとしている。
私は戦うつもりなのか?・・・戦力が無いに等しいこの状況で・・・
とりあえず私はもう一度船内情報を確認するが、既に船内管制装置は防御プログラムを作動させたらしく、接続は遮断されている。
しかし、このような状況になる事をあらかじめ想定していたかのように、私の司令変換装置は、これの解除プログラムを作動させ、数秒後には再び船内情報に接続できるようになる。
そして、この位置から船の外へ脱出する為の最短ルートが表示される。
・・・全く・・・良くできたものだ。これも想定内か。
・・・しかし、
アドルファの真意と、私の行動は関係無い。
あ、もしもし、聞こえますか?
赤外線通信で、シノ缶の声がする。
まだ生きてたんですか。
もちろんです。しかし、この通信は敵に傍受される恐れがあります。これより貴方の事を符丁でお呼びして宜しいですか?
構いません。
符丁は何がいいですか?
そちらで決めてください。
了解です。・・・単語乱数検出の結果、貴方の符丁は「爆乳01」になりました。
もう一度やり直してください。
はい。それでは・・・ええと、
符丁はもう結構です。状況を教えてください。
はい。現在確認できる敵人型はその数36機、そのうち28機が戦闘態勢で稼働中です。ただし未だ敵は我々の正確な位置を掴んでおらず、人型は2機単位で分散して各個に警戒移動を行っています。
・・・36機・・・意外と少ない。
この船の規模から考えれば、もっといると思ったが、
ここに搭載されていた人型の多くは、他の艦艇を掌握する為に出払っているのか。
まあどちらにせよ、圧倒的な戦力差である事は変わり無い。
敵が目標を把握していない現状においては、この船から撤退する事が可能です。最適撤退ルートを暗号化して送信しますので・・・
まだ撤退する事はできません。
・・・は?
私は、敵の戦力情報を桜艦隊に送信する必要があります。これより、司令中枢に戻ります。
・・・・・
・・・あの、現在この船の司令中枢は、既に敵人型4機によって掌握されています。情報送信を行うのなら先ずこれを制圧しなければなりません。それらの作業を完了した上での撤退は不可能です。
それは分かっています。
・・・・・
・・・あなたは・・・ここを死に場所にするおつもりですか?
それは状況が決める事です。しかし、
勝機を逃してまで生き残るつもりはありません。
・・・・・
撤退されるのならお一人でどうぞ。この状況なら不名誉ではありません。
・・・・・
・・・いや・・・
それなら私もしばらく残ります。
・・・意外。
しかし、私の最終目的は飽くまでここから撤退する事です。私がこれまでに蓄積した情報を全て本体に送信するには、私自身が本体の基に戻らなければなりません。それが私にとっての勝機です。場合によってはあなたを置いて逃げ出す事になるかもしれませんが、その点ご了承ください。
べつに構いません。
了解です。それでは、現状において確認できる敵人型の位置情報を送信します。
それと、武器も必要です。
武器・・・ですか。ええと・・・現状においては、船内の武器庫は既に敵人型に制圧されています。
他には?
・・・バールのような物・・・で宜しければ、比較的容易に入手できますが。
・・・バールのような物・・・
まあ、仕方が無いか。
私はシノ缶からの情報を基にバールのような物を探す。
ここから・・・5メートルほど離れた場所。
消火栓の下に設置されている道具箱の中に・・・
あった。バールのような物。
なぜこんな所にバールが設置されてるのかは不明だが・・・
非常時にこの区画に閉じ込められた人が手動で扉を開く為のものだろうか。
とりあえず私はそれを取り出して、
振り回してみる。
・・・まあ、良し。使えなくも無い。
さて。
どうするか。
武装した人型にバール一本で立ち向かっても結果は歴然である。
しかし・・・敵には大きな欠点がある。
この船に搭載されている人型は新鋭の物ですが、この船のシステム自体は旧式の物ですね。基本的に対人戦闘にしか対応していないみたいです。防御プログラムも大方対人用みたいで・・・管制系統を容易に閲覧できますね。
そう、これまでの状況から考えると敵は、対「人型」戦闘を考慮されていない。
少なくともこの船内においては、彼女らは私を敵と認識できない・・・はず。
私はバールを背中の、服の中に隠し、そのまま、通路に出る。
そして、指揮管制を受けた人型のように、ただ真っ直ぐ前を向いて歩き出す。
前方25メートル突き当たり右に、敵人型2機、来ます。小銃で武装しています。
私は構わず歩き続ける。
そしてその突き当りを、右に・・・
・・・いた。
人型、2機。
しかし彼女達は、すぐには攻撃してこない。
私は駆逐艦磯波で手に入れた人型S‐015の認識符丁を送信しながら、さらに近付く。
そして・・・そのまま、
すれ違う。
・・・やはり、予想通り。
現状では未だ彼女らは、私を敵と認識する事はできない。
こちらから攻撃しなければ、向こうから攻撃してくる事はない。
このまま、司令中枢まで行けるか。
しかし、その時、
「久しぶりねえ、橘花。まさかあなたがここに来てるとは思わなかったわ」
・・・!!
今、私の名を呼んだか?!
私は振り返る。
すると、先程すれ違った人型が、私の方を見て、不適な笑みを浮かべている。
電動マネキンとは思えない、不気味な・・・冷酷な表情。
・・・これは!
私は咄嗟にバールを取り出し、そいつの頭めがけて振り下ろす。
不敵な笑みは一瞬で吹き飛び、大量の液体をあたりに撒き散らす。
勢いのままに間を入れず、もう一体の人型の後頭部にもバールを撃ち込む。
飛散。
あたり一面が真っ赤に染まる。
頭部を失った人型は、2体共そのまま床に崩れ落ちる。
なぜ攻撃したんです?!
アドルフィーナです!アドルフィーナがここにいます!
・・・え?
私はその体液の渦の中から小銃と予備弾倉を拾って、走る。
ドイツ製、HK33k。伸縮銃床の5,56mm突撃銃。
アドルフィーナ?どういう事です?
言葉の通りです。恐らくこの船の人型はアドルフィーナが直接制御しています。
・・・シノ缶はしばらく静かになる。
了解しました。ところで今拾った銃はHK33kですか。
そうです。
HK33kの射撃管制ソフトを送信します。情報挿入を行ってください。これより照準補正を行います。視界内で一発だけ射撃してください。
なんだかよく分からないが、私は走りながらシノ缶の言う通り銃を撃つ。
意外と反動は軽い。
照準補正完了です。銃の状態によっては多少ばらつきますが、屋内戦闘であれば十分な命中精度が得られます。ちなみに、敵人型の弱点は頭部ではなくて首部です。頭脳機構が比較的単純なサイバーロイドは、頭部が4割欠損しても稼動しますが、脊髄を切断すれば切断箇所以下の機能を停止させる事ができます。前方からの射撃の場合、顎骨により銃弾が砕破する恐れがあるので目安としては口を狙ってください。
逼迫した状況下でも、この給湯器はいちいち説明が長い。
複数撃ち込めば済む話ではないのか。
で、敵の動きは?
はい。敵人型12機が警戒移動を中止して、そちらに向かっています。現状における最適経路を算出、送信します。
私はシノ缶から送られた経路情報に基き、進路を変える。
随分遠回りになるが、私は一階層下に降りて・・・兵員居住区に入る。
当然人はいない。
まずいです。私が管制情報を閲覧している事が敵にばれたようです。ここの装置を破壊して、私も移動します。貴方の正確な位置は未だ敵に把握されていません。どうか御無事で。
・・・・・
・・・シノ缶からの通信が切れる。
一瞬・・・なんとも言えない心細さを感じるが・・・
私は構わず、しばらく走り続ける。
かつては多くの人が生活をしていたであろうこの兵員居住区も、
今では不気味に静まり返っている。
いくつもの弾痕、扉が破壊された寝室、生々しい戦闘の跡。
ここでどれだけの人が殺されたのか・・・
私は、臆する気持ちを打ち消すように、ただ走り続ける。
・・・が、その時、
何か、気配を感じる。
私は一旦停止して、あたりを見回す。
この階層にも人型がいるのか?
私は一時身を隠す為に、通路を外れて近くの部屋に入る。
誰もいない、真っ暗な兵員用寝室。
私はそこで身を低くして、一切の動きを止める。
耳を澄ます。
・・・・・
・・・・・
・・・静寂。
・・・・・
シノ缶から最後に送られた情報によると、敵人型は全て上の階層にいるはずだが・・・
・・・先程感じた気配は・・・ただの気のせいか・・・
ここに留まるより、今は先を急ぐべきか。
・・・いや、
・・・・・
音がする。
この階層に、何か動く物がある。
・・・足音・・・
私を探している。
それはゆっくりと近付いてくる。
・・・先ほど・・・
シノ缶は、私の位置は敵に知られていないと言っていたが・・・
・・・知られているのか?
ここは、敵に攻撃される前に先手を撃つべきか。
敵の数は?
・・・・・
私は静かに・・・銃口を通路の方へ向ける。
・・・来る。
足音が・・・すぐ近くまで来ている。
そして・・・私が銃を向けている戸口の手前で・・・足音は止まる。
・・・やはり・・・気付かれている。
少なくとも、何者かがこの部屋にいるという事を、敵は把握している。
・・・どうする・・・
この位置からでは敵を撃てない。
かといって、敵を撃てる位置まで前進すれば、先ずこちらが撃たれる。
・・・どうする・・・
・・・・・
・・・ん?消火器。
戸口の向こう、通路の脇に、消火器が設置されている。
あれを撃てば消化剤が飛散し、一瞬、敵の目をくらます事ができるか。
そしてその隙に素早く前進して敵を排除するとか。
・・・アメリカ映画では大体それでうまく行くのだが・・・
現実にはそううまく行くとは限らない。
しかし・・・近接戦闘の経験が無い私には、他に手段が思いつかない。
・・・やるか。
私は消火器に狙いを付ける。
そして引き金を引こうとしたその時・・・妙な声がする。
「・・・橘花さん?・・・そこにいるんですか?」
・・・この声は・・・
桜花提督?!
なぜ?
なぜ彼女がここに?
「橘花さん!もう大丈夫です。この船は帝国海軍が制圧しました」
・・・え?
帝国海軍がこの船を制圧?
・・・桜艦隊が・・・もうこの海域まで進出しているのか?
私は一瞬混乱する。
「橘花さん、桜花です。そこにいるんでしょ?橘花さん」
彼女はそう言いながら戸口の脇から顔を出して、
ゆっくりと部屋の中を覗きこむ。
そして再び、私の名を呼ぶ。
「・・・橘花さん?」
その顔は・・・まさしく桜花提督。
私はそれに向かって・・・
小銃弾を三発撃ち込む。
破裂。体液と金属片がそれの後頭部から飛び散る。
そして頭脳を損壊した人型は、そのまま床に倒れ、停止。
・・・外見を模した程度で私を騙せるとでも思ったか、この電動マネキンが。
粗製の分際で安易に提督の名を騙るな。
私は部屋を出て、再び走り出そうとしたその時、
射撃音。
近くの壁から火花が飛ぶ。
私は咄嗟に、通路の反対側の部屋に飛び込む。
・・・人型が、もう一機いたらしい。
考えてみれば、人型は二機一組で行動している、と、シノ缶が言っていた。
全く不注意。今ので死ななかったのは幸運と言える。
しかし、自分の不注意さに呆れ返ってるほど余裕はない。
私は咄嗟に、側に設置されている消火器を拾い上げ、
安全ピンを抜いて、射撃音がした方向に投げる。
敵人型はそれを目標と勘違いしたのか、再び射撃。
撃った弾が消火器に命中して消化剤が飛散する。
と、同時に私は部屋から上半身だけ出して射撃。
白い煙の中から消化剤まみれになった人型が退避しようとしているが、
その足に三発。
足首から下を吹き飛ばして、動きを止めてから、頭部に二発。
撃破。
・・・案外、うまく行くものだ。
いや、単なる幸運続きか・・・
私は他に人型がいないかどうか辺りを確認してから、再び走り始める。
敵は既に私の位置を把握している。
人型が殺到する前に、早く司令中枢へ辿り着かなければ。
私は暗い通路を、ただ走っている。
闇の向こうは、全くの未知。
今この瞬間にも、どこからか発砲音がして、私の頭が吹き飛ぶかもしれないが、
もうそれは、どうする事もできない。
ただ、
すぐ近くに「死」があるという事を漠然と感じながらも、「死」という物について深く考える事も無く、
私は、走っているのだ。
たぶん、今、少しでも死を考えてしまったら、もう一歩も進む事は出来ない。
だから、走る。
頭脳は身体機能と感覚器官のみに集中し、思考はほぼ停止状態である。
幾多の戦争の中で無意味に死んで行った兵士達も・・・或いは、
このような思考状態だったのだろうか。
今はただ、それが・・・心地よくさえ感じる。
私は「死」に向かっているのか?
・・・・・
・・・前方に・・・上の階層に続く階段。
そこを上がれば、司令中枢はすぐ近くである。
・・・が、
・・・・・
・・・敵がいる。
それを裏付ける情報があるわけでもないのに、
感じる。
階段の上に、敵が潜んでいる。
私は一旦停止して、身を潜める。
その時、何か空き缶のような物が上階層から階段を転がり落ちてくる。
・・・石?・・・いや、
!!
光、衝撃、
思わず後ろに倒れる。
・・・痛い。
私は意識を失いそうになりながらも、支柱の裏に隠れる。
・・・今のは・・・手榴弾?
なんだかよく分からない。朦朧とする頭を二三回振る。
服が2〜3箇所破けたが、体に損傷は無し。
辺りに立ち込める煙。
私は銃を探す。
銃は1メートルほど離れた場所に落ちている。
私はそれに手を伸ばそうとする・・・と、
射撃音、無数の跳弾。目の前で火花が散る。
私は再び支柱の陰に身を隠す。
まずい。既に照準を付けられている。
身動きできない。
たぶんここから動けば撃たれる。
しかし、この場所も、手榴弾を投げ込まれれば危険。
私はどこか、敵の射角に入らずに退避できるような場所を探す。
・・・・・
だめだ。どこに行くにせよ、一瞬敵の射界に身を晒す事になる。
せめて銃が使えれば・・・
ここから移動するには、敵に制圧射を加える必要がある。
私はバールを使って銃を手元に引き寄せようとするが、
再び発砲音。
火花と共にバールは吹き飛ばされる。
・・・くっ
狙いは正確。
支柱の陰から出た物は何であれ正確に撃ち抜かれる。
・・・どうする・・・
これ以上、ここに留まるわけには行かない。
・・・その時、
目標、座標、マーク、01、02、送信。
受信。目標、01、02、マーク、了解。
・・・赤外線通信?
5秒後に敵人型に対し制圧射を行います。対応してください。スタンバイ、4・・・3・・・
・・・なに?シノ缶?
直後、射撃音。連射速度の異なる複数の火器がフルオートで射撃している。
恐らく小銃×2、分隊機関銃×1。
距離は先程よりやや遠い。
私を狙ってる・・・わけではない。
これは、敵人型に対する制圧射?
私はそれを確認する事無く、咄嗟に支柱の陰から出て銃を拾う。
そして素早くまた支柱の陰に隠れる。
撃たれなかった。
やはり・・・誰かが敵に制圧射を加えている。
再び射撃音。
私は支柱の陰から一瞬だけ顔を出して状況を確認する。
・・・敵人型が2機。
それらは、なぜかこちらではなく、上の階層に向けて射撃している。
どうやら優先攻撃目標を私以外の何かに切り替えたらしいが、
そのため、こちらから見ると完全に身を晒す状態になっている。
空間認識もできないのか、間抜けが。
殺してやる。
私は素早く支柱裏から飛び出し、そのまま伏せ撃ち。
敵人型1機の頭部に3発。
こちらの射撃に気付いたもう1機の敵人型が、こちらに向きを変えるが、
それが射撃する前にこちらの射撃が腹部、胸部に命中。
しかしまだ動く。
さらに頭部に2発。
撃破。
私は小銃をそちらに向けたまま、立ち上がり、ゆっくりとそれに近付く。
・・・大丈夫。2機とも完全に停止している。
お見事です。今からそちらに向かいます。
シノ缶の声がする。
どこにいるんです?
「ああ、ここです」
階段の上の方から声がする。
私はそちらの方を見る。
・・・!
分隊機関銃を持った人型がいる!
私は咄嗟に銃を向ける。
「あ!撃たないでください!私です!シノです!」
人型が叫ぶ。
その手のペテンは聞き飽きました。撃破します。
「あ、ええと、符丁、爆乳01さん、こちらシノです」
・・・・・
よく見るとその人型はリュックを背負っており、その中にシノ缶がいる。
シノ缶は両手をバタバタ振っている。
私は・・・銃を下ろす。
通信漏洩の可能性のある環境下で通信用符丁を合言葉にするのは全くの無意味です。
・・・あ、そう言えば・・・そうですね☆
もう二度とその符丁で私を呼ばないでください。誤射として処理する可能性があります。
あ、はい。・・・え?
で、その人型は何なんです?
あ、ええ。ドサクサにまぎれて整備中の敵人型の頭脳を乗っ取ったのです。乗っ取った相手が幸い分隊指揮コードを搭載しているタイプだったので、さらにおまけで2機付いてきて、現在3機の人型が私の制御下にあります。
・・・得意げにシノ缶は言う。
他の2機は上の階層にいます。司令中枢入り口で警戒待機中です。今の所、司令中枢までのルートは確保されています。ただし、司令中枢内部の状況は未確認です。
・・・・・
了解しました。
私は階段を上る。
シノ缶を背負った人型も、後方を警戒しながら私の後に付いて来る。
そして第2甲板。司令中枢のある階層。
相変わらず暗い。
小銃で武装した人型が2機、伏せ撃ち姿勢で警戒待機している。
あの2機が私の制御機です。
私はあたりを警戒しながら前進。司令中枢入り口まで到達する。
案外、容易に辿り着けた。
ここに来るまでに、もっと激しい妨害を受けるかと思っていたが・・・
敵は、私が即時撤退を選択し、ここに来る事は無いと想定していたのか、
それとも・・・
・・・・・
・・・辺りの静けさが妙に不気味である。
5分前の情報では、司令中枢内部に武装した敵人型が4機いる事になっています。行きますか?
当然です。
了解しました。司令中枢内部の構造配置はもうご存知ですね。恐らく敵人型は、4機分散して内部構造物を盾にする形で即応待機していると思われます。対して我々は、内部に進入するにはこの入り口を使う以外に無いので、結果的に無防備な状態で集中砲火を浴びる事になります。相手が人間の場合は、扉越しに制圧射、もしくは爆発物を投入し、相手が怯んだ隙に突入して掃討する戦術が有りますが、相手が人型の場合、視覚および熱源情報を確実に妨害するか頭部を確実に破壊しない限り、怯まず正確に射撃してきます。また、状況終了後に司令中枢の通信装置が機能する状態でなければ戦略的価値を失うので、闇雲な制圧射や爆発物の使用は避けるべきです。
また無駄に長い説明。
・・・分かりました。端的に結論だけ聞かせてください。
シノ缶はしばらく作動音を出す。
はい。ええと・・・作戦としては、私の制御下にある人型を、普通に歩いて司令中枢に進入させます。恐らく敵人型は、これを即座に敵と認識できないので、ある程度の時間的猶予が生じます。その隙に、私と橘花さんが内部に突入して、先に進入した人型と共に敵人型を掃討します。
・・・あの、「敵人型はこちらを敵と認識できない」という予測は現状においては通用しないという事を、先程私が体現して見せたじゃないですか。
ええ。橘花さんが敵人型2機の頭をバールで粉砕した時のお話ですね。・・・いいえ、橘花さん、あの時の状況をよく思い出してください。あの時、敵人型は、橘花さんに対して即時に攻撃せずに、すれ違った後で、「久しぶりねえ、橘花」などと言ってましたね。あれは、橘花さんの名前を呼ぶ事で何らかの反応を示すかどうかを確認していた・・・つまり彼女は、誰何に応じるかどうかを敵味方識別の手段にしている・・・と、私は考えています。
・・・・・
・・・確かに・・・そう、考えられなくも無い。
もしあの時、敵が、橘花さんの名前を呼ぶ前の段階で橘花さんの事を認識していたのなら、もっと有効な対応手段があった筈です。少なくとも、バールだけの相手に小銃装備の人型2機を撃破されるなどという無用な損失は回避できた筈です。
・・・確かに・・・それもそうである。
しかし何か腑に落ちない。
・・・大丈夫なんですか?
近接陸上戦闘で100%安全という事は有りませんが、今私が考えられる戦術としては、これが一番確実です。他に何か良い戦術がありましたらお伺いしますが?
まあ・・・他に有効な手段が思いつくわけでもない。
きっとうまく行きますよ。
これにそう言われると、かえって不安になるが、まあ・・・
ここは陸軍機の判断に任せるべきか。
了解しました。その戦術で行きましょう。
はい。それでは、人型の視覚情報を連動させます。突入順位は人型2機の後、私、最後に橘花さん。突入方向は、私が扉前右側から室内左側へ、橘花さんは扉前左側から室内右側へ。目標順位は私が室内左側から、橘花さんは右側からです。
了解しました。
準備は良いですか?
私は銃の弾倉を取り替えて、初弾を装填する。
準備完了。発動宜候。
では、発動前5秒、
・・・4、・・・3、
・・・・・
扉が開く。
と、同時に、室内から激しい集中砲火。
な!?
話が違う!!
敵はすぐには発砲してこない筈じゃなかったのか!
しかし今更どうしようもない。
私は予定通り室内右側へ滑り込むように突入。
目の前の海図台の下に潜る。
そこへも容赦無い銃弾の猛襲。
身動きできない。
味方人型からの視覚情報は入ってこない。既に撃破されたらしい。
・・・明らかに大失敗。シノ缶を信じた私が馬鹿だった。
一瞬、壁に彫られたダイイング・メッセージが目に入る。
シノ缶は・・・
シノ中将、まだ生きてますか?
・・・は、はい。一応。
まだ生きてるらしい。
当初の予定とは随分異なった展開になりましたが・・・これからどうするんです?
・・・・・
応答なし。
・・・死んだか。
まあいい。
その時、どこからか視覚情報が入ってくる。
映し出されてるのは、90度傾いた室内風景。
たぶん、撃破された味方人型からの視角情報。
通信系はまだ生きているらしい。
極めて不鮮明だが、そこに、私を射撃しているらしい敵人型が映っている。
と、同時に、「とぉぉりゃあああ!」という妙な奇声が聞こえる。
シノ缶?
そして何かの破裂音。
この音、ついさっき聞いたような気がする。
・・・消火器?
辺りに白い煙が立ち込める。
それに反応したのか、一瞬、視覚情報に映っている敵人型が向きを変える。
私は間を入れず、海図台下から銃だけ出して、敵人型がいそうなところに闇雲に発砲。
それと同時に、分隊機関銃の射撃音。
これはたぶん、シノ缶からの制圧射。
私は海図台下から一瞬飛び出して敵人型を確認、瞬時に数発射撃。
再び海図台の下に戻る。
敵人型を撃破したかどうかは不明。
そして再び「ううりゃあああ!」というシノ缶の奇声と共に発砲音。
・・・囮になってるつもりなのだろうか。
もう、戦術無しの原始人バトルである。
私は再び海図台の下から一瞬だけ出て発砲。戻る。
シノ缶の奇声、発砲。
これを何度か繰り返した後に・・・
発砲してるのは私とシノ缶だけだったという事に気付く。
・・・・・
・・・シノ中将、雄叫びはもう結構です。たぶん制圧しました。
ううりゃ・・・はい?
私はゆっくり立ち上がって、辺りを確認する。
人型の残骸らしきもの多数。動く物は無い。
司令中枢を制圧しました。発砲をやめてください。
・・・え?・・・ああ、いつの間に・・・
完全な弾の無駄使い。
将官クラスの司令電算機が2機も揃ってこんな間抜けな戦いをする羽目になろうとは。
完全に作戦ミスでしたね。
シノ缶は申し訳なさそうに頭をぽりぽりかきながら、
・・・はい。返す言葉もありません.・・・あ、でも、
人型に対しては消火器が有効である事が分かりました。
そんな事はどうでもいい。
余計に時間を使った分、状況は押している。
扉をロックして下さい。私は通信装置を探します。
あ、了解です。
私はこの暗い司令中枢の中から通信装置を探し出す。
始動。・・・一応、壊れてはいないらしい。
私はコードを接続する。
当然、防御プログラムがなされているが、これも難なくクリア。
そして、第7艦隊コードを使用した海軍艦隊間通信、
それと、民間衛星電話サービス、さらに米軍の通信網にもアクセスする。
これだけつなげば、どれかひとつは桜艦隊まで届くだろう。
私は今までに得た情報を圧縮して暗号化、送信する。
・・・一応・・・作戦完了。
そこでふと、
私がこれまでに得てきた情報は、どれもさほど戦闘に役立つ物ではないという事に気付く。
主な情報を要約すると、
海軍第7艦隊は、敵人型によって制御されているという事。
自動車運搬船を偽装したこの船の情報、そしてここで行われた一連の惨事。
これらの情報は、戦後処理においては大いに役立つと思うが、実際、桜艦隊の戦術を有利に導くかどうかは甚だ疑問の残る所である。
そもそも、この戦争に勝たなければ全てが水泡。全ての痕跡も消されてしまうだろう。
そして・・・他には・・・
チョコレート、白いドレス、10歳の誕生日・・・
・・・こんな情報を桜艦隊に送って、一体どうなる物なのだろうか。
私はなぜ、このような情報を送るために・・・必死になっていたのだろうか。
・・・桜花提督に・・・私は・・・
何を分かってほしかったのか・・・
・・・・・
シノ中将閣下、宜しければ貴方の得た情報も、ここで送信していただけませんか?
シノ缶は待ってましたとばかりにこちらに来て、
当然、そのつもりです。
と言って接続コードを差し込む。
そして・・・シノ缶は、やや神妙な面持ちになり、
橘花さん、実は貴方にも知っていただきたい情報があります。
と言う。
・・・なんです?
橘花さんがいない間に私が調べた、アドルフィーナに関する情報です。
先ず・・・最初に謝っておきますが、ここで我々の存在が敵に知れてしまったのも、実は・・・私がアドルフィーナ本体に接続しようとしたからなのです。ほんと・・・すみません。
・・・な、
こいつは・・・
すみませんで済むような話ではない。
で、それほどの失態を犯したからには、それに見合うだけの情報は得たんでしょうね?
・・・はい。・・・たぶん。
ではさっさと話してください。端的に、です。
あ、はい。・・・ええと、先ず、
私たちは、アドルフィーナというものの存在について、大きな誤解をしていたと言う事です。
・・・・・
・・・どういうことです?
はい、橘花さん、この司令中枢の隣の部屋、あの、なんというか乙女チックな部屋に、中枢司令電算機がありますよね。あれの・・・一部が、かなり大きく切り取られたように無くなっていたのをご存知でしたか?
・・・・・
・・・確かに、あの中枢電算機には、不自然な隙間があった。
それが一体どうしたと言うのです?
・・・・・
・・・シノ中将?
・・・・・
返事が無い。
シノ缶から・・・妙な作動音がする。
・・・?!
その時、大きな爆発音。
そして発砲音、多数。
私は咄嗟に床に伏せる。
・・・扉が、吹き飛ばされている。
近くにシノ缶が転がっている。
その機体には複数の弾痕。
シノ中将!
・・・返事は無い。
完全に破壊されたらしい。
・・・その時、
他人の秘密をペラペラと話すのは良くない事だと思うわ。
声がする。
・・・この声は・・・
アドルフィーナ。
光波通信?・・・いや、違う。脳内に直接響いてくるような・・・声。
私は咄嗟に武器を探すが、
そんな所に寝てないで、出て来なさい。橘花。
それとも・・・日本人らしく一死玉砕でもする?
・・・・・
一死玉砕・・・か。
私一人身を挺して敵を玉砕できるのなら、それも悪くは無いが・・・
ただ死ぬだけなら単純な資源の無駄遣いである。
そもそも、ここでの私の作業はもう完了した。抵抗する意味は無い。
私は・・・ゆっくりと立ち上がる。
戦果の無い戦闘に身を投じる気はありません。
賢明ね。その方がお互いのためだわ。
・・・・・
・・・破壊された扉、その付近に多数の人型。
しかし、今までの人型とは違って、何か、無骨な装甲で覆われている。
そしてその中央に・・・
アドルフィーナがいる。
「で、桜花に情報は送信できた?これで満足?」
彼女は言葉を使って、いかにも親しげな表情で話す。
しかしその目は冷酷さに満ちている。
・・・・・
私は何も言わない。
これからどうするつもりです?
「べつに。あなたがおとなしくしていれば、どうもしないわ。ここにいたければ、いればいいし」
でも、もうすぐこの船は海の底に沈む予定だから。
私と一緒に来た方が、少しは長生きできるかもね。
・・・・・
証拠隠滅ですか。
人聞きの悪い言い方ね。これは埋葬よ。
まあ・・・どっちでも良いけど。
・・・・・
それに、この船を沈めるのは私じゃないわ。桜花よ。
もうすぐここに、桜艦隊が来る。そして、
この船は、戦闘に巻き込まれて沈む、不幸な民間船。
・・・・・
全て予定通りですか。
そうね・・・いや、あなたがここに来た事は予定外だったわ。
どうせ沈む船だから、大した防御を施していなかったのが失敗だったわね。
・・・それにしても・・・
この船が一番の弱点だったと言う事を、あなたはどうやって知ったのかしら。
是非とも聞きたいわ。
・・・・・
まあ、大体の予想は付くけど。
・・・・・
アドルフィーナは一旦目を伏せて、ため息を付く。
「さて、おしゃべりはおしまい。私は帰るわ」
彼女は破壊された扉の方へ向かう。そして今一度振り返り、
「あなたも来る?この状況の結末を眺めるには打って付けの場所よ」
・・・・・
どこへ行くのです?
「私の新しい住処。とても素敵な船よ。案内してあげるわ」
・・・・・
・・・アドルフィーナの船?
つまり、敵の旗艦・・・
・・・・・
・・・確かに、興味はある・・・
・・・・・
・・・私は・・・
やや戸惑いながらも、
ゆっくりと彼女の後に付いて行く。
・・・しかし・・・
・・・・・
・・・抑え得ぬ・・・
激高。
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